17 天才って、馬鹿なんだってさ


 ベル先生が部屋に戻って来たのも気配で分かった。でも、私は相変わらず青年の映し絵から目が離せないでいる。


「……ああ、何を熱心に見ているかと思ったら。それかぁ」

「ベルせんせ、この人は誰?」


 テーブルの上にお茶の乗ったトレーを置く音が聞こえ、そのままベル先生がこちらに近付いてきた。

 ベル先生は私の肩にぽんと手を置くと、一緒になって映し絵を見ながら答えてくれる。


「彼はビクター。僕の……親友だ」


 ビクター……ん? どこかで聞いたことがある名前だ。まぁ、ビクターなんてどこにでもある名前だし、聞いたことがあって当たり前か。

 それよりも。


「ベルせんせ。親友、いるんだ」

「どういう意味だい? ねぇ、どういう意味?」


 なんとなく、ベル先生が悲しそうな雰囲気を漂わせていることには気付いていた。

 だから彼が今どうしているのかとか、そういうのは聞いてはいけない気がするというか。


 だからあえて冗談を口にしただけだ。本音でもあるけど。


「どんな人なの?」


 ベル先生からの答えにくい質問については華麗にスルーして、私は別の角度から質問をすることにした。


 ようやく映し絵から目を離して隣に立つベル先生を見上げる。

 彼はうーんと顎に手を当てながら思い出す様に斜め上に目線を向けた。


「そうだなぁ。真面目で、不器用で……とても馬鹿なやつさ」

「ベルせんせ、ひどい」


 悩みながら出てきた言葉は、ただの悪口だった。

 私も酷いとは言いつつも、それが二人の間にある信頼からのものだとはわかっている。


 ビクターは間違いなく、ベル先生の親友なのだろう。


「ははっ、そうかもね。でもあいつだって散々僕の悪口を言いふらしていたんだよ? 変人、奇人、人の心がわからないやつ、とかね」

「……へぇ」

「否定してよ」


 いやぁ、だって。否定も肯定もできるほどまだベル先生のこと知らないし。ただそんな感じするなぁ、とちょっとだけ感じているから否定しにくいだけで。


 私がサッと目を逸らすと、傷付くなぁと笑いながらベル先生がそっと背を押してテーブルまでエスコートしてくれた。

 温かいうちに飲んでほしいんだ、と嬉しそうに笑っているので、そこまで傷付いてはいないのだろう。たぶん。


 ソファーによいしょとよじ登り、大人しく座っていると、ベル先生かティーカップをソーサーごと手渡してくれた。どうぞ、と手を差し出されたのでお言葉に甘えて一口。

 カップに口を付けただけでふわりと茶葉の良い香りが広がった。すごい。高級なお茶って感じ。


 ごめん、庶民のお子様の感想なんてそんなものである。


「でもね。実は僕に彼を悪く言うことなんて本当はできないんだ。ビクター以上に、僕の方が馬鹿だからね」


 どうやらまだ話は続いていたらしい。口に含んだお茶をコクリと飲み込むと、カップを持ったまま目だけでベル先生を見た。

 穏やかに微笑みながらお茶の香りを楽しんでいるベル先生に、思ったことをそのまま告げる。


「魔法の天才なのに?」

「そう。天才ってね、馬鹿なんだよ。覚えておくといい」


 天才なのに馬鹿とはこれいかに。


 ただ、こういうちょっと捻くれたものの言い方がベル先生っぽいなぁと思う。


「んー、やっぱり僕はお茶を淹れるのも天才だ。美味しいだろう」


 続けて、さらに自分は天才だとアピールしてくる。


 この流れで「天才」って単語を出したらさぁ……まるで、自分は馬鹿だと主張しているみたい。


 でもまぁ。お茶は、確かに美味しかった。


 ※


「ルージュ、午後から時間あるかな? 一緒に町に行ってほしいんだけど」


 ある日、私は珍しい人に声をかけられて目を丸くしていた。こういうことを言ってくるのは大抵ベル先生かリビオ、たまにママくらいだったから。


「いいけど……オリドがそんなこと言うなんて珍しいね?」


 そもそも、オリドは外に出ることがあまりない。リビオと同じように剣術の稽古はしても、進んで町に行くようなタイプではないのだ。


「あー、うん。まぁ。ちょっと、女の子の意見が知りたいというか、なんというか」


 私に質問に対し、オリドはしどろもどろになりながら顔を赤くし始めた。


 その姿を見て、ピンときた。ピンときたぞ!


