妖狐なようこさん

リズ

第1話 はじめまして、ではないらしい

「遺言状? 俺に?」


 仕事終わりの帰り道、愛車を路肩に止めて父からの電話に出た青年、有坂優斗は誰が見てるわけでもないのに首を傾げながら言った。


「爺ちゃんから葬儀やら遺産相続の手続きやらが終わってから渡すように言われててな。帰りに寄ってくれ」


「オッケー。晩飯ある?」


「用意してくれてるぞ? 今日は唐揚げだ」


「やったね。ラッキー」


 正直な話。

 この時、優斗は遺言状のことなんかより、久しぶりに味わえる母親の唐揚げに釣られて両親の自宅へと向かった。

 

 社会人になってから家を出て、しばらくぶりの帰省だ。

 

(ああいや。そういや爺ちゃんの葬式のときに一回寄ったな)


 アイフォンの通話ボタンをタップして通話を切り、助手席にアイフォンを置くと、優斗は車を走らせた。

 

 そして、たどり着いた両親の自宅で会社での話やら世間話をしながら好物の唐揚げを貪り、満足して帰ろうとしてリビングを出ようとした矢先「おいおい待て待て」と、一枚の封筒を持った父に優斗は呼び止められる。


「ああ遺言状。忘れてたわ」


「帰ってから読むか?」


「いや、ここで読んで帰る」


 父から祖父の遺言状を受け取り、封筒を破って中の紙を取り出すそこには要約すると「実家を優斗にやる。男なら、約束を果たせ」と書かれていた。


「実家ってあの山奥のデカい平屋? いらねえ〜」


「約束ってなんだ? 爺ちゃんと何か約束してたのか?」


 父の言葉に首を傾げながら考える優斗だが、どれだけ考えても約束とやらを思い出せない。


 しかし、何故か最後の一文が気になって、優斗は父に次の休日に実家に行ってみると伝えた。


「父さんはいいの? 俺が実家貰っても」


「この家があるしなあ〜。それに」


「それに?」


「田舎は面倒だしな」


「相性の問題だと思うけどなあ。俺は別に嫌いじゃないし。まあ車がないと不便ではあるけど」


 というわけで、優斗は次の休日に封筒に入っていた実家の鍵と権利書を愛車に乗せて山の方に向かって行った。


《昨夜遅く、都内で襲われた女性を口裂け女の美山咲さんが救助、加害者の男性はその場で取り押さえられた後、駆けつけた警察官により男性は逮捕されました》


「おー。怪異のお姉さんお手柄じゃん。あとでツイッター確認しとこ」


 聴いていた音楽から気分を変えるため、ラジオに変えた途端流れてきたニュースに感心しながら、町よりは遥かに交通量の少ない道を進んでいく。

 

 実家のある山奥の田舎は田舎と言っても正直そこまでではない。


 十分も車で行かない場所にコンビニはあるし、ガソリンスタンドはあるし、農業組合系列のスーパーもある。 


 優斗や優斗の両親が住んでいる町よりは遥かに田舎ではあるが、山奥にポツンと一軒家があるような、いわゆる、ど田舎とは違うわけだ。


 くねった道を右に左に、高速道路の高架下を抜け、川沿いの道を奥に奥にと進んでいくと、優斗は前後に車がいないのに指示器を出して道を曲がり細道に入った。


 通れるのは車一台分。


 対向車が来ればまず間違いなくすれ違うことはできないが、久しぶり訪れた実家の前に伸びるアスファルトの道で今まで優斗は他の車とすれ違った事がないので、当たり前のようにアクセルを踏む。


 そして、ある一軒の平屋の前に広がる、車を止められるほど広い空き地まで進んで車を適当に停めた。


「家からここまで車で三十分か。もしここに住んだら通勤に一時間は掛かるな。まあ今でも似たようなもんか。高速道路はこっちの方がまだ近いんだよなあ」


 アイフォンと車の鍵と実家の鍵を上着のポケットに入れ、車を降りた優斗は伸びをして深呼吸をした。

 狭い道を挟んで空き地の反対側にある平屋に目を向け、優斗は今は亡き祖父母の事を思い出していた。


(確かこの家って曾祖父ちゃんと曾祖母ちゃんのために爺ちゃんが買ったんだっけか)


 優斗は取り出したアイフォンの画面に視線を落とし、前を見ないで歩いていく。

 歩きスマホは危険なのでやめましょう。


(それを二人が死んだあと、爺ちゃんがリフォームしたから外観は古い日本家屋なのに中は綺麗なんだよなあ。キッチンとリビングは洋式だったし)


