冥婚

十三岡繁

冥婚(前編)

 目の前には赤い箱が落ちていた。いや、きちんと蓋が上になっているので鎮座していたと言ってもいい。いくら日中人通りのない防波堤沿いの道でも、その真ん中にこんなものが置かれていると違和感を感じる。


 僕は箱を手に取ってみたが、持ち上げるときに中で何かが動く音がした。それは一瞬だったので中身は虫や生物の類では無さそうだ。片手で持てる大きさなので。箱を左手に持って右手で蓋を開けてみる。


 中には切られた髪の毛の束と紙が入っていた。束と言っても髪の毛は数十本程度が紙ひもで束ねられているだけだ。しかし知らない人の髪の毛というのはあまり気持ちのいいものではない。それには触れないように気を付けながら紙をめくってみた。そこには黒くカタカナで『チョコレート』と書かれていた。


 これがなんなのか見当がつかず、そのまままた蓋をして置いていこうかと思ったが、それなりに上等そうな箱であったので、もしかしたら誰かには大切なもの、例えば子供の宝物か何かかもしれないと思い、そこからほど近い港近辺に見かけていた駐在所に届けに行った。丁度駐在さんはそこにいたのだが、僕の持っている箱を見てギョッとした表情を浮かべた。


「それ拾っちゃいましたか…」


 何事か分からず僕は聞いてみた。

「なんかまずいものなんですか?中には髪の毛と紙が入ってました。紙には…」


 そこまで言った僕の言葉を駐在さんは止めに入った。

「あ、言わないで。それ言っちゃダメ」


「ん?どういうことなんですか?」


 駐在さんは少しだけ考えてから、こんな話をしてくれた。

「この島の昔からの風習でね。不幸にも男と結ばれること無く亡くなってしまった娘がいたら、不憫に思って親族が髪の毛と生前に食べたかったものを紙に書いて赤い箱に入れるんだよ。そうして道端に置いておく。それを拾った男性と婚姻関係が結ばれるんだ。強制的にね。そうして娘の魂をあの世に送り出すんだそうだ」


「え!!僕がその女の人と結婚しないといけないんですか?」


「まぁ迷信みたいなものだよ。私もこの島に来てからまだ三年位だから詳しくは分からない。結婚と言っても相手は死者だから、実際のこの世では他の女性と結婚してもいいし、拾った男性が未婚でも既婚でも関係ないらしい。この島の人じゃなければあんまり気にしなくていいと思うよ。ただ箱を捨てたり紙に書いてある言葉を人に教えたりすると災厄に見舞われるって話だ」


「迷信でも気持ち悪いですね…拾うんじゃなかったな…」


「まあ運命みたいなものもあるんじゃないかな。箱の中の言葉を教えない限りは、その娘の霊が身を守ってくれて幸運が訪れるらしいよ。お守りだと思って持って帰ったら?」


 駐在さんにそう言われてどうしようかと迷っているうちに思い出した。

「田中さんに鍵を借りに行かないといけなかったんだ!」

 迷うのをやめてあわてて赤い箱をカバンに入れると、僕は駐在さんに一礼をして駐在所を後にした。



 その島には大学四年生の夏休みに訪れた。島で信仰されているのは仏教ではなく神道だった。神道といっても流派は色々で、ここでは特に北極星を祭る妙見信仰が信じられていた。島の中央には妙見信仰の神社があり、発祥は1000年以上前との事だが、現在の本殿がどれくらい前の物なのかはよく分かっていない。


 その妙見神社の建物を測定して図面に起こすのが今回の訪問の目的だった。僕が島に着いたとき、先に研究室の先輩である大学院生の女性二人が乗り込んでいた。四年生である僕は彼女たちの修士論文のテーマに乗っかる形で、ここの調査データを卒論にしようと目論んでいた。


 今日は先に先輩二人は引き続いての外観測量をしているので、僕は港近辺に住む宮司の田中さんに本殿の鍵を借りに行ってから合流する手はずになっていた。田中さんには事前に本殿に入る承諾は得ている。ただ田中さんは普段は漁師をしている兼業宮司だ。漁師の朝は早い。朝も遅い時間になれば寝てしまう。そこを起こすのも申し訳ないので、とにかくあわてて田中さんを訪ねて行って鍵を受け取り、それから先輩のいる妙見神社へと急いだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「そんなわけでこの箱はあの調査の時のものなんだよ」目の前には当時研究室の先輩だった素子がいる。色々あって今は僕の妻だ。昔のカバンを整理していたら、長らく忘れていた赤い箱が出てきたので昔話をしたのだ。


 ソファーにかけている素子はこちらを見てこう言った。

「よくそれ今まで黙っていたものね。で、その紙にはなんて書いてあったの?」

「それがさ、『チョコレート』だって。その女性は最後に甘いものが食べたかったのかな?素子はチョコレート苦手だって言ってたよね」


 僕の発言を聞いて素子は固まる。彼女の膝枕で三歳の娘は寝息をたてている。


「…とうとうその言葉を教えてしまったわね…」


 そう言う彼女からはいつもの笑みが消えていた…。

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