終わる罰

※これもまた横スクロールがよろしい。


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 ぐわり、ぐわり、ぐわり。不明瞭の視界。バグり出す全感覚。上と下が逆さになっては元に戻り、そして内の時計が壊れていく。

 蜂は思案する。自分は今、ドコにいる? そもそも立っている? それとも、倒れてイル? 

 複眼から覗いているのは円状に回る霧の影。ぐるりぐるりと蝸牛のようで、何もかもがゆっくりと遅くなっていくようだった。

「アアァぁ……ァァア……?」

 声を出すことすらキモチワルイ。呼吸混じりでなければ、発声方法も忘れてしまいそうだった。そんな中でも忌々しい声は囁いてくるのだ。

「眠れ、眠れ、意識の底まで落ちて、微睡みに伏せろ。ほら、さっさと楽になれ」

 眠る? 楽になる? バカを言う。こんな毒に放り込んでおきながら何を抜かすか。

 しかし蜂は剣士の言葉に乗り、身体だけを休ませることとした。特に羽根を重点的に修復させる。

「なあ蜂。そんな成りでも人間だったんだろ。人を奴隷レベルでしか認識してなかったにしても……少しくらい、思うところがあってもいいんじゃねえのか」

 少女は足音を回らせながら話しかける。蜂に余裕が無いことがわかっていても……なお、ぽつぽつと語りだした。

「お前を育てた親がいた。お前が嫌いな……妹もいた。家の外でも知り合う誰かがいた。大学行ったってことはちゃんと勉強してんだろ。色んな本読んで、話して、人間のことを知って……それでもお前は辞められなかったのか」

(……)

 思わないことは、ない。人の歩みによる世界の愛しさは、怪異たる蜂の人格であっても通ずるところはあった。

 しかし、人の世を愛することと人を害と見ることは、両立しえるのだ。

 そうでなくては、一人の女の身体に人間と怪異の二つの側面が生まれるはずが無い。二つの感情はそれぞれ独立したもの、同時に存在できるもの、というよりは。一つの心の中であっても展開できてしまうのである。それは交互に切り替わるという意味でなく、共存し、併発されるもの。

 人格が二つある、という言い方もその意味では間違っている。女の身体には確かに人間と怪異の心があるが、これは元々一つのものなのだ。もしどちらかの一つが欠けることがあればその時点で自己統一性は約束されなくなってしまう。

 これが人の形を持つ怪異が持つ特徴……否、果たしてそうか。

 人も同じではなかろうか。相反する行動基準、矛盾だらけの完成形が人型という結果だ。蜂は思う。怪異が人の姿をしているのではない。相克の歪に立つモノが、人の形を取るだけの話ではなかろうか。

「——ヒトも怪異も変わりなし。人を愚劣と笑うワタシ自身も、また敗者デス」

 足音が止まる。蜂は、喉を開いた。

「地に足をつけられないモノが怪異デス。地上は、苦難に満ちている。だからこそカレラは浮かぶのデス。ワタシは、そんな間違いを知らぬ子供たちのために、人型が歩き回る世界を浄化するのデス」

「お前、自分が嫌いなのか」

「ええ。生まれた瞬間から忌み嫌いマス。滅ぼすことは本能。あなた方を嫌うのも必然。魔法少女は、汚れたニンゲンのクセに地に足をつけず、純潔であるフリをしているのですから。二足に生まれた時点で穢れは縫われるというノニ」

「……他の魔法少女は知らねえけど、俺自身は確かに汚いだろうよ。間違いの塊みたいなもんだからな」

「エエ。デスので——」

 ————さっさと、滅んでしまえ。

 女王は羽根を奮い立たせた。足を跳ねさせ跳び上がり、紫の霧を払う。そして崩れた天井の穴に向かって跳躍した。

 大地、霧、工場跡と世界を変えて浮遊していく。さながら、大気圏を下から突破したかのようだ。そしていずれは空の下。まばらの星。黒の天蓋。ここでは誰もが同じ。人も怪異も何もかも、天の下ではみな平等。そこにズレなど何もない。

 ただ一つ。遠い空から落ちていく炎の塊が、蜂に手引きされていることを覗けば。

「燃えろ、燃えロ! 焼き潰せ! 魔法少女も人も全てを荒らしつくすのです子どもたち!」

 飛来するそれは、密集した蜂の群れだった。球体のように寄せ集まった彼らは一斉に身体を震わせ、熱を纏う。そしてその身を焦がし炎と化す。決して蜂の意思ではない。人の住む世界を除去したい——蜂たちの心はそれだけだった。これが純潔の存在。ただ一つの心と不可逆な指向性しか持ちえない、完成された生命体である。

