SS 千秋、ラーメン食べないか?

 昼休みの学食は、戦争である。


 育ち盛りで腹も空かせた猛獣達がわれ先に、とできる限りカロリーの高いメニューをとり合って、ついでに席も取り合って、まあ見苦しい。むさ苦しい。

 ここは中高一貫の男子校。共学で、女子もいたら、少しくらい文化的になるのだろうか。


 そんなことを考えながら、千秋は悠々と食堂の中を歩く。千秋は、我ながら美人の母に似て、そんじゃそこらの女優に負けないくらいの綺麗な顔をしている。好きな食べ物は、フランス料理、とか言っても通じる顔をしている。


 事実、フランス料理はよく食べる。父の教育方針で、「礼儀作法は完璧であればあるほどいい」というので、家族全員でしばしば、ドレスコードを守らなければならないレストランやホテルに食事に行って、そこでよく食べる。


 でも、好きかと言われると微妙な所だ。嫌いではない。美味しい。でも、大好きか、と言われると違う。そこにあるから食べているだけ、というのが正直な所だ。


 弟なんかは、内心父親が選んでくる高級レストランやホテルの食事を嫌がっているらしい。前、外食に向かう際の道中で通り過ぎたファミリーレストランを、羨ましそうな顔で見つめていた。


 それならそれで両親に言ってみれば、と思うのだが、その勇気はあいつにはなさそうだ。まだ小学生だから、とは言い訳できないヘタレさをあいつからは感じる。そんなんで、まともな大人になれるのだろうか。


「千秋、お疲れ」


 そんな事を考えながら、千秋はお目当ての人間を見つけた。そして、彼の真正面の席に座る。椅子の上に置いてあった親友の荷物は、ありがとう、と言いながら、真正面の椅子に座る親友、籤浜伊吹に返したのだった。

 そして、机の上を見下ろす。そこには、千秋が伊吹に頼んでおいた、今日のランチAセットが置かれていた。


「お釣り返すよ」


 伊吹は、そう言いながら手を伸ばす。千秋も自分の手を差し出すと、千秋の手の中にお釣りの小銭がじゃらりと収まった。その際、伊吹の手と少しだけ触れる。暖かかった。手が大きい。


「伊吹、俺の昼食、注文してくれてありがとうね。担任に捕まっちゃってさ」

「何か頼まれたのか?」


 そういいながら、伊吹は自分の弁当の包みを開く。弁当の蓋を開けると、卵焼きやシャケなどが入った伊吹の分の昼食が見えた。


 いただきます、と2人揃って手を合わせてから、箸を手に取る。


「今度行く課外授業でさ、講演聞くだろ。それが終わった後、講師に生徒代表が記念品贈呈するらしいんだけど、その生徒代表をやってくれって」

「ふうん。いいんじゃないか?」

「一言、講演の感想も言えって。うたた寝ができない」

「初めからするなよ、それは」


 伊吹は、笑いながら言った。


「生徒代表、やるのか?」

「……まあ」


 千秋は、ちらりと伊吹を見た。

 伊吹は、背筋を伸ばして、綺麗な箸の持ち方で、弁当のシャケに箸を入れている。所作が綺麗だ。食事だけじゃなく、伊吹は常に姿勢が良くて、立ち振る舞いが綺麗だった。


 だから、担任から生徒代表を頼まれた時、自分は断って伊吹を推薦しようかな、と一瞬、思った。講師がいる壇上に登って挨拶をする伊吹はきっと立派だろう、と。


 でも、やめた。伊吹を推薦するなら、自分がやればいい、と担任の頼みに頷いた。


 だって、伊吹を表に出して目立たせたくなかった。折角、千秋は伊吹の学校の唯一の友人で親友になれたのだから、目立たせて他の奴らを伊吹に近寄らせたくなかったのだ。


 そんな千秋の内心を知らず、伊吹は変わらずの姿勢の良さで食事をしている。そんな伊吹の姿に、下級生が、ほう、と憧れの眼差しを向けたが、千秋はそいつを睨んでやった。その下級生は慌てて逃げた。ちょろい奴だ。弟の様だ。


「千秋?」

「なんでもないよ伊吹」


 千秋は、そういいながら食事を進める。

 学食にナイフとフォークはないから、ハンバーグという洋食でも箸で気取らず食べる。まあ、箸しかなくとも、千秋だって礼儀作法は良ければ良いほどいい、と思っているから、綺麗に食べるが。


「あ、そういえばさ、千秋」

「ん?」


 伊吹は、珍しくその黒い目をキラキラさせていた。それに、千秋は食事の手を止めた。


「ラーメン、食べないか?」

「は?」


 ラーメン?


