昼メシな総務課

西の海へさらり

第1話・サムギョプサル

 会社の総務部総務課はいわゆる掃きだめのような部署だ。一線から退いたというと聞こえがいいが、いわゆる会社のお荷物たちの荷物置き場だ。荷物っていうからには、誰かのところに届けられる「べき」なのだが、このお荷物たちはどこにも運ばれない。 戸倉重蔵とくらじゅうぞうはその名前の響きから、会社役員いや創業者のように間違えられるが、ただの総務部総務課所属、社歴三十年のベテランである。会社創立が三十三年だから、ほとんどの会社の成長過程を見てきた人物だ。


 株式会社エンドリング・クリエイティブ・コミュニケーションズ、長い社名だ。デザイン会社として現会長・長谷川一心はせがわいっしんが創業し、業界ではエンドさんと呼ばれている。いわゆる老舗のデザイン会社だ。


 デザイン会社には、大きく営業部・デザイン部・編集部の三セクションがある。他には間接部門の総務部、経理部、法務部がある。総務部は総務課と人事課に分かれていて、戸倉重蔵は総務課だ。掃きだめのような部署に新卒時代から所属していたと聞いている。なのに、役職者でもない。


 上羽洋二郎うえばようじろうは去年編集部から島流しに合い、総務部総務課に流れ着いた。まだ四十歳、戸倉は五十二歳だ。ダメ社員の戸倉に教えを乞うこともない、そう思っていた。


「上羽さん、はじめましてじゃないですよね。戸倉重蔵です。重い蔵と書いて、重蔵です。これからよろしくお願いします」 

 戸倉はフルネームで自己紹介を始めた。

「上羽洋二郎です。長男なのになぜか二郎です。母が洋子、えーっと、太平洋の洋です。その洋を取って、洋二郎です。でも長男です」

「ははは、それは不思議ですね。うちの兄は重三です。長男なのに、しげぞうの「ぞう」は漢数字の「三」です。三重県の、あの「み」です」

 総務部総務課には課長はいない、戸倉といま席にはいない、川瀬・渡辺・西の三人がいる。川瀬は営業部から、渡辺はデザイン部から、西は経理部から島流しにあってきた。


「上羽さん、ここでは目立ってはいけませんよ。目立つということは、敵に正体をつかまれやすくなりますから」


 この人、距離が近い。上羽は戸倉のパーソナルスペース0攻撃に戸惑っていた。とっても近い。距離感が親猫と子猫並みだ。不思議と戸倉からはオジサン特有の加齢臭がしない。といっても、上羽だってもう充分オジサンだ。


 娘が中学生に上がった途端、テンプレート出来事・そこに既に用意されていた出来事のように、洗濯物・お風呂の順番・歯ブラシの位置に口うるさく言われるようになってきた。最近では、家族全員同じデザインのマグカップが嫌のようで、「お父さんが使ったマグカップかもしれないから、お父さんのカップにはシルシつけてよ!」と言いだす始末だった。妻は僕のマグカップに油性ペンで「父」と大きく書いた。せっかくおそろいのマグカップなのに。でも、なんだか愛着が湧いてもきたが。


 一通り総務課の仕事について渡辺・西に教えてもらった。大きな仕事はデザイン部のパソコン・スマホの管理、編集部の資料用の雑誌収集、営業部の社用車の管理、社内の備品発注、まぁ管理まわりがほとんどだった。


 会社には親がいない。子どものように、シャーペンがない、ノートがない、自転車が壊れた、なんて言っても甲斐甲斐かいがいしくお世話してくれる人なんていない。


 業務ファイルを川瀬から引き継いで、教えてもらった。ドサドサっと総務課の奥から荷物が崩れる音がした。

「きゃぁぁあああ、やっちまったあー」

「あら、騒がしいですねぇ。久島さん」

「ごめんなさい、重さん」


 久島今日子くしまきょうこだ。入社二年目の元デザイナー!大型ルーキとまで言われた彼女は本当にここにいたのか。上羽は一年半ほど前に新人の久島とデザインコンペに挑み、コピーライターとして参加した。彼女のプレゼンにかける意気込みは、新人とは思えず、二十年弱のキャリアのある上羽はコンペが終わる頃にはヘトヘトになっていた。彼女の仕事ぶりに、自分のこれまでの仕事への取り組み方を見直したほどだ。


 そんな彼女は突然半年前デザイン部から人事部預かりになり、一ヶ月前に総務課に異動となった。

「あら、上羽さんじゃないですか!」


 くったくのない久島の笑顔にヨコシマな想いが全くない上羽でも、つい顔がほどけてしまう。この子の笑顔がなんとも、愛嬌がある。そう思うだけなら、セクハラにならないよなと以前同僚に話したことがある。


