15. 愛とはなんぞやへの応援コメント
まずなにより、月凪あゆむ様が過去と向き合われて、それを文章として書かれたことに、衝撃を受けました。
過去の思い出は、単なる過ぎ去った出来事ではなく、いろいろな(感情、痛み、ニオイなど)思い出させてしまいます。そしてなにより、過去の自分を、今の自分で見てしまうことになってしまう。
経験や知識など、全てに乏しい過ぎ去った自分のやったことを、現在の自分が見ることは、かなりの苦痛だったのではないでしょうか。
お母様のやり方、お父様のやり方。
月凪あゆむ様がおっしゃるように、いちがいに、どちらがどうとは言えないように思いました。
私は、大きな勘違いをしていたことがあります。
両親、祖父母、大人、教師、医師、歴史に出てくる偉人などは、完成された人なのだと。
だって、学校でもそんな感じの教育をするじゃないですか。
でも、みんな元は子供で、大人になっても完全じゃないんですよね。所詮は人間ですから。
間違ったこともすれば、失敗もする。
私とは違うけど、ダメなところだって一杯ある。
言わないだけなんだってわかりました。
格好がつかないからと、正直な気持ちも言いませんしね。
ダメな自分を、みんなは隠します。
だから、正直な人ほど、必要以上に自分がダメな人だと思い込んでしまうのではないかと。そんなふうに思っています。
作者からの返信
ありがとうございます。
確かに、その頃の思い出は苦いものが多いですね。
でも、良いことがなかったわけでもなくて。
私自身は、不思議と苦痛というものでもないかな。
父と母、どちらが「正しい」かは、やっぱりなんとも言えないですね。
兄が入院したことで、家が「静かに」なった。それを「寂しく」なったとも、変換できます。
どんなひとも、きっと聖徳太子みたいなひとにも(むしろだからこそ?)
悩み、失敗、間違いとか、あるんですよね。人間なら誰しも。
私は、自分はダメダメな人間だと思っています。でも、
「生きていていい人間なのだ」と、信じなければなんにもできない。
そうとすら、思えない時期があったわけで。(今も突発的にはある)
今は、その頃と比べたら信じられないくらい、穏やかに落ちついて生きれています。
14. 自信というものはへの応援コメント
マイクで話すなんて、とてもスゴイですね! 私だったら、たぶん心臓がドキドキし過ぎて、気持ち悪くなると思います。胃も痛くなるかもしれません。
自信は、その人が頑張ってきた結果なのだと思います。
たくさん頑張ってきた人は、それだけの自信を得られるのではないでしょうか。
努力して、努力して、でも、むくわれることはほとんどありません。でも、努力したという自信は持てるのだと思います。
別のものに努力したときに、以前違うことに努力していた経験が、役に立つことだってあるものです。
100%の自信を持てる人は、たぶん少ないと思いますが、0よりは1%でも自信が持てたなら、成長したと言えるのでしょう。
その1%が、数日後、数年後には50%や60%になっているかもしれないのですから。
最初は、自信がなくて当たり前。わかっていても、慣れていないことは、恥ずかしいし、恥をかきたくないけれど、それで『死ぬ』わけではないと、自分に言い聞かせています。
来月の頭に、人前で講義をしなければならなくなり、もう「コミ症にやらすな!」という感じですが、やるからには頑張ろうと思います。
少しは、自分に自信が持てるように。
作者からの返信
ありがとうございます。
良い結果があると、自信にも繋がりやすいですね。
努力が目にみえる時と、そうでないことなどもあります。でもきっと、無駄じゃない。
何かしらに繋がると、信じたいですよね。
(「自信をもって!」が圧になることもありますが)
私にこうして言葉をくださる元橋ヒロミ様です、きっと大丈夫ですよ。
講義、応援しています!
13. 日本の「医療制度」の話への応援コメント
私も同意見です。
知りたいけれど、方法がわからないという方が、意外と多いと思っています。
あとは『難しい』と思い込んで、手を付ける前に諦めている方とか。
なので私は、エッセイや小説という形で、なるべく多くの方に、私の知ってもらいたいと思うことを、書いております。主に聴覚障がいについてですが。
読んでいて、面白くて、知識も身に付く。というのが、理想です。
作者からの返信
元橋ヒロミ様
読んでいただき、フォローに♡や、コメントに素敵なレビューまでつけていただき、本当にありがとうございます!
