『藁人形と鬼と亡き母』

DITinoue(上楽竜文)

『藁人形と鬼と亡き母』・前

 青木和花あおきわかは、本屋の無い田舎町を巡る移動書店『BOOK MARK』の唯一のスタッフとして、店主の大森雄星と共に販売をしていた。

 今日は休業日で、次の町への移動日だった。

 和花は、雄星に運転を任せて本を取り出す。

 今回読むのは、駆け出し中の若手作家のホラー短編集『異界駅長』である。残すところ、あと一話。タイトルは『ドッカラ・オンネン・ジュゴン・レディオ』……。

「また読むのか? 車酔いするなよ?」

「大丈夫です! 毎日前転の練習してるので!」

「……関係、あるのか、それ」

 呆れている風に言いつつも、その声は必死に笑いをこらえようとしているものだった。現に、雄星はコホッコホッと咳込んだ。

 和花は、いひひっとはにかんで、本に視線を落とし込んでいった。




「ヤバい! これは、もっと売った方がいいです!」

 ふぅ、と溜息をついて、低い天井を見上げたかと思うと、和花は叫びだした。

「そうか。多分、それを入れて十冊くらいあると思うから、出すか」

「はい!」

「……そうだ、話は変わるんだけど、着いたらさ、山見に行ってみない?」

「え、山なんてあるんですか?」

「そうらしい。せっかく休業日なんだからさ」

 あとがきに落としたまま、彼女は言った。

「じゃ、行きましょっか……ん?」

 あとがきをめくって、本を閉じようとした時。

 和花は、ピクリと手を止めて、挟まっていた小冊子を凝視した。

 ピュゥルルルルルルルルル

 強い風が、落ち葉を吹き飛ばしてくる。

『後日談・藁人形と鬼と亡き母』

 小冊子には、筆圧の強い字でそう書かれていた。

「どうした?」

「……いや」

 はらり

 和花の手は、とても自然にページをめくっていた。一枚めくれば、蟻の群れみたいに黒々とした文字が、無秩序にギシギシ並んでいた。



 ◆◇◆



 私は、不動産屋の一スタッフだった。

 管轄は、この町全て。そもそも人口がとてつもなく少なく、空き家も多いため、仕事は決して多くは無い。家屋の掃除などをする程度だろうか。もちろん、住宅の内見に訪れる人もほとんどいないわけで、もっぱら時間が空くわけで。

 そこで、空いた時間を、私は社会貢献に使っていた。


 それは、SNSで誹謗中傷を繰り返す中高生を、所属している不動産屋で販売中の“呪われた日本家屋”の仏間に閉じ込める、ということである。


 というのも、私は実は鬼の子孫なんだそうだ。

 鬼と言っても、私の祖父の代までは罪を犯した子供を一家の大きな倉庫に閉じ込めていたのだというが、私の代で、近年問題になっているSNSでの誹謗中傷を繰り返す中高生に罰を与える、ということにしたのである。

 問題になっている中高生を見つけると、そいつの住所を特定し、車で二時間くらいで行ける距離ならそこに行き、とっ捕まえて手足をガムテープで縛り、目隠しをして車に乗せ、“呪われた日本家屋”の仏間に閉じ込める。最低、一年間は。

 不思議と、今までこの行動が世間に露出したことはない。


 プルルルル、プルルルル

 あまりにも突然固定電話が鳴るものだから、思わず椅子を倒してしまった。

「は、はい、もしもし」

 微かな間に、私の心臓の音が大きくなっていく。

「すみません、住宅の内見を希望する者なのですが」

 ボソボソと電話口の向こうで透き通った声がする。そこは緑が豊かな場所なのか、ざわざわと森の木の葉が風に揺れる音が聞こえた。

「内見、ですか?」

 我ながらあまりに拍子の抜けた返事だった。前回は、いつだ?

「はい」

「どの家屋を希望されていますか? 住宅番号が分かれば、番号をお教え願いますが」

「ええっと、きゅうきゅうハイフンよんきゅうよんきゅうです」

「……」

 パソコンに番号を打ち込むと、物件が表示された。

 表示された物件を見て、私は顔面に強烈なストレートを食らったような衝撃を受けた。ユラユラと脳が揺れている。

 ――“呪いの日本家屋”。

 私が勝手にそう呼んでいる名前が、何度も何度も脳内で繰り返された。




「こんにちは」

 会ってみて驚いた。顔には深いほうれい線が刻み込まれていて、髪はお世辞にも質がいいとは言えないものだったのだから。

 顔の特徴だけからすると、四十代前半から後半に見える。

「……こんにちは」

 だが、異様にか細い声の上、肌は異様に白く透き通っていて、着用している白いワンピースと同化してしまっているほどだ。私が、この人はまさか幽霊なのではないかと勘違いしてしまうほどのものだった。

「それでは、早速見ていただきます」

 コの字型で二階建ての立派な日本家屋。黒っぽくなった木が、雨に晒され風に晒された年月を物語っている。

 私は、鍵を手の中で転がしながら、彼女を先導しようと一歩前に踏み出した。

「ご案内しま……」

 だが、言い終わる前に彼女は家の中へ入っていった。

 ――え、まさか、鍵が、開いていたのか?