「——なんだよ。それならとっとと落としておけばよかっただろ。なんで渋ってたんだ?」

 蜂の下で少女が見上げていた。対し蜂は口の鋏をがちがちと鳴らす。

「準備が今整っただけのこと。ワタシがこの町に帰ってきたときから既に、この結末は決まっていたのデス。後はワタシ自身が……核となる」

 そう言い残して女王は迫る隕石に突撃し……装甲を溶かしながらも中枢部へ身を収めたのだった。

 巨大の恒星は、剣士と直下の地面目掛けて墜落していく————。


 紫の少女はぼんやりしていた。

 熱だ。夏のような暑さよりも気持ち悪い、嫌悪したくなる熱さ。吐き気と眩暈で倒れてしまいそうになる。

 この情炎が、怪異が人に持つ憎しみなのかと、ふと思いついた。人が彼らに何をしたのだろう。何が彼らを奮い立たせたのだろう。

 地に足つけず、ゆらゆらと幽霊のように浮かびながら考えてみるも、心当たりはなかった。近くの幽霊はさっきからずっと喋らないので、答えも望めない。

「……いや。何もしなかったから、こうなったのかもしれないな」

 先に聞いた女王蜂の言葉は、正直よくわからなかった。人が人であるから悪いだとか、結局怪異も人も同じだとか、蜂自身も己が嫌いなのだとか、そういうところしかわからなかった。言葉の裏を読めと言われても、男の自分では女の気持ちもわからない。

 女の身体になったところで、女の心はわからない。

「俺は、俺のままだ。でも」

 幽霊の言葉。男には、忘れた願いがあったと。心底嫌がった姿になってでも叶えたかった願いが何なのかも思い出せず、どうしてこの場に自分が立たなければならないかもわからない。

「自分で払った代償くらいは落とし前付けなきゃな」

 だから、見つけるまでは立たないといけないのだろう。こんな身体で居続けなければならないのだろう。そう納得させないと……その刀を、握っていられないのだ。

 ——故に少女は、鎖を解いた。

 鞘から紙きれのように鎖が飛び退いていく。重さが消え、少女は天に捧げるかの如く、頭上で刀を構えた。

 段々と近づく滅びの種。迫る熱線——。

「それがどうした? ヒトもどき。なぜ俺がここまで来たのかを測れなかったお前の負けだ。ここなら、俺の剣で傷つくやつは誰もいない!」

 怪異たちの悲願など、唾棄すべき野望にすぎない。そして野望とはいつの時代も、斬って捨てられるものなのだ————!

『起きろ! 朝灼あさや霊焔れいえん!』

 鞘を弾き飛ばす。

 現れるは、靄のかかった揺らぎの冥剣。怪異も剣士も、蜃気楼のように見逃す不明瞭の刃! 

「この身体はくれてやる。定まれ、霊焔れいえん!」

 叫ぶ。すると、剣士の中に納まっていた魔力が急速に吸い取られていった。そうして剣には輪郭が作られ、妖しき大太刀へと姿を決めていく。

 隕石が地上に触れるまで数十秒ももたないが……もう、遅かった。剣士の顔に星の炎が差し掛かったその瞬間、彼女は振るった。

天衣夢想てんいむそう 円月彼岸えんげつひがん斬りッ!』

 そう、叫び残して。


 かくして、火の玉は消滅した。紫色の刃が弧を描いた瞬間、一切の欠片も残らないまま灰となったのだった。

 すなわち冥剣とは、周囲全ての魔力——命を飲む、吸血の剣。人がいれば瞬く間に命を吸われ、骨と化してしまうのである。ゆえに使用には場を選ぶ必要があり、自身の魔力を代わりに食わせることになる。

 抜刀は一度の戦闘につき一回のみ。さらに居合の一撃のみ許される。結果として、少女だった剣士は、転身に用いていた魔力の全てを一閃に託すことになり、結果として転身も解除されてしまう。今、工場の屋根に立っていたのはただの男性だった。彼は身体全体に傷をつけて、ぼう、と空を眺めている。

 空から女性が落ちてくる。蜂の装甲を纏っていた人間だ。ゆっくりと花びらのように降りてくるその身体を、男はゆっくりと受け止めたのだった。

 

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