「戸倉さん、そろそろはじめましょうよ」

 渡辺がコンロとガスボンベを準備しながら忙しそうに声をあげた。

「何がはじまるんですか?」 

上羽はおそるおそる戸倉に尋ねた。

「歓迎会ですよ。お昼のお弁当持ってきてませんよね?」

 上羽は持ってきていないの意を込めて、頷いた。

「さぁ、はじめましょう」

「重さん、今日はなんですか?」

「焼肉ですよ」

「違いますよ、サムギョプサルです」 

 西が言い直した。


 渡辺が手際よくカセットコンロに専用網を置いて、着火する。西がクーラーボックスからビニール袋に入った肉を用意する。川瀬が紙皿と紙コップ、割り箸を打ち合わせ用の長机を合わせてパーティーテーブルの準備をした。

「ここは、会社ですよね」


 上羽はパーテーションの奥を気にしながら戸倉に問いただした。その目線の先は、人事部の神岡朝子かみおかあさこがいた。

「こんなところで、肉焼いたら、人事部が……」

「いいんですよ」

 久島が言った。

「先月は、お好み焼きでしたから」

「えええ!」

 上羽の驚きが頭の先から足の先まで一直線に伝達し、折り返して再び太腿、大腸。賞と湯、胃、肺、食道からの喉を通り、声になって出た。

「お好み焼きじゃぁあありません。ベタ焼きです!」

 戸倉は紙エプロンを配りながら、訂正した。


 エンド社ではお昼の時間は自由だ。一応就業規定では十一時四十五分から十三時と決まっている。つまり七十五分ものお昼時間。営業部は社内でお昼ご飯を食べることはほとんどなく、出先でちゃっちゃっと済ませる。デザイン部・編集部はパート・アルバイト以外はみんなお昼時間に、昼ごはんを食べられることはあまりない。


 お昼に入る前にクライアントから修正指示が流れてくるからだ。十一時半ごろに修正指示を電話で伝えられ、聞き終わるのが十二時。一度修正を十五時までに見たいと言われることもある。酷い時は、昼前に修正を言われ、十三時の会議で報告したいなんてこともざらだ。 つまり、クリエイティブ周りの社員にはお昼なんてものはない。コンビニで買ったおにぎりをもしゃもしゃと食べながら、仕事をしているのがほとんどだ。たとえ何もない日でも、昼休みは自分のデスクで死んだように寝ている人がばかりだ。 


 この前まで上羽もそうだった。だが、久島は隣の部署だったが、いつもお昼ご飯はどこか美味しそうな店を探して食べに行っていた。一度、天ぷらのうまい蕎麦屋があるということで一緒に行かないかと誘われたことがあったが、上羽は断った。仕事も落ち着いていたが、昼休みに天ぷらを食べるなんてそんな優雅な時間の使い方が怖かったのだった。


 だが、今となっては久島今日子と二人で昼ごはんなんて、何か相談事でもあったんじゃないかと、後悔の念、いやもったいないことした、と思うのだった。


「なに、ぼーっとしてるんですか。肉焼けてきてますよ」

 西がトングで肉を指した。上羽は直箸じかばしで肉を取ろうとした時

「ダメ!肉を取る時は、この黒い菜箸でよ」

 久島がいつになく大きな声で制した。

「そうですよ、生肉を掴むのはトング、焼くのはこの木の普通の菜箸、で焼けた肉を取る時はこっちの黒い菜箸です」

「生肉を触るってのは、気を付けないと」

「でました!久島さんの肉奉行」 

 渡辺が茶化した。


「渡辺さん、ここは大事な管理ポイントですよ」

 戸倉は渡辺をたしなめた。

 上羽は、そんな会話を横に焼けた肉を黒い菜箸で取り、レタスにのせ、コチュジャンを自分の箸で肉に乗せ食べた。


 さわやかなレタスの香り、シャキシャキの食感。豚肉の脂身の甘みがジュワっレタスのスキマからこぼれ落ちそうになる。コチュジャンの甘辛さが相まって、思わず声が出た。

「うううう、うんまい」


 西・渡辺・川瀬がニヤニヤと上羽の食べっぷりを見ている。


「私も、食べる!」

 久島はレタスに肉をのせ、レンジでチンしたご飯も包み込んだ。コチュジャンだけでなく、ニンニクチップも一緒に。

「おいしぃぃっ」

「ですよね、こんなに美味しいお昼ご飯初めてだ」

「上羽さん、お口に入ったままでおしゃべりはダメですよぉ」

 渡辺が口いっぱいに頬張りながら言った。


「お昼ご飯ってね、一日をもう一度しっかりと仕切りなおす大切な儀式のようなものなんです」上羽は力説する戸倉に目をやった。

「そうそう、仕切り直しに、キムチも一緒に巻いて食べるとうまいですよぉ」

 口数の少ない川瀬が手本を見せてくれる。


「でもこれ、本当はレタスじゃなくてサンチュじゃないんですか?」

「久島さん、正解!でもね、巻ければいいんです」

 川瀬は次の肉を狙っている。

「豚バラだけ食べてても飽きるものです。レタスやキムチ、ニンニクチップ、コチュジャン、全部巻いて一緒に食べると、ほら、飽きませんね」

 こんなに楽しい昼メシは本当にいつぶりだ。というよりも、ここは会社なのか?