 驚異的な光景に、私は思わず立ち尽くした。

 だが、そんなことも言っていられない。仏間だけは、絶対に、絶対に見られてはいけないのだから。

 私は気を持ち直して駆け出した。ドアを開け、すすの臭いのする家屋へ入っていく。

 同時に、烏のシルエットが、曇り空を群れて舞っていった。


 女は妙に手馴れた様子で二階から漁っていっていた。仏間のドアをどれも動かないようにしておいて、女を探しに行く。

 そして、応接間で見つけたころには、女は既に部屋を見終えたというのだった。時間にして、わずかに十分ほどだった。

「も、もう、いいんですか?」

「はい。もういいです。それでは」

「あっ、ちょ……」

 まるで空気のように、スッと女は外へ消えていった。

 これから、色々情報を聞いておかねばならなかったのに。

 ひとまず、私は仏間へ向かった。まさかとは思うが、一応子供たちの様子を見ておかねばならない。

 スーッ

 かび臭い臭いが立ち込める襖を開けて、首だけで中を覗く。

「……ん?」


 いなかった。


「おい、誰かいないか?」

 仏間に入っていたはずの人間は十一人だったはずなのに、全員がいない。

 ――どういうことだ?

 まさか、脱走?

 だが、ドアの固定はしたままだったし、内側から開けられるはずがない。窓から出ていったのかと思って中に入ってみたが、窓の鍵は掛かったまま。

「はぁ?」

 これまでにない潮騒を胸の中に抱えながら、狭い仏間を回る。と、前の持ち主の家の遺影が飾ってある下に、見慣れないものがあった。

 ――?!


 顔面に針を刺された、藁人形十一体。


 ――何かの悪戯か、これは。

 誰がこんな悪質な悪戯をするものなのか。

「おい、出てこい!」

 出せる限りの大声で怒鳴ったが、虫けら一匹さえ出てきやあしない。

 ――なんなんだ、これは。

 哀愁と禍々しさを兼ね備えた、小さな藁人形から私は視線を背けた。


 二枚の遺影が、ニンマリ笑っているのが目に入った。




 時間が経つにつれて、コントラストが薄れるはずの情景がどんどん濃く、脳裏にこびりついていく。

 粘着質なそれは引き剝がそうにも引き剝がせず、ついに私は、捕まえた子供が藁人形になってしまったということを認めざるを得ない状況に追い込まれた。

 ――なら、どうすれば元に戻すことが出来るのだろう?

 プルルルル、プルルルル

 電話が鳴った。

 ――まさか、あの女?!

 一切の間を置かずに、私は勢いよく受話器を取った。

 電話口から聞こえてきたのは、濁点まみれの女性の声だった。

 落胆を出す暇もなく、相手は一言、告げた。


「教祖様の教えにつき、子供たちを解放しろ」

 

 ツー、ツー、ツー

 切られた後の音が、寺の鐘のように虚しく私の頭を突いた。




 ピコン

 スマートフォンに通知が届いた。

 ピコンピコン

「……うるさいな」

 私は、スマートフォンを開いた。

 きゅうきゅうハイフンよんきゅうよんきゅうについての情報の投稿に、コメントが相次いでいた。

『事故物件を投稿するな』

『対応がボロボロだって非難ばかりだ』

『ろくに家の清掃や整理もできていないなんて、責任者になる資格ないやろ』

 投稿者は、皆、仏間に閉じ込め、藁人形になった中高生たちだった。

 鬼の本能が炎となって宿った。私は、スマートフォンを投げ捨て、椅子を蹴って部屋を飛び出した。




 三日が経った。

 再び電話が掛かり、あの女が再び内見をしたいという問い合わせが来た。

 私は了承をして、車を走らせた。

 ――あの藁人形は、あの女の仕業なのだろうか。

 あの日、怒りという鬼の業火に駆られた私は、藁人形を全部ぶち抜き、ある山の中にある沼に投げ捨てたのだった。

「こんにちは」

「こんにちは。この前のように、私一人で勝手に見るので……」

 と言うが早し、まだ鍵も開けていないはずなのに、またもや女はドアの向こうへ消えていった。

 肌着を、汗がぐっしょり湿らせていた。


 じっと、私は仏間の前で待っていた。

 どこかで、必ず女が現れるはずだ。

 すると、案の定、女が現れた。女は、ドアを擦り抜けて中へ入っていった。

 ばらばらばら、ばらばらばらばらばら

 何かを撒き散らすような音が聞こえる。火をつけるような音も。炭の臭いが襖から漏れ出してきた。

 私は、居てもたってもいられなくなって、ドアを開けた。

 次の瞬間、大量の大豆が顔面に飛んできた。

 一気に心臓の動きが速くなる。そのまま、心臓が破裂したらしかった。

 口からおびただしい量の血をグホッと吐き出して、私は倒れた。


「鬼を倒したんだから、純平も彩華も、早く生き返って。神様、仏様……」


 最後に聞いたのは、くっきりと聞こえた、低い女の声だった。




 ――それから、きゅうきゅうハイフンよんきゅうよんきゅうの内見を申し込む者が急増したのだそうな。

 そのうちいくらかは、家の中で行方不明となり、いくら探しても見つからなくなったのだという。

 “呪われた日本家屋”についてはいくつかの証言があり、壁に刺さった藁人形と綺麗に身体の形のまま脱ぎ捨てられた服があったのだとか、山の中腹くらいから泥にまみれ長い爪を持った腕が伸びてきて、その家の藁人形を掴んで、山の中へ引きずり込んでいったのだとか。

 今でも時々、“呪われた日本家屋”の被害が起こっているが、警察も不動産屋も、一切の動きをしないのだという。



 ◆◇◆



(後編に続く)

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