第38話 私の声だけが響いた

その日から私は、学校が始まる8時半、10分前に昇降口で待って、園田さんを出迎え、車いすに乗せて校内に入り、吉田君の手を借りながら4階の1年B組へと連れていく日々が始まった。吉田君は、私と園田さんのことを心から応援していて、朝の手伝いも不平一ついう事無く手伝ってくれた。そんな、吉田君には本当に頭が上がらない思いだった。担任の先生も、気遣ってくれて、私の席を園田さんの席の隣へと変えてもらって、自由の利かない園田さんの介助を認めてもらっていた。授業は、ほぼ、重いものはもちろん、教科書を鞄から出すのさえ、園田さんは苦戦するようになっていた。そんな、日々自由が利かなくなっている自分に園田さんは、悲しみとまた、悔しさが顔に出ていた。そして、ほんの簡単な事さえできない自分に絶望すらしていたのかもしれない。そんな、園田さんに私は、笑顔で園田さんと一緒に教科書を開いて、腕が自由に動かせない園田さんの為に、園田さんの分もノートを板書したりした。お昼ごはんには、園田さんのお弁当と私のお弁当を一緒に広げて、互いに他愛もないことを話しながら、おかずを交換したりしながら、園田さんの口へ箸を運んだ。そんな、ほぼできることが、食べることや話すことくらいしかできなくなった、園田さんの唯一の楽しみは部活の時間だった。音楽室に来ると、園田さんの顔がぱぁと明るくなって、自然と笑みがこぼれていた。


「藤村君、本当に珠洲先生ってすごいね。私が入院している間にこんなに変わるなんて思っていなかったわ。」


と、課題曲の指揮を振っている珠洲先生を眺めながら何回も何回も部活が行うたびに繰り返していた。私は、園田さんの学校の介助をすることを決めたとき、部長と副部長と珠洲先生に、残り僅かな園田さんのために、楽器を休むことを申し出て、三人とも反論はしないで黙って受け入れてくれた。みんな、本当に判っているんだと思う。園田さんがあと残り時間がそう多くないという事が。合奏中にクラリネットのメインメロディーが来るたびに、園田さんは、まるで自分が吹いているかのように、目を閉じながら、わずかに指を動かしていた。そんな、園田さんを見るたびに、私は自分の無力さが痛いほど感じずにはいられなかった。そして、私以上に恐らく、園田さんはどれほど悔しいのか想像ができなかった。ほんの数か月前までには将来を待望された天才クラリネット奏者が、今では楽器すら手にできないという現実に。


日を追うごとに、園田さんの体は筋肉が落ちて、枝の様に細く脆くなっていった。時はもう秋で、吹奏楽部は全県大会を突破して、東北大会へと出場して、数年ぶりの快挙と湧いていたが、その笑顔も単純な出場という喜びではなく、園田さんの想いを背負っての園田さんへのエールとしての喜びに私には見えた。園田さんは、一か月前には週に3~4日の登校が、いつの間にか2~3になり、もう今では、完全に病院へと籠りっきりになってしまっていた。


私は、学校の授業が終わると、珠洲先生から借りたホームビデオカメラを持って、病院へと通った。ビデオカメラの中には、前日の練習風景が録画されていた。部活の演奏が見れればきっと園田さんが喜ぶと思って、珠洲先生は嫌な顔せずもう一台ビデオカメラを買った。ビデオカメラ二台をローテーションで撮影するためだった。そして、なぜかビデオの撮影はもっぱら部長だった。


「玲ちゃん、元気?お姉ちゃんは今日も元気よ。実はね、練習前に…恵子が、ちょ、ちょっと恵子、譜面台投げてこないでよ。カメラ壊れたらどうするのよ。私たちには簡単に買えるものじゃ…わかった、わかったわ、まじめにやるわよ。---


と、いつもなら、笑って眺めている園田さんは今日に限って、悲しそうな瞳で私を見つめながら、消え去りそうな細い声で呟くように


「今の私、今まで私が行ってきた罪の罰なのかな…周りから、演奏がみんなよりも上手いから、褒められておだてられて、いい気になっていたから神様が反省するように私をこんな体にしたのかな?そんなに私罪深かったのかな?そして、今ではすっかり、足が動かなくなって、手が動かなくなって、そしてこれからは完全に寝たきりになって、最後には死んじゃって、みんな陰で喜ぶのかな?あんな、天狗いなくなってすっきりしたって…」


そして、園田さんが、瞳から涙を流して、つっかえつっかえ語るのを私は、ただ黙って見ているしかなかった。そして、私は、園田さんの涙をハンカチで拭いて、頭を撫でながら


「僕だけじゃない、このビデオに映っているみんな園田さんを大事に思っているよ。もし、園田さんが、この世界の誰かから恨まれて罰を受けるなら、僕が代わりに受けるよ。だから、安心して欲しいんだ。誓ったじゃない園田さんずっと一緒にそばにいるって。」


そう私が言い終わらないうちに、園田さんの私に向かって上半身が倒れきた。驚いた私は、園田さんの体をゆすって、混乱しながら声をかけたが、ただ


― 静かな 病室に 私の声だけが響いた -

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る