第14話 し、死んだ……

 照れくさそうに頬を掻く上野を見ながら、俺は考える。

 廃墟で行った降霊術が原因で化け物に付け狙われているのか? そうなると、こいつの前にお姉さんとやらの命が危なそうだ。関係性から見て、同時進行で狙われているか、すでに命がないかのどちらかだろう。こいつは中学生時代隣の市で祖母と暮らしていたらしいから、多分、こっくりさんが原因だとしたら、女の方は既に死んでいる。


 (それか、こいつよりも遠方に引越しなりなんなりしていて、運よく逃げ出しているか)


 だが、引っ越したくらいで追って来れなくなるような雑魚が、こんな禍々しい気配をさせるものだろか?

 いまいちしっくりこない。もっと別の原因がある気がする。勘でしかないが、こういうことに関して俺の勘はよく当たる。


「ところであの、気になってたんですけど、先輩、幽霊ってどんな感じに見え……」


 心底どうでもいいことを聞こうとした上野が身を乗り出す。そして、左肩を押さえて硬直した。そこには手が乗っている。ミシミシと音が出そうなほど強く上野の肩を掴んだそれが、奴の体を強引に引っ張っているようだった。


「おい、その手……」


 そして、足音が、聞こえてくる。


 ぺた ぺた ぺた ぺた ぺた ぺた ぺた ぺた ぺた ぺた ぺた ぺた ぺた


 スマホの時計を見る。いつの間にか、十一時三〇分になっていた。

 化け物が出る時間だ。

 足音は公園に向かってくるように、だんだんと大きくなっている。


 ぺ た ぺ た ぺ た ぺ た ぺ た ぺ た ぺ た ぺ た ぺ た ぺ た ぺ た ぺ た


 上野の左肩に乗った手は、上野の体をしきりに引っ張っていた。痛いのだろう、さっきまでの笑顔が嘘のように、奴は顔を顰めている。


 ぺ  た  ぺ  た  ぺ  た  ぺ  た  ぺ  た  ぺ  た  ぺ  た  ぺ  た  ぺ  た  ぺ  た


 足音は着実に上野に近づいてきている。そして、左肩の手は上野をどこに連れていきたいのかわかったもんじゃない。こうして実際に双方を近くで見てわかった。間違いない。

 別口だ。

 こいつらは、足音と気色の悪い手は別々の化け物だ。


 眉間に皺がよる。頭の血管が一本くらい切れたような気がした。もう不機嫌な顔を隠すつもりはない。今まではちょっと前まで中坊だった奴を怖がらせないよう気を遣っていたが、もう知ったこっちゃなかった。

 俺の顔を見た上野の表情が引き攣る。顔が青ざめ、化け物を見たかのような怯えた目をしやがった。


 知ったことか。騙す方が悪い。


「上野、てめえその左肩、別口じゃねぇか。黙ってやがったな」


 俺の口から、俺でもちょっと引くような低い声が出る。

 だが、自分が殺されそうな時に自分を殺すかも知れない奴を庇ってるバカがいたら誰だって腹が立つだろう。人間同士だったら犯人隠避、今後も複数の人間の命を脅かすのは確定だから、もっというなら犯罪幇助だ。犯罪だ。バカ野郎が。テメェも同罪だクソ野郎。


「そっちも放っておいたら近いうちに死ぬぞ。この後逃げた先で全部ゲロらせるから覚悟しとけよ」


「し、死んだ……」


 上野がつぶやく。


「寝ぼけてんじゃねぇぞクズが。死なせねぇために吐かせんだろうが。死にてぇならその後勝手に死ね」


 上野の左肩の手が、さっきより必死に上野の肩を引っ張っているように見えた。こいつはこいつで何考えてるのかわかったもんじゃねぇ。テメェはもう死んでんだから潔く死ね。


 ぺ   た   ぺ   た   ぺ   た   ぺ   た   ぺ   た   ぺ   た   ぺ   た   ぺ   た   ぺ   た


 音が近づいてきている。とりあえずあいつらのことは後回しだ。今は足音の化け物に集中しないとマズい。


「かっ、神田先輩っ!」


 上野が切羽詰まった様子で叫んだ。公園を出てすぐの歩道に化け物がいる。人のパーツで出来たトカゲのような造形だった。地面についているのは二本の手と二本の足。それぞれの付け根は腐って痛いんでいる。赤黒くぐちゃぐちゃの胴体は肉をこね合わせたような湿度で、腐り落ちる寸前のような嫌な色をしていた。頭のてっぺんに歯を剥き出しにした口があり、憎々しげに叫び声をあげてる。