「好きな女の子にプレゼントでもしたいの?」

「なんでわかるの!?」


 当たり。やだなぁ、もう。わかりやすいったら。

 常にニコニコしていて、大人びていて、落ち着きのある子だと思っていたけど、かわいいところあるじゃん。


「どんな子? オリドが好きになる子、気になるなぁ」

「う、別にまだ好きな子ってわけじゃ……ただ、婚約者だから」

「こんやくしゃ」


 こんやくしゃ、とは。婚約……えっ。


「もう結婚相手がいるの!?」

「まぁね。僕は一応エルファレス家の跡取りだし。貴族なら当たり前だよ。リビオはあんなだからまだいないけど」


 だ、だってオリドだってまだ八歳でしょ? き、貴族って怖い。

 十七歳なのに毎回リビオのプロポーズを断っていた私が酷いヤツに思えてくる。


 好きでもない相手との結婚。場合によっては、相手の顔さえも知らなかったりすることもあるんだよね。

 そして、幼い頃に決められた人と結婚することも多いとか。


 自由恋愛できるという点では、庶民の方がいいなってちょっと思っちゃう。


 ちなみに、オリドの婚約者は私と同じ年の伯爵家のお嬢様なんだって。


 ……同じ年って、五歳!? いくらなんでも早くない!?


「うん、ちょっと早いよね。彼女はまだ、何もわかってないだろうし。だからさ」


 申し訳なさそうに言うけど、オリドだって状況としては同じだよね? 辛くないのかな。


「僕が婚約者で良かったって、安心してもらいたいんだよね。あの子の人生を背負うんだから、あの子にとって理想の王子様になろうって、思ってて」


 恥ずかしそうに言うオリドは、普段の大人びた雰囲気からは想像もできないほど年相応の男の子に見えた。


「リュドミラっていうんだけどね、オリド様オリド様ってすっごく懐いてくれてるんだ。それがとてもかわいいくて、守りたいって思うんだよ」


 まだ恋とか愛についてはわからなくても、その気持ちはきっと大切に育っていくのだろう。

 お互いに好ましく思えているなら何よりだ。


そもそも、オリドだってまだ八歳の男の子だ。リビオが年相応すぎてついオリドは大丈夫って思ってしまいがちだけど。


 自分だって色々と思うことがあるだろうに、相手の女の子のことを気遣えるなんてカッコいいじゃん。

 二人がちゃんと大人になって、結婚する姿を見たいものである。叶うかどうかはわからないけど。


 そんな切ない思いが抑えきれなかったのか、私は無意識にオリドの頭を撫でていた。わざわざ背伸びして、めいっぱい腕を伸ばして。


「……なんで撫でているの?」

「婚約者のために王子様であろうとするオリドは、カッコいいよ」

「あ、ありがとう。でも撫でる理由になっていなくない?」


 ちょっとだけ拗ねたようにオリドは言うけど、撫でる手を振り払ったり避けたりする素振りは見られない。優しいんだよね、基本的に。


「私はオリドの妹だから、協力する。リュドミラちゃん? でいいのかな。彼女のこと教えて? プレゼントを選ぶんでしょ?」


 撫でる手を下ろして顔を覗き込みながら言うと、オリドは目を丸くした後、はにかんで笑った。


「うん。ありがとう。頼もしい妹だね」


 今度は、オリドが私の頭を撫でてくれた。


 大人以外に頭を撫でられるのも、悪くはない、かな。うん。

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