赤いタイムマシーン
青井 白
第一章【過去へ】
「タイムトラベルをご希望ですね。」
僕は窓も何もない上下がわからなくなりそうな真っ白な部屋で、女と向かい合って座っていた。
神経質そうな細いフレームの黒眼鏡が女の眉と共に少し動く。
女の身につけているスーツやシャツ、靴といった全てのものが見たことがないほどの黒い色をしていて、光を吸い込みぽっかりそこだけ穴が開いているように見える。(黒色の人)だ。
「はい、Bプランで」
そんな生首が宙に浮いて見える顔を見ながら、僕が短く返事をすると女の目が少し見開かれた。
「Bプランを選ばれる方はあなたが初めてですよ。」
僕は相手の少し明るくなった声色から、世間話が始まりそうな気配を察知して無愛想にそうですかと返した。
死にものぐるいで貯めた大金を持ち、大切な赤いお守りを握りしめ、覚悟を決めて来たのだから決意が揺らぐ前にさっさと話を終えたかった。
まぁでも、プランの内容を聞けば僕が初めてというのも頷ける。
Aプランは自分の過去に飛べるもので、一度は歩んできた道を戻るだけのため、記憶や精神が安定したままやり直すことができる。
比較的安全に過去を見たり変えたりできるプランだ。
一方Bプランは自分が生まれる十五年前に行けるというものだ。
これは本来予想されていなかったタイムトラベルで、いわゆるバグから生まれたものをこれ幸いとプランに落とし込み、少しでも研究資金を稼ごうと考えられたものなのだろう。
江戸時代だとか、好きな時代に行けるのであれば、大人気のプランだっただろうけれど、生まれる十五年前というなんとも微妙に想像がつかない時代に放り込まれるとなれば不人気なのも納得がいく。
おまけに本来存在しないはずの自身の姿が、行ってみるまでわからないとまでくると、余程の暇な金持ちか、物好きしか選ばないプランだ。
どちらも滞在できるのは平等に一年と短いことも不人気な理由の一つなのだろう。
「学会の研究促進の為にいくつか質問をさせてください。」
早く進めたがっている僕に気がついているのか、女が早口でハキハキと話す。
断るのも面倒で、軽く頷き返事をした。
「あなたはどこでタイムトラベルを知りましたか?」
「雑誌の隅に小さく書かれていたのを見ました。」
あれは気まぐれで買ったオカルト雑誌だったかと思い出しながら答える。あんな隅に書かず大きく記事を作ればもっと儲かるだろうに。
女はカリカリと僕の発言をメモに取りながら、時々顔を上げて目を合わせてきた。
その後も淡々と決められているであろう質問を投げかけてくる。
「あなたはタイムトラベルに恐怖を感じますか。」
「感じません。」
僕の答えに少しペン先が止まるが、すぐに次の質問に移った。
「最後の質問です。あなたは過去に行ってなにをしたいですか?」
「人を殺します。」
僕は用意されたように、間を開けずに答える。
ふざけるなとか、そのような理由では許可できませんだとか、何か言われるかと思ったが、反応は思ったものとは違いそのまま意識調査は終了した。
まぁ、儲かれば人のことはどうでもいいのだろう。そういう人間は結構いる。
内容を確認して了承できればサインとハンコを押すようにと、契約書を差し出される。
斜め読みで見て、なんの躊躇もなくサインをした。
その内容を一部要約すると、
『過去で起こったこと、または改変して生じた事に一切の責任を負わない。』
『過去から戻った後の事も全て自己責任で、当社は無関係とする。』
『タイムトラベルを仄めかす発言や行動は禁止する。禁止行動が見られた場合には、直ちにタイムトラベルを中止する。』
『返金には如何なる場合でも答えない。』
といった具合らしい。
全て自己責任の胡散臭い内容で、これを読んでやめて帰る人間も少なくなさそうだ。でも僕には辞める理由にはならなかった。
僕が幸せになるためには、実態がどうであろうとタイムトラベルをして、とある人物を探し出さなければならない。
書き終わり、契約書を返すと女はじっと間違いがないか確認している。
少し長めの沈黙が続いて、暇を持て余した僕はポケットの中にあるお守りの角を指で一周なぞった。
二周目に行こうとしたところで、声をかけられる。
「契約はこれで完了です。お疲れ様でした。」
女が一息つきトントンと書類を揃える音を合図に、真っ白で何もないように見えた左の壁がシューっと音を立てて開いた。
そこは正反対な真っ黒な空間がある。
どうぞと手で示されるがままにゆっくりと近づいていき、指先を入れてみる。入れたところは黒に飲み込まれ、切断されたように見えた。
いつかのアニメで見た気がするその光景に、少し落胆した。タイムトラベルというからには、近未来なカプセルのようなものに入れられて、光の海に沈むという非現実な体験ができると思っていた。
そんなことを考えながら体を全て黒に染めると、さっきまでいた長方形に光る白の空間を振り返る。
扉を閉めて仕舞えば前後も上下もわからない暗闇に包まれるだろうと予想できた。
その白から女が声をかけてくる。
「お気を付けてください。また後ほどお会いしましょう。」
お手本のように上がった口角を横目で見て、人を殺すのだからもう会えるわけがないだろうと思いながらも、こくりと頷いた。
扉がゆっくりと閉まっていく。大きくなる闇と共に怒りと殺意が湧いてくる。
あいつはなんの価値もない人間だ。
化け物が目覚める前に必ず殺してやると小さくこぼした口を閉じて、共に固く瞼を閉じた。
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