「朽ッ、苦ソ蛾奇ッ! クソガキッ! コココッ、転ッ、蠱髏ッ、殺シッ、殺してヤ鶹ッ、殺シテヤルッ!」


 上手く聞き取れないが、殺意が旺盛なようだ。声からして男だろう。波打つ肉塊の波紋に乗って、その口の近くにもう一つ別の口が近づいてくる。どうやら人間のパーツはそれぞれ体のいたる場所に移動できるらしい。こちらの口は女のようだ。唇に少し色がついている。


「蚓、ズ、ずっトいっショ、ズっ屠イっしょ……」


 声色を例えるなら、ドロドロに煮詰まって焦げた水飴だ。一度着いたらまとわりついて離れない、水で洗っても落ちない甘ったるい汚れの塊。媚びるような笑みを浮かべて、殺意の溢れ出る口にへばりついていた。


「欝、スて、すて儺ィデェ、すテな異で、叉瞰、さみしィの……ケー麕、ケェエエェェェエクウゥウウンンンンン――」


  舌打ちする俺の横で上野が目を見開いた。化け物はノロいものの着実にこちらへ向かってきている。俺に祓えるとは最初から思ってなかったが、これはさすがに――早く逃げねぇとマズい。


「おい上野急げ! 逃げるぞ!」


 奴の目線は化け物の背中、正確にはそこから生えている青白い手に注がれていた。羽根でも気取るように生えた二本の腕は、歩くのに使っているのと同様付け根がボロボロに腐って、溶けたチーズのような気色の悪い糸を引いている。手首には直線を描く傷がいくつも走っていた。おそらくリスカ痕だ。あれがある幽霊は大抵生前から粘着質なので5割り増しで厄介になる。歩くのに使っているのとは別の青白い足も二本生えているが、そっちは歩くのに使っている足に絡みつくようにして生えていた。


「走るぞ!」


 固まっている上野の腕を引っ張って走り出す。幸い化け物の動きが遅いから逃げ切れるだろう。上野も呆然としながら、それでも足は動かしていた。最悪地面を転がして引きずって行くしかなかったのでありがたい。それでも奴の視線は化け物に釘付けではあったが。


「お……姉、さん……?」


 上野の口から溢れた言葉に関しては、駅前についてからその他諸々とまとめてとっちめようと思う。

 今はひとまず逃げるのが優先だ。幸い、化け物の目的は上野であって上野の家族ではないということは今確定した。なぜなら逃げる俺たちを追って、上野の家とは反対方向に向かっているからだ。

 駅までは走れば十五分くらいで着く。運動部でもない人間には少しキツいかも知れないが、なんとかなるだろう。

 化け物は見かけ通りトカゲのように身をくねらせ、思いの外素早い身のこなしで俺たちを追いかけてくる。本物のトカゲほど素早くはないが、あのちんたらしていた足音よりは早い。


「クソッタレが!」


 すぐ取り出せるようにポケットへ突っ込んでいた札をトカゲに投げつけた。奴の顔面めがけて飛んでいった札がピタリと張り付く。


「ギャア亞ァッ! 伽ァァアあァァ吾ァ吾ッ!?」


 悲鳴が聞こえた。決定打じゃない。せいぜい足止め程度だ。

 しかし、それにしたって手応えがなさすぎる。妙な煙が出て異臭が立ち込めてはいるが……すぐ持ち直すだろう。俺の手に負えないといったって影響が少なすぎる。影でも相手にしているようだ。


(影か……)


 本体が別だと考えた方がいいな。これだけ気色悪い見かけをしてるクセに、上野の肩にへばり付いてる手より気配が薄い。

 ということは、ダメージも少ないはずだから、すぐに追いかけてくるはずだ。


「本気で走れ! 追いつかれるぞ!」

「はっ、はい……!」


 中途半端に人間の形を保っている分、トカゲのような動作はそれだけで気色が悪い。デカいからなおさらだ。

 あれは、人間二人分が混ざってできてるってことか? あの粘着質な女の方が何かしでかしたか。殺意があるのは男の方だが、上野が反応したのは女の方だ。縁があるから狙われたと判断して間違いなさそうだが、原因の縁はなんだ?


