第4話 「メタバース」



 未来みらいはいくつものメタバースを渡り歩くのが好きだった。


 公式のメタスクールはあまりおもしろくはないが、学校からの連絡やリモート学習の単位を取るために必要なので、しかたなくアクセスしている。


 そこでのアバターは実名を使わなければならないから、へんないたずらはできない代わりに、いじめられることもなかった。


 今は、仮想空間でも現実世界でも、いじめは厳しく指導されている。少しでもその兆候が見つかると、先生たちはすぐに家庭訪問に来る。親からも気軽に相談できる体制が整っていた。


 発達個性の教育が推奨されるようになってから、個性の発達はいじめの対象ではなく、むしろ賞賛の的となっている。どれだけ他人と違うことができるかが、重視されているのだ。


 小学生でありながら、すでに高校レベルにまで進んでいる未来の科学好きも、友だちからは羨望の眼差しで見られている。

 逆に、未来は、サッカーでジュニアクラスを飛び越えて、ユースクラブで活躍しているクラスメートが羨ましくてしかたがなかった。


 メタスクールでも、個性は現実世界の学校と同様に、いや、それ以上に重視されていた。

 生徒たちのアバターは、実物以上の強烈な個性に溢れている。


 メタスクールでの未来のアバターは、実際とは対照的に、背も高く、スポーツ万能で、何事にも積極的に振る舞う、活発な男の子だ。

 もちろん、実名だから誰のアバターなのかはみんなも知っている。

 それでも未来はアバターだと、現実にはできないことでも、かなり大胆にできた。


 未来が現実世界ではけっしてできないし、するつもりもないことの一つに、女の子とのデートがある。

 未来はメタスクールの中でも飛び抜けて明るく、笑顔が優しいアバターの陽葵ひまりと特に仲が良かった。メタスクールの世界を抜け出して、映画や遊園地に遊びに行くことはできないが、二人はいつも一緒にいた。


 そんな二人を、友だちも先生も微笑ましく見守っている。二人はメタスクールでは、公認のカップルだった。


 ところが、現実世界の学校では、未来は一度も彼女と話しをしたことがなかったのだ。

 たまに、ひやかしにくる友だちもいるが、大抵は、先生も生徒も、二人はメタスクールの中だけの付き合いなのだと理解しているようだった。


 現実の陽葵の前では、もじもじと顔を赤らめるだけの未来に、彼女の方から話しかけることもなかったが、未来はそれで満足しているのだった。


 未来はメタスクールを出て、今夢中になっているメタユニバースに入った。そこでは地球を飛び出して、自由に宇宙空間を浮遊することができる。


 未来はもう、地球上の景色には飽きてしまっていた。世界遺産はすべて見て回ったし、七つの海の深海探査も、冒険家の植村直己が成功した五大陸の最高峰も、ことごとく制覇していた。

 しかし、地球の内部はデータ不足なのか、ろくなメタバースがないので、まだ挑戦していない。


 未来は地球を飛び出して、月面を歩くのが好きだった。なかでも月で最高峰のホイヘンス山の頂上から眺める景色がお気に入りだった。未来はそこで、真っ暗な空に、青く輝く地球をいつまでも眺めているのだった。


 奇跡としか言いようのない、神々しい地球の姿がそこにあった。


 こんなに素晴らしい地球の上では、2032年の今でも、人類はまだ環境破壊と愚かしい戦争を続けているのだった。 


 メタバースには闇の世界もある。怖いもの見たさで、未来もちょっと覗いてみることはあるが、そこでのあまりの醜い光景に驚いて、いつもすぐにログアウトしていた。


 普通なら入国を拒否されるような凶悪なアバターも、そこでは我が物顔に闊歩している。

 いじめや暴力、脅迫、誹謗中傷、殺人、強盗、レイプ、放火から、ジェノサイド、侵略戦争、核戦争まで、この世のありとあらゆる犯罪が、ゲームとしてではなく仮想現実として、じつにリアルに再現されていた。

 そこでは、さまざまな悪魔の仮面を被ったアバター同士が、血生臭い争いを繰り返していた。


 ユートピアメタバースがある一方で、ディストピアメタバースが急速に拡大していた。天国と地獄は、どちらも想像の限りを尽くして、メタバースに再現されている。


 人間の心に、善と悪、愛と憎しみ、希望と絶望、創造と破壊、共存と競争、喜びと悲しみ、信頼と裏切りがあるかぎり、現実世界もメタバースも、結局は似たものになってしまうのだろうか。


 現実世界では仲良くハグしながら、メタバースではアバター同士が殺し合っている。逆に、現実では憎しみ合う二人が、アバター同士で愛し合うこともある。


 なぜ、そんなことができるのだろう……。


 未来には理解ができなかった。未来はときどき、それがメタバースの世界なのか、現実世界の出来事なのか、見分けがつかなくなることがある。


 未来自身のアバターは、メタバースでも未来そのものだった。仮想現実の中で、多少の誇張や羽目を外すことはあっても、まったく違う人間にはなれなかったし、なろうとも思わなかった。ましてや、アバターに殺人や強盗をさせることなど、思いもよらなかった。


「昨日は、ウォーバースで3人殺したよ」


「ぼくは10人だよ。やっぱり最新式のAIマシンは、一度に5人も標的をロックできるから、すごいね」


 と、得意そうに自慢し合う友だちの気が知れなかった。現実世界とメタバースの自分を器用に使い分ける人間を、未来は信用できなかった。


「どうせ仮想世界の話だろう。ゲームの一種だと思えば、そんなに深刻に考えなくてもいいんじゃないか」


 と友だちは言うが、未来にはそれができなかった。

 未来がメタバースでできる楽しみといえば、いつも陽葵と一緒にいるか、現実には行けない場所を旅するか、もはや現実世界からは消えてしまったウナギやビーフステーキを食べるくらいが関の山だったのだ。


「未来! いつまでそっちにいるの。もう戻ってらっしゃい。お昼ご飯よ。早く来ないと冷めちゃうわよ!」


 現実世界から、母の呼ぶ声が聞こえてきた。キッチンの方から、おいしそうな匂いが漂ってくる。

 未来のお腹が、クークーと鳴っていた。


「はーい、今いきます!」



  


  


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