「さぁ、そろそろ時間が迫ってますから、お片付けですよ」

 突然渡辺が仕切りだした。あと十分程度でお昼休みが終わる。フロア中、すごい肉のニオイだ。

「あの、神岡部長って、このパーテーションの奥にいる、怒られないんですか?」「神岡さんは、そんなことじゃぁ怒りません。むしろ、部長が総務課で昼ご飯を作ってたべるようにと社長に提案したんですよ」


 戸倉は紙皿・紙コップを片付けながら返事した。

「神岡部長が?どうして」

「言ってませんでした?これ、あとでSNSにアップするんです」

「えええ、コレを」

「そうですよ、私たちの仕事、会社の広報も守備範囲ですからぁ」

「上羽さん、動画編集得意でしたよね。このスマホたちに動画収めてますから、編集しておいてください」

「あ、はい」


 手際よく片付けを終え、昼からは各々が仕事に復帰した。上羽は戸倉から依頼された動画編集に取り掛かった。


 編集部時代は動画編集を業務にいち早く取り入れたのは上羽だった。戸倉はそんなことまで知た上で、依頼したのだろうか。上羽はかつてないほどの充実感で動画編集に取り組んだ。退社時間直前に編集とテロップ、効果音を盛り込み戸倉に提出した。


「急な依頼ですみませんでした。ありがとうございます。このサムギョプサル、本当はレタスじゃなくてサンチュですってところが真面目な上羽さんぽくっていいですね」

「ありがとう、ございます」

「みんな、美味しそうに食べてますね。とてもバカバカしくて楽しくていいですね。コレあとで私がアップしておきます」

「戸倉さん、SNSにアップなんかできるんですか?」

「私、まだ五十二歳ですよ。というよりも、今の六十代も七十代も、意外と新しいモノ好きですから」


 戸倉は椅子のキャスターを転がしながら、隣の席の上羽のところまでやってきた。「上羽さん、僭越せんえつながら、お説教臭くもなりますが敢えて。会社員って、サムギョプサルみたいに、巻かれたらいいんですよ」

「それって、長いモノに巻かれるってやつですよね」

「いえいえ、自分が楽しいって思えるものがそこにあって、もっと楽しみたいって思うなら巻かれたらいんです。臆病おくびょうと慎重は同じではありませんから。慎重でもいいですが、失敗しないための慎重というよりも、自分を楽しませるための慎重っての理想です」

「はぁ……」

時計の針が十八時を指した。


「すみません、説教くさくなりましたね。さぁ、業務終了です。帰りましょう!」


 総務部総務課のメンバーがみんな見計らったように、

「おつかれさまでした」

 とだけ言い放ち、タイムカードを切り、一斉にエレベーターへ向かった。


 上羽もタイムカードを切り、遅れてエレベーターへ向かった。こんなに早く終わったのはいつぶりだろう。そんな風に感慨深く思っているところに

「待って、開けて、上羽くん」

エレベーターには神岡部長が乗り込んできた。

「神岡部長、おつかれさまです」

「同期なんだから、神岡でいいわよ。総務課どう?」

「どうって言われても、初日なんでわからないよ」

「戸倉さん、ああ見えて、キレモノだからね」


 エレベーターはあっという間に一階に着いた。


「じゃぁ、私はこっちで。また今度同期で飲みに行こうよ」

「同期っていっても、俺と、神岡とあの鳥居しかいないじゃないか」

「あ、そうだ、鳥居君、今度総務課に異動なんだ」

「そんなこと、言っていいのかよ」

「だって、今日の夕方辞令出したよ」


 動画の編集に夢中で辞令なんて見てなかった。鳥居はデザイン部のエースというか、部長候補だった。そんな鳥居がどんな理由で総務課に島流しに……。それよりも、俺もなんで総務課に流されてきたのか、まだこの時はわからなかった。


 その夜、戸倉がアップした総務課の昼メシ動画はじわじわと再生されていった。会社でサムギョプサルを食べると言うこと以上に、総務課といったお堅そうな面子めんつたちが、普段の昼ごはんを楽しそうに食べている、その様子が刺さったのかもしれない。次の日の朝には、十五万回再生とプチバズリとなったのだった。


(つづく)

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