ある日の"未来"

@Rakukasei

第1話 「水」



 あまりの寝苦しさに、未来みらいは目が覚めた。

 汗でシーツがべっとりと濡れている。カーテン越しの日の光は、今日も朝から異様な眩しさだ。


 未来は喉の乾きを癒そうと、冷蔵庫を開けた。


 たしか、まだ少し残っていたよな……。


 冷蔵庫とはいっても、節電で温度が抑えられた箱の中は、開けたときこそ冷気を感じるものの、外気とそれほど変わらない。


 未来は、ほとんど空になったボトルを取り出して、生ぬるい水を一気に飲み干した。これで、今度割り当てのある3日後まで、天然水にはありつけない。


 昔は2リットル入りの大きなボトルもあったようだが、今は500ccしかない。それでも、ないよりはましだ。それがなんと1,100円もするのだ。


 でも、今度買うときには、おそらく、もっと値上がりしているだろう。


 そう考えると、未来はたった今飲み干したばかりのボトルの底に溜まっている、ほんのわずかな水も無駄にしないようにと、ボトルの口から滴り落ちる数滴の水を、舐めるようにして吸った。


 まったく、なんでこんなことになってしまったんだ……。


 ボトルの水がこんなに高くなったのには、もちろん理由がある。


 以前は、水はペットボトルで売られていたが、マイクロプラスチック問題が深刻になってからは、プラスチック容器は全廃され、今はリターナブルのガラス瓶に代わっている。


 そのリターナブル瓶には、集配や洗浄などのコストがかかる。環境改善のための必要経費だとわかってはいても、使う度に100円の使用料はちょっと痛い。


 しかし、ボトルの水の値段がこんなに高くなったのには、もっと根本的な理由があった。


 未来は、いつだったか、SNSで読んだ記事を思い出していた。


 かつて日本は、世界中から大量の天然水を輸入していたそうだ。

 しかし、至る所で降水量が減って、川や湖が干上がるのにつれて、飲み水となる湧水も激減したため、各国は貴重な天然水の輸出を禁止したのだった。だから、今、日本でかろうじて出回っている天然水は、全て国内産だ。


 昔、日本人は、水はただだと思っていたらしい。

 初めてペットボトルの水が売りに出されたとき、

「だれがお金を払ってまで、こんなものを買うものか」

 と、鼻でせせら笑っていたそうだ。


 それが今では、目が飛び出るほど高い、割り当ての天然水でも、必死に買い求めている。


 かつて日本の水道水は、蛇口からそのまま飲める、きれいでおいしい水だと評判だったらしいが、未来には想像もつかない。


 去年から始まった計画断水で、毎日、半日以上は断水するし、ようやく断水が終わっても、蛇口からちょろちょろと出てくる水は、沸かして飲まなければ、とても口にできる代物ではなかった。


 昔、河野 進という詩人が、太陽の光や緑や水や空気や愛を、


「もっとも大切なものは、みなただ」


 と書いたそうだが、今もし彼が生きていたら、いったい、どんな詩を詠むのだろうかと、未来は思わずにはいられなかった。


 大切なものは、失って初めてわかる。今では水も緑も、もっとも高価なものの代名詞だ。


 太陽の光だけは、今もあり余るほどあるが、これもそのうちに、厚い雲が覆い隠してしまうかもしれない。


 地球温暖化は、この先さらに、人類から何を奪っていくのだろう。


 未来は、連日、ニュースで報じられる大干ばつの映像を思い出していた。

 カラカラに乾いて、まるで、表面がめくり上がった瓦のような四角い土の板が、どこまでも大地を埋め尽くしていた。


 もはや異常気象という言葉さえ、滅多に聞かれなくなった。それが異常ではなく、通常になってしまったからだ。世界中が絶えず、大干ばつと大洪水に見舞われている。


 日本もけっして例外ではあり得なかった。

 まるで熱帯地方の雨季と乾季のように、近年では、凄まじいゲリラ豪雨と長い日照りが交互に繰り返している。


 ゲリラ豪雨の雨は、たちまち洪水を起こし、おびただしい水が濁流となって、そのまま海に流れ落ちてしまう。


 あの水を貯めておければいいのに……。


 と未来は思った。


 たしかに、何百、何千もの巨大な遊水池や貯水施設が造られてはいたが、そんなものは、焼け石に水だった。全てを押し流して、水はあっという間に海に消えていく。


 ようやく雨が治まったかと思うと、今度は、何日も何ヵ月も、一滴の雨も降らなかった。

 ダムや貯水施設に溜まった水は、みるみるうちに減っていく。

 そして、また断水だ。


 その繰り返しだった。


 なんで、こんなことになってしまったんだ……。


 未来は苦々しく、同じ言葉を繰り返すしかなかった。


 この年、2032年は、ローマクラブが第1回報告書で「成長の限界」を警告してから、60年が経っていた。

「100年以内に地球上の成長は限界に達する」

 との予測は外れ、40年も早く、その時が来てしまった。


 いったい、人類はその間、何をしていたんだ……。


 未来には、疑問を通り越して、怒りに満ちた感情が沸き上がってくるのを、抑えることができなかった。


 未来は試しに、水道の栓をひねってみたが、断水はまだ続いていた。


 ちぇ!







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