マダム・エクランの不思議な箱の店
新巻へもん
第1話 マダム・エクラン
大通りに面してひっそりと佇むお店は不思議なお店でした。
可愛らしいレースのかかった出窓には、色とりどり、大小さまざまな箱が飾られています。
見ているだけでワクワクするお店ですが、一体何のお店でしょうか?
魅力的で楽しそうな雰囲気ですが、屋号も取り扱い商品も表には書かれていません。
同じ通りにあるパン屋さんでは当たり前ですがパンを売っています。
窓ガラスから見える棚には、美味しそうなパンが並んでいますし、看板にはベーカリーの文字が書いてあり、誰にでもここが何のお店か分かるでしょう。
それに3軒向こうからも分かるほど小麦の焼ける香ばしい香りが漂ってきています。
思わずお腹が鳴ってしまいそう。
でも、気をつけて。あのお店のパンには一度口にするともっと食べたくなってしまう魔法がかかっているという噂があるんです。
その噂を証明するかのように、パン屋さんにはひっきりなしにお客さんが出入りをしていました。
それにひきかえ、この箱が飾られたお店には、朝から誰も入っていきません。
お昼になって、美味しそうな匂いをさせる紙包みを持った人が通るようになっても、道に長い影ができるようになっても誰一人足を止めることさえありませんでした。
実はこのお店、普通の人には見えない魔法のかかったお店なのです。
誰かが本当に困っているときに、このお店は扉を開くのでした。
それでなんのお店ですって?
あら、お客さんが来たようです。
まだ若い娘さんが通りを走ってきました。
粗末な服を着ていますが、とても可愛らしい顔をしています。
でも、今はその顔を青ざめさせて周囲を見回していました。
すると、素敵なお店のショーウインドウにパッと灯りが灯ります。
その灯りに娘さんははっとしました。
窓ガラスにくっ付かんばかりの様子で中に飾られている赤い箱を見つめています。
娘さんは少し窓から離れると小首を傾げて店構えを観察しました。
とても素敵で可愛らしい店構えです。
自分の継ぎの当たった服を見下ろして、またお店を見ました。
どうやら、自分のような格好の者が入っていいかどうかを逡巡しているようです。
どこからか現れた黒猫が立ちすくむ娘さんの足元を体を擦りつけながら8の字を描くように歩き回りました。
「あら? とても美しい猫だわ」
娘さんが屈んで手を差し出すと猫は頭を押し付けます。
しばらく喉を鳴らしていましたが、猫はぱっと飛び出すとお店の扉のところに走っていきました。
前脚で木の扉の隅を押しながら振り返ります。
「にゃーお」
まるで入っていらっしゃいというように鳴くと黒猫は猫用の小さなくぐり戸を押してお店の中に入っていきます。
それに勇気づけられたのか、娘さんはお店の扉に近づきました。
大きく息を吸うと意を決したように重厚な木の扉を押します。
ちりんちりん。
来客を告げる軽やかなベルがなりました。
娘さんはお店の中へと入っていきながら声をかけます。
「こんばんは」
天井から下がるガス灯に照らされたお店はとても居心地が良さそうです。
正面のカウンターに立つ女性が笑みを見せました。
「マダム・エクランのお店にようこそ」
紫色のシルクのドレスをまとったマダム・エクランは凛とした気品があり、娘さんは気おくれしそうになります。
マダム・エクランは両手の拳をぎゅっと握りました。
「ここのところ、ずっと閑古鳥が鳴いていたの。お客さまに来ていただいて嬉しいわ。さあ、こちらにいらっしゃって」
娘さんの足元に黒猫がやってきて一声鳴くと、カウンターへと誘導します。
おずおずと近寄ってきた娘さんにマダム・エクランはスツールに座るようにと促しました。
「私がどれくらい喜んでいるかお分かりになるかしら? お客さまのお求めになりたいものは何でしょう? そうだ。その前にこちらを召し上がってみませんこと?」
マダム・エクランはカウンターの上に置いてあった小さな四角い箱に手を添えます。
娘さんに何か分かるかしらというように口角をきゅっとあげました。
少し間をおいて蓋を開けてみせます。
「わあ」
娘さんの口から嘆声が漏れました。
縦3列横4列の区切りがされている中には12個のチョコレートがまるで宝石のように行儀よく並んでいます。
「さあ、お一つどうぞ。私も頂くわ」
マダム・エクランは細い指でチョコレートを摘まむと口に入れました。
娘さんはさあと促されて端のものに手を伸ばします。
ヒビやアカギレのある手です。
マダム・エクランと見比べてみすぼらしいことに引け目を感じながら、娘さんはチョコレートを口に入れました。
甘さが舌の上に広がります。
滅多に食べることのできない高級品に、娘さんは思わずうっとりしました。
ただ、ゆっくりはしていられません。
すぐにお店に入ってきた目的をマダム・エクランに話をします。
「あの、変なお願いなんですけど、あの窓際に飾ってある赤い箱だけを売って頂けますか?」
マダム・エクランはそれには返事をせずにカウンターを回って出てくると窓辺に歩み寄りました。
ショーウインドウから赤い革の箱を掴むと戻ってきてカウンターの上に置きます。
マダム・エクランはにこりと笑いました。
「ええ、もちろんよ。だって、ここは箱を売るお店ですもの」
***
KAC参加作ですが続きます。
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