「せっ、先輩っ、あの、息が苦しいですっ……!」

「止まったら死ぬと思え!」

「そんなぁ!」


「クククククククククク苦疎娥軌キキキキコロコロ蠱髏蠱髏コロシテテテテテテ」

「欝テ莫ィでェ、鋤テ无ィデェ……」


 ペタペタペタペタといつまでも足音がついてくる。気色悪い声の二重奏がうざったい。駅前に近づいて街灯や店の看板が増えてきて明るくなってきているのに、化け物は追撃の手を緩める気はないようだ。十二時近いということで、人が少ないのも原因かも知れない。

 こっちは生身だから走るほど体力を消費するが、あの化け物は疲れというものを知らないらしい。奴との距離がどんどん狭まっている。声がすぐ近くで聞こえてくる。背中から生えているらしい青白い腕が赤黒い糸を撒き散らしながら上野と俺に手を伸ばしていた。目玉が四つ、顔の部分に密集してこっちを見てくる。頭のてっぺんから動く様子のない口が、両方ともガチガチと大きく歯を鳴らしていた。笑っているのか、威嚇しているのか。


「クソがっ……!」


 死んでるくせに何様のつもりだ。なんて腹の立つ。怒りで体力が回復したような気がした。上野の腕を引っ張って、あと数メートル先のビルへ真っ直ぐ進む。


「すぐ二階に駆け込め!」

「はっ、はいっ!」


 自動ドアが開くと同時に上野をビルへ押し込める。カウンターの店員が目を見開いたが、構っていられるか。すぐ背後に化け物が迫ってきているのだ。


「コココココ蠱髏蠱髏蠱髏蠱髏蠱髏蠱髏ロロロロロロロ」


  青白い手が俺の眼前に迫っている。

  このままだと一緒に自動ドアを潜ることになるかも知れない。そうなれば最悪だ。折角建物の中に逃げ込んで凌ごうと思っていたのに全てが水の泡になる。こいつは多分、自分で扉の類を開けることはできない。こういうタイプの化け物は大抵そうだ。扉の類に弱い。扉に限らず、境界線という概念に弱いのだ。こいつは本体が別口だからダメージを与えられないが、代わりにこういう奴らは法則みたいなものにもめちゃくちゃ弱いのだ。


 (くたばれ!)

 

 胸ポケットに入れていた酒入りのアトマイザーを取り出し、トカゲの化け物に向けて噴射する。案の定トカゲは自動ドアの前で怯み、男の方の口が短い悲鳴をあげた。


「……虫……蜂が、追いかけてきまして……」


 驚きを通り越して怪訝な顔をしている店員に形ばかりの言い訳をして、ハンバーガーのセットを二つ注文する。順番待ちの札を持って二階のイートンインスペースへ行くと、上野がすぐに駆け寄ってきた。


「せっ、先輩っ! 大丈夫でしたか!? あの、すいませんっ、先に逃げて……」

「お前が狙われてるんだからお前が先に逃げるのは当たり前だろうが。一応飯買ってきたから、とりあえず腹に入れるぞ」

「あ、ありがとうございます……あの、奢らせてください」

「いや、いいよ。俺が勝手に買ったんだから」

「お願いします。助けてもらったので」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」


 窓側の席に移動して、店の外を覗き込む。

 トカゲの化け物が入り口の前でウロウロしていた。こっちを見上げた顔のあたりで口が何やら動いているから、おそらく文句でも言っているのだろう。


「あの、アレって、僕ら以外の人には見えてないんですか……?」

「ああ。俺は元々見えるタチだし、お前はアレと縁がある上に狙われてるから見えてるだけだ。他の奴には見えてない」

「そうなんですね……」


 トカゲの化け物は、俺たちの注文した飯が来るより前に気色悪い歩き方で帰っていった。十二時過ぎでよかった。客の出入りが激しかったら、自動ドアの開閉に紛れて入ってきたかも知れない。


「お待たせいたしました。ハンバーガーセットお二つお持ちいたしました」

「ああ、どうも」


 フライドポテトとハンバーガーと炭酸飲料が二つずつ、狭いテーブルに置かれた。上野は俺に二人分の金を押し付け、少し暗い顔をしている。

 俺は腹が減っていたので、まずハンバーガーの包みを開くことにした。


「何がいいかわからんから無難なもん選んでおいたぞ。食い足りなかったら追加で頼め」

「はい、ありがとうございます……」


 ジャンクフードは久しぶりに食べるが、夜はやたらと美味く感じるな。いや、久しぶりだから美味く感じるんだろうか?

 上野は頭を抱えている。まあ、家に毎日近づいてくるのとは別の疲労感があるだろうな。追いかけられるのは。

 俺が食っている間、上野は頭を抱えたまま硬直していたが、やがて硬い表情で顔を上げる。


「先輩、結構長い話になるんですけど……いいですか」


 俺は黙って頷いた。俺が食い終わるまでに決心しなければ、しばき倒してでも吐かせていた所だ。命拾いしたな、上野。

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