「面白く、知識も身に付く作品」
とても素敵な理想ですね。
「障がい」と人括りに言っても
世にはたくさんの○○障がいがあり、私の書く障がいと、元橋様の書く障がいの話も、きっと視点の違うことも多いかなと。
それで、いいんですよね、きっと。
なのでこれからも、不定期ではありますが、まだまだ社会に物申してみることにします。
これからも、どうかよろしくお願い致します。
10. 努力とは?への応援コメント
同じことをやっても、人によってそれを努力に感じたり、そうでなかったり。
例えば、私が人前で話したり、何かを発表したりするとします。内容は、雑談のようなことでも良い。
でも、その為に、私は前々から練習しないと、人前では話せません。そこには努力が必要ですが、そうは思ってもらえないでしょう。
努力したかどうかは、他人が決めることではなく、自分で決めるとかもしれない。
でも、自分の事は、近すぎて分からない事も沢山あるから、とても難しい。
どんな言葉でも、そこに本当の『愛(恋愛感情だけでなく)』があれば、救われるような気がするのですが、正直まだわかりません。
作者からの返信
元橋ヒロミ様
ありがとうございます。
もはや、人生のなかの一生の課題みたいなものかも、しれませんよね…。
「愛」というのも、難しいものですね。
救いにもなれば、依存になることもある。
でも私は
「考えること」
にちゃんと意味はあると、信じたいです。
たぶん、それが私の原点です。
8. それは、応急措置という名の心の闇への応援コメント
「ものは考えようだ」
「世の中には、もっと大変な人がいる」
自分で思うこともあれば、他人に言われることもあります。
確かに、そうですよね。とは思う。
でも、そう言っている人に「私の何がわかるんだ!」とも思ってしまう。
人の気持ちを、別の人の何かと比べるなんて、おかしいから。
比べようがないと思う。
だから、大した言葉でなくても良い。私の代わりにいってくれた一言で、泣いてしまうことがある。
私は言葉にして話すのが苦手だから、誤解されることもあるけど、それは嬉しくて泣いているのです。
作者からの返信
元橋ヒロミ様
ありがとうございます。
私のなかのそもそも論で、
「ひとの感情は矛盾する」
と思っていまして。
二つの違う感情が一気に浮かぶのも、人間よくあることかな、と。
でも、比べるのが違うのも、当たり前なんですよね。
誕生日や感謝の手紙を書いて、相手がそれを読み、目の前で泣かれた経験は何度かあります。
意外と大人になると、書いたりもらったりしないですよね、手紙。
だからか、効力も大きかったりして。
7. 障がい児の彼が、まるで保護犬のようでへの応援コメント
私は中学の頃まで、文字があまり読めませんでした。読まなかったせいもあるのだけど、読めなかった。
あと、人見知りなところもあります。
幼いころに父が死んで、なのに親戚に罵倒されて、それから人が怖くなったせいもある。
エッセイの『彼』がどんな人かはわかりません。けれど、なんとなく私に似ている気がしました。
表現する方法が無いので、行動に出てしまったのかな? と。
もっと『彼』が上手く話せたら、もっと知識があったら、もっと自分が好きだったら、また違っていたと思います。
その頃の事を気にかけてくれていたと『彼』が知ったら、きっと嬉しく思う事でしょう。
それも、少し照れながら。
作者からの返信
元橋ヒロミ様
ありがとうございます。
そうだったのですか…。
本当に、こどものころでも言葉選びや大人の態度ってトラウマになりますよね。
「少し照れながら」
確かに! しかも早口でまくし立ててきそう!(笑)
6. いじめの自覚ないの?への応援コメント
いじめは『やってる人』と『やられてる人』とでは、認識の違う場合が多いですよね。
私はコミ症なので、後者でした。
思っていても、言葉に出来ないのです。言わないから『大丈夫』と思われてしまうようで、でもそれは言えないだけで、大丈夫なわけではないのです。
まあ、私の性格にも、問題があるのはわかっていますが、性格ってなかなか変えられませんよね。
作者からの返信
元橋ヒロミ様
ありがとうございます。
確かに、性格の面もありますよね……。
私は逆に、全然大丈夫じゃないのに、
「大丈夫だよ」
と言うことが多いです。
なので最近、私をよく知る人からは
「あなたの大丈夫は、大丈夫じゃない」
と、言われるようになりましたね。
難しいですよね。
5. 障碍と、障害と障がいへの応援コメント
私も同じように感じていました。
いわゆる『障がい者』とよばれる人は、『現在の世の中』において、少数だというだけではないかと。
時代や場所が違えば、全く違っていたのではないかと。
少し違いますが、もし『今の世の中』にボクシングが無ければ、現在のボクサーチャンピオンは、今とは全く違った人生を過ごしていたはずです。藤井聡太さんも、将棋が無ければ、いま何をしていたか。
逆に考えると、障がいを持つ方も『何か』にパチリと合えば、キラキラとした生き方が出来ると思うのです。
作者からの返信
元橋ヒロミ様
ありがとうございます。
そうですね。
ただ、
「キラキラした生き方の障がい者」
たぶん「キラキラ度」もその見る人によって変わるかなとも。
健常者なら、感心や疑問。或いは感動。
毎日を必死に生きている障がい者からすれば、疑問や、人により嫌悪に、又は憧れ。
だからこそ、24時間テレビを
「綺麗事」と言う方々もいる。
キラキラかはわからないけど、今はそれなりに安定して生活している身としては、
それらはどちらが正しいとかは、簡単には決めつけたくはないなあ、とは思っています。
(話が脱線してすみません)
4. 正しい接客って?への応援コメント
とっても素敵な考え方だと思います!
