シードル異世界探索録
カツオなハヤさん
第1話 冒険の始まり
「ねえお母さん!本読んで!」
「はいはい、わかりました……またその本なの?」
「うん!」
ある小さな集落にある民家、その一部屋にて幼い子供がその体躯には不似合いな、大きな大きな本を持って母親に読み聞かせするよう求めていた。その本は丁重に作られた金細工を施された見事な作りであり、決して粗雑な民家に置かれていいような代物では無かった。現に、幼子の母はその本の持つ価値を知っていた。かつては一国…1つの世界にも匹敵する程の価値を備えていたのだ。それこそ、王国の中央図書館に寄贈すべき物だが、今やその価値は失われている。比較的大きな都市に行けば、そこにある書店で買えてしまう程にまで世界中に流通しているものだ。
「だってこれ本当に面白いんだもん!世界って、こんなに広いんだって教えてくれる本だよ?」
「そうね…本当に、この世界は広いもの」
はしゃぐ幼子の緋色の髪の毛を優しく撫でながら母は懐かしむように、その本を眺める。金で刺繍された、本のタイトルは──『シードル世界探索録』と刻まれていた。
昔々、遥か昔。未だ
誰1人として立ち入ることを禁じられたその土地、その一つに「巨人の森」というものがある。曰く一国の城を優に上回る巨木が乱立する森である。曰く、その森にある木々は移動する、一度足を踏み入れれば無事に帰ってくるのは不可能。多くの噂が跳梁跋扈する巨大な森の中を歩く2つの人影が巨大な木々の根の上を歩いていた。その風貌は緑と白のまだら模様をしたフードを羽織り、顔には布と複数の道具が組み合わさったガスマスクを着けていた。そんな2人組は道なき道を歩きながら会話─否、1人が一方的に話しかけていた。
「先生、先生!この森いくら何でもデカすぎません?てか荷物を1人に持たせないでください私死にますよ!?」
「………」
片方は燃えるような緋色の髪を肩までの長さに整えた少女で、背負う荷物は彼女の背丈を上回っているが何の苦もなく歩いたりジャンプしていた。そんな彼女が話しかけていたのは、少女より頭ひとつふたつ高い巨躯の寡黙な男だった。男は何かを必死にノートにまとめており、少女の話は眼中に無い様子だった。
「先生ぇ……シードル先生っ!」
「……静かにしろ、ネイム…喰い殺されるぞ」
少女─ネイムの声が大きくなったのを男─シードルは嗜め、ある一点を指差した。ネイムがそちらの方を見ると、そこに居たのは巨大なムカデだった。だがそれは、単なるムカデとは段違いだった。まるで巨大な山脈にムカデの脚が無数に付いているような異形でありながら、一つの村落程度ならその幹に収まりそうな巨木に何重にも巻き付く巨体を持っている。そんな、人界に現れれば人類が絶滅してしまいかねない怪物を視界に収め、ネイムは涙目になりながら必死に口を押さえる。自分が漏らす、ほんの僅かな音を必死に遮断しているのだ。とはいえ運が良かったのか、そのムカデはこちら側には気付いておらず、その場から動くことは無かった。
「……ネイム、ここは
シードルの怒りを込めた圧を受け、ネイムは必死に頷くことしか出来なかった。同時に、なんでこんなことに…と内心で今の自分の境遇を恨むのだった。
時は遡り、数ヶ月ほど前。
「……奴隷が欲しい。頑丈で…身体能力が高い者……悪環境でも難なく活動出来る者を……頼む」
「頑丈で…いや、お客さん…それを奴隷に求めるのは流石に酷だと思うんですがね……」
「何に使うかはあっしには分かりませんが、オススメのがいますよ……フィアリベル族の女がね…」
「フィアリベル族………あの南部の…絶滅戦争で、滅んだと聞いたが……」
フィアリベル族のことは、シードルはよく知っていた。
店の奥に備え付けられた檻の中に、10代半ばの1人の少女が居た。1美しい容姿に、燃えるような緋色の髪の毛。フィアリベル族の特徴に当てはまっていた。
「……純血か?」
「ええ、値打ちものですよ……いかがなさいます?」
怒りを込めて睨みつける少女を尻目に、問いかける店主。シードルはその答えを言葉ではなく、手渡した金銭で答えた。それを受け取り、店主はニヤリと笑みを浮かべる。
「毎度あり」
「おい、ゴシュジンサマ」
「………シードルだ、そう呼ぶか…先生と呼べ」
少女を購入したシードルは自宅に戻り、書類や食料、飲料等を大きなリュックに詰め込んでいた。そんな中少女は手持ち無沙汰になり、部屋の真ん中で突っ立っていた。
「…シードル先生、私は何をすればいいんだ。奉仕でもすれば良いのか?」
「違う……護衛と、荷物持ちだ……」
「は?」
奉仕─女奴隷の仕事として主要なものを挙げた少女だが、シードルはそれを否定する。ここに来るまでに嫌悪を抱きながらも覚悟を決めた少女からすれば、その否定を聞いて驚きを隠せなかった。
「護衛って、どこ行くんだよ…先生は」
「……
どこに向かうかとの問いに放たれた答えを聞いて、少女は吹き出した。
「嫌だ!あんなとこ行きたくない!店に戻してくれよ先生!…っ痛ぅ……」
「既にお前の…所有権は、俺が持っている……断れば死ぬぞ?」
突然首を押さえしゃがみ込む少女。必死に押さえる手の下にあったのは、黒い紋様─奴隷紋だった。奴隷が主人に反逆を企てることのないように施される魔術契約だ。これがある限り、少女はシードルに逆らえない。
「安心…しろ、仕事が終われば……解放してやる」
「ほん、とか…?」
不安に満ちた質問に、シードルは頷きで返す。
主人と奴隷の関係を表す奴隷紋だが、逆に言えば奴隷紋を破棄すると主人が明言すればその時点で契約は解消される。そのことを少女に告げ、シードルは止まっていた準備を再開する。黙々と続けるシードルに対し、少女は許されるだろうか…と不安に思いながらも質問をする。
「……何の為に、あそこに行くんだ?」
人間が好き好んで地獄に向かうとは到底思えない。破滅主義者であっても、
「……知りたいということに、理由が必要か」
この男は知りたい、見たい聞きたい触りたい感じたい──未知を既知に塗り替えることこそを手段としてではなく、目的としているのだ。それを使って世界を変えようとも、巨万の富を稼ごうともしていない。知りたいという欲望に忠実に従っているのだ。そんな人間が、居ていいのだろうか?そう悶々と少女が考える中、今度は逆にシードルが少女に問いかける。
「……そういえば、聞いていなかったな。お前…名前は何という…」
「……奴隷が名前を名乗れる訳、ねぇだろ」
「……そうか。名前は、重要なのだがな……」
奴隷とは、個人の持つあらゆる物を放棄して道具に成り下がることを指す。その為、元々少女の持つ名前は既に捨てられた。名乗ることすら許されない、道具が個別の名前を持ち、使うなどあり得ない。それがこの世界の決まりだった。だが、シードルからすればそんなものはどうでもいい。
「名乗れぬなら…与えてやる。……そうだな、
短く考え、そして少女に名を付ける。
「お前は、俺と契約を結ぶ間は……ネイムと、名乗れ……名を取り戻す、その時までな……」
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