「……お腹空いてるの、伊吹」


 千秋は、ちらりと背後を見た。今日のラーメンの所には、完売、の札が掛かっていた。


「今じゃないよ。ええっと……あ! 今週の土曜日、半日授業だったよな。ラーメン食べに行こう」


 伊吹は、珍しく顔と目をキラキラとさせながら、千秋に初めて自分から遊びに誘った。


「ラーメン……。どこの?」


 ええと、と千秋は頭の中で、自分の中のラーメンのラインナップを漁る。某有名ホテルの中華レストランのあそこはどうだ、とか。以前父に連れられて行ったあそこのレストランはまあ美味しかった、とか。ラーメンはなかなか手のかかる料理らしくて、父は楽しそうに、提供してくれた料理人の話を聞いていたのを思い出す。


 どこも、事前の予約が必須だが、今週の土曜日の昼でラーメンを食べさせてくれるだろうか。金は父に事前に言えばツケでなんとかなる。というか学生服であそこのホテルとかレストランって入れるかな、とか色々考えを巡らす。


 まあ、少し手間が掛かるが、珍しい親友のおねだりだ、なんとかなる。というか、なぜか伊吹に会いたがっていた父がこれ幸いと現れない様に対策を取らないといけない。親友と楽しい外食に余計な水をさされたくない。


 そして、千秋の中で、ラーメンといったらあそこが一番かな、と思いついた、一平方メートルの地価うん千万の土地に店を構えるレストランの名前を口に出そうとした、瞬間、伊吹の方が口を開いた。


「野菜デカ盛りラーメン」


 ……ん?


 千秋は、親友が一体何を言っているのか、一瞬わからなかった。


「あのさ、今大学生のおじさんが教えてくれたんだけどさ」


 伊吹は、ドキドキとキラキラが混じった様な表情で、千秋を見つめている。


「駅前にさ、あるんだって。野菜がもう、山の様に高く盛られてさ、麺がすごく太くてさ、スープはこってりしてて、ニンニクも沢山の、ラーメン」


 伊吹の弁当に千秋は視線を落とす。

 半分ほど手がつけられている。卵焼きにシャケに小松菜の炒め物に、漬物に。和食だな、と思う。伊吹は祖母と2人暮らしだから、自然とそういうメニューになってしまうらしい。


「野菜モリモリ油モリモリニンニクドカドカっていえば! 食べきれないほどの! ラーメンが!」


 それは、ラーメンなのだろうか。


 千秋の中のラーメンは、和牛が乗っかっていたり、伊勢海老が乗っかっていたり、かと言えば時間をかけて旨みを抽出した出汁で作ったシンプルなラーメンだったりするのだが。


 野菜モリモリ? 麺が食べづらくないか?

 油? 胃がもたれるだろう。

 にんにく? 香味野菜はあくまでも添え物だぞ伊吹。どかどか入れるものじゃないぞ伊吹。


 視線を感じて、ちらりとそちらを向けば、同じクラスの、なんかちょくちょく伊吹に話しかけようとしてくる男が、こちらを見ていた。ごくり、と何かを思い出したかの様子で喉を動かしていた。

 そして席を立つ。こちらを見ている。伊吹に、話しかけようとしている。


「分かった行こう俺と2人で伊吹!」


 千秋は、瞬時に伊吹に賛同した。

 

 早口で言ったから、ちゃんと伊吹に伝わっているか心配だったが、伊吹にはきちんと伝わった。顔がパァっと明るくなり、「うん!」と嬉しそうに頷いた。


 その顔を見ると、「流石に冗談だろ」とか、「そんな訳のわからんラーメン食べるよりも俺が知ってるレストラン行こう」とか、伊吹に言おうと思っていた言葉が瞬時に消えていく。そして、近寄ってきた同級生を睨む。同級生は「まーたお前は籤浜を独り占めして」とため息をついてから、千秋と伊吹から離れて行った。

 

 うるさい、と千秋は、実は昔から知ってる同級生を睨む。あいつもどこぞの企業の社長令息で、昔から顔馴染みなのだ。

 千秋はそんな事より、と伊吹に向き合って笑みを作った。


「その、野菜がたくさんなんだね?」

「そう! おじさんは、事前に腹を空かせておけって!」

「麺が、太い」

「食べ応えがあるよな!」

「油、が」

「こってりしてるだろうなぁ」

「にんにくが」

「あ、おじさんは歯磨きセット用意しておいた方がいいってさ」

「夕飯入るかな」

「ばあちゃんには、夕飯はいらないって言っておくよ。きっと楽しんでおいでって行ってくれるだろうなぁ」


 伊吹はもう土曜日が楽しみで仕方がない、という感じでキラキラしている。


 それを見ると、千秋もなんだか楽しみな気もしなくもない。駅前なんて、千秋が普段寄りたくもない汚い店も多いのだが、伊吹の頼みだ。親友の、将来の部下のおねだりだ。なら、聞いてやらねば。


 千秋はそう思うと、昼食を食べ進める。伊吹も「あ、早く食べないと昼休憩終わる!」と祖母が作ってくれた弁当を食べる。


 犀陵千秋、14歳。

 初めての、高級料理店以外の外食の約束であった。

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