キアオラ、新西蘭!
一畳半
第一話 たびのはじまり
私が実際に旅をしたのは三月の始め頃、そこの七日間であった。
北半球にある日本では季節は冬から春に代わる頃だが、向こう南半球にある国なのでちょうど反対で、夏から秋への変わり目の頃であった。
そんな頃にニュージーランドに行ったわけだが、旅の期間はそれよりもずっと前から始まっている。
文化祭は多くの学校で二日だろうが、文化祭期間と言えばそれの準備のために費やされた前後数日が含まれるのと同じである。
私の旅の期間が始まったのは日本を出国した日の一か月と少しほど前のことだった。
紹介文に書いた通り私は学校の修学旅行でニュージーランドに行った。厳密には研修旅行と言う名前だが、読者様はそれだといちいち面倒くさく思うだろうからこれより全て修学旅行と呼称するので学校関係者様はご承知おきを。
ところで、ニュージーランドのオークランドの某所にはRカレッジと言う学校がある。日本の中学と高校に相当する学校なのだが、そこと私の通う学校は交流があるのだ。
ちなみにこの学校、なんと共学であり女子生徒が在籍している。これは男子校に通う私にとって驚嘆すべき事実であった。
教室で、校庭で、体育倉庫で。どんな青春感溢れる場所でで周りを見渡そうとも、視界に入ってくるのは男と男、それと男。どこを見てもむさっ苦しい同性しかいない環境にすっかり慣れ切ってしまった我々とって、共学校とは夢にまで見た桃源郷である。
共学しか知らない読者様には分からないだろうが、男子校生にとって共学とは「オタクに優しいギャル」くらいに現実感のないものだ。ラノベやアニメでしか見たことがない世界。そんな世界に行ける。合法的に行くことが許される。男子校生にとって、「彼女ができる」と「女子校の文化祭に行く」二つのことを除けば、最大の幸福である。
これは何か対価を払わねばいけない。資本主義社会においては、全てのものを得るには対価が必要だ。これは形のないものにおいても例外ではない。例を挙げるならば、某げっ歯類で有名な企業は世界的に夢を商品として販売している。
もちろん、幸福にも対価が必要である。我々はこの対価をどうするか考えた。
我々は学生だ。この幸福に変えられるほどの莫大なお金をそのまま支払うことはできない。
どうしたものだろうか。
私たちは考えた。
そして三日三晩より少ない期間考えた果てに、我々はある答えを見つけた。
そうだ、芸をしよう。お金で片付かない問題は体でなんとかするしかない。では、なんの芸が良いだろうか。
幸い、日本には素晴らしいものがあった。そう、オタ芸である。
ドルオタたちが考案したものが源流にあるこの光のダンスは、そのキレのある激しい動きの生み出す美しさで近年に生み出されて以降、数えきれない人々を魅了してきた。
ヲタ芸、良いじゃないか。光のショーなんてものの人気は言語を問わない。このことは某D社の世界中の楽園ですでに証明されているではないか。
それに、何よりもクールジャパンを感じて良い。オタクマシマシの曲とクールに激しい光の対比。なんとも外国人に受けそうではないか。
これはいける、いけるぞ……!
かくして、我々の支払う対価はオタ芸となった。
それが決まり、なんだかんだあって2月の初旬。
なんとか学校のオタク共を結集してメンバーが決まり、課題曲も決まった。そうして、ヲタ芸の練習がスタートした。
この時、私の中にあったものはどこか楽観的なものであった。
オタ芸を舐めていたわけではないが「なんとかなるだろう」と言う幼稚な思いが心の中にあった。
だが、「これなんとかならないくないか!」と気が付き、この支払方法を選んだことを後悔するのにそう時間はかからなかった。
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