マニュアルの対応は、考えなくても一律に対応できるやり方ですから。それは、決して人に寄り添うものではなく、効率的であったり『クレームの少ない』対応でしかありません。
本当は、みんな違うのだから、その人に相応しい『唯一無二』を探すのがベストなんですが、それだと時間が掛かってしまうので、なかなか難しい。
でも、出来ることならそうしたいですね。そして、本を好きになる人が増えると良いなぁ。
作者からの返信
元橋ヒロミ様
ありがとうございます!
うちのとこの本屋は本の配達(個人経営のサロンなどへ週刊誌など)
もありまして。
当初はよく
「どんな言い方が、失礼にならずに、これからも頼もうと思ってもらえるか」
とか、自分のなかで言葉探ししてました。
わりと、穏やかに迎えてくださる店舗さんが多いので、それぞれに慣れると、
「あ、このお店はあの人かな」
と、ある意味の「常連さん」になります。
「マニュアル通り」を嫌う人ももちろんいらっしゃいますし、限界もありますから。
やっぱり、自分で言葉を考えることって大切だなと、思います。
3. 人の欲なんてへの応援コメント
昔『ペイフォワード』という映画がありました。ご存じでしょうか?
おぼろげな記憶ですが……
小学生の主人公が、学校の宿題で『世界が幸せになる方法』を考えることになるんです。で、それを翌日学校で発表したのですが、その方法というのが『自分が何か親切をしてもらったら、全く関係の無い人、2人に親切をする。そしてその人に、「お礼をするなら、全く知らない人2人に、親切をしてあげて下さい」と言う。これをみんながすれば、世界は幸せになる』というものでした。
戦争は、悪意が悪意を生むもの。なら、それの逆もあるのでは? と、考えたのかもしれませんね。
映画の結末は「えぇ!!」って感じでしたが。
作者からの返信
元橋ヒロミ様
ありがとうございます。
映画の主人公は、もしかしたら
「自己犠牲」な面のあるひとなのかな、と少し思いました。
主人公は、ある種自身への「見返り」を求めていない、とも言えるかな、と。
だからこその、ショッキングな終わり方をすることで
「善意」や「悪意」の難しさを表現したのかな、とか思ってしまいました。
見当違いなことを言ってたら、すみません。
2. 障がい者は皆、善人で弱者?への応援コメント
障がいが有るから、それはカワイソウだと決めつけることには反対です。
女だから、親がいないから、悪い環境で育ったから。色々な偏見があって、それが偏見だとわからせるのに、なぜか被害者側が力を尽くさなければならない現実。
そんな矛盾に、嫌気が差すこともあります。
幸か不幸か、私は文章を書く事が好きなので、それを使って小説やエッセイを書き、誤解を解いていきたいと、思ったのでした。
作者からの返信
元橋ヒロミ様
読んでいただき、コメントもありがとうございます。
私も、兄のことを「カワイソウ」と言ってきていた大人を見て、大人になりました。
障がい者=かわいそう
健常者=恵まれている
それも、なにか違うかな。
「偏見」というものは、そのものへ対する「知識」が無か、中途半端なところで止まっているのか、はたまた間違った知識なのか
というのもあるんじゃないかなとも、思います。
なんとか言葉の力で、抗いたいですね。
1. 想いを形にする意味への応援コメント
読んで、まず思ったのは『同じ思いを持つ人がいて嬉しい』でした。
いや、もちろん、このエッセイを読んだだけなので、違っているかとしれませんが。
なんだか、嬉しくて書き込みしてしまいました。すいません。
作者からの返信
読んでいただき、共感もしてくださり、コメントも、ありがとうございます。
そうなのですね…!
謝ることないですよ
同じ思いを持ってくださっている方に出会えたの、私もとても嬉しいです。
本当に、ありがとうございます!
16. 何事も「マニュアル通り」にはいかない。への応援コメント
その通りですね。
たぶん、質問されたかたは『とっかかり』が欲しかったのでしょう。
『知的障がいがあろうと同じ人間』ということと『人は1人1人違う』ということを、一緒に考えられない人は多いものです。
信頼されたければ、まず相手を信頼するとか。
昔あった『道徳』の授業が、少し懐かしくもあります。
作者からの返信
ありがとうございます。
健常児と障がい児、対応が同じとはいかないことのほうが多いですが、
「相手をよく知るためには」
という部分では、やっぱり接すること、よく見て聞くこと。
一番奥底では、案外共通するものもありますね。
道徳! 確かにこんな題材の授業あってもおかしくはなさそうですね。笑