 と、最後にこの実家を訪れた時の事を思い出しながら、玄関先にたどり着いた優斗は、アイフォンを再びポケットに入れると代わりに実家の玄関の鍵を取り出して鍵穴に突っ込んで回した。


 しかし。


「あれ、開かない。もしかして開いてたのか? いくらなんでも不用心に過ぎんか?」


 はあ。と、ため息を吐きながらもう一度鍵を回すと、今度こそカチャリと小さな音を立てて鍵が開いた。

 引き戸の玄関を開け、家主がいなくなったにしてはイヤに綺麗な土間に靴を揃えて脱ぎ、玄関から入って直ぐ右手にあるリビングへの扉に手を掛けた。


「そう言えば爺ちゃん、家具家電はどうしたんだろ残してんのかな?」


 誰もいない実家に優斗の小さな独り言だけが響く。

 

(昔はこのドア開けると爺ちゃんが飼ってた犬が走り寄って来たっけなあなんて名前だったっけか。あの時はまだ爺ちゃんと婆ちゃん、元気だったのに、もう、いないんだな)


 涙が込み上げてくるのを我慢して、優斗はリビングへのドアを開けた。

 しかし、そこに全く記憶にないモノ、いや、人がいて、何やら洗濯物を畳んでいた。

 

「優斗、さん? もしかして、有坂優斗さん⁉︎」


「すみません! 家間違えました!」


 冷静に考えればそんな事は絶対に無いのだが、そこにいた人、厳密に言えば人の姿形をした別の存在に驚き、思わず優斗は頭を下げて玄関の方に駆け出して、靴の踵を踏んで履くと、外に出た。


「ん? いやいや。ちゃんと実家だよな」


 玄関横の有坂という表札を確認し、玄関に振り返ると、優斗は腕を組んで首を傾げた。

 狐につままれたような気分になってもう一度表札を確認し、間違えていない事を確認して再び玄関を開けようとしたところ、優斗の意志とは関係なく玄関の引き戸が開いた。


 実家にいた謎の人物、狐のような耳と尻尾を生やした二十代前半くらいに見える女性が玄関を開けたのだ。

 

 何故だろうか、赤面している。


「優斗さん、ですよね? 違ったらすみません、お恥ずかしいです」


「なんで俺の名前を。確かに俺は、有坂優斗ですけど。いやそれより、ここうちの実家なんですけど、どちら様?」


「覚えていらっしゃいませんか? 昔、子供の頃、結婚しようって約束した妖狐の陽狐です」


「昔、子供の頃」


「ここからもう少し山の方に行った先にある水汲み場の近くの川原で、約束、したんです」


 そこまで言われ、優斗はある出来事を思い出していた。

 小学生の低学年の頃だったか、まだ小学生にもなっていなかった時の事だったか。

 なにせ夏の暑い日にここに遊びに来た時の事。

 優斗は祖父の水汲みについて行った。


「すまんな。しばらく待っててくれ。川には近付くなよ? 河童に悪戯されちまうからな」


「河童さんはそんな悪い事しないよ?」


「する奴もいるのさ」


 祖父の言い付けを守り、石がゴロゴロしている河原で、幼い優斗はしばらく大人しくしていたのだが、いかんせん茹だるような暑さだったので、優斗は川に足だけ付けようと思ったか、川の方にフラフラ向かっていった。


 そんな時だ。


「そっちは危ないよ?」


 と、何処からともなく現れた小さな妖狐の女の子に優斗は服の裾を引っ張られた。

 歳が近しいこともあったのだろう。

 幼い優斗と妖狐の女の子、陽狐はすぐに仲良くなり、そしてある約束をする。


「狐さん。大きくなったら結婚してくれる?」


「私でいいの? 私はあやかし、怪異だよ?」


「狐さんがいい。可愛いし、優しいから」


「嬉しい。じゃあ約束ね。大きくなったら結婚しようね」


 二人がそうやって笑い合っているのを、汲んだ水を車に積み込み、優斗を探しに来た祖父は見ていたのだ。


 その時のことを優斗は思い出し、昔の自分の言動と、それを言った相手が美しくも可愛らしい育った目の前の女性だという現実に優斗は顔を耳まで赤くしていた。


「あの時の狐の女の子。狐さんか」


「その呼び方。懐かしいですね。お待ちしていました。優斗さん。約束通り、結婚しましょう!」


「まあ待て、待ってくれちょっと落ち着こう。狐さん、ああいや、陽狐さんはとても魅力的な女性だと思います。美人だし可愛いし、正直好みです」


「では!」


 優斗の言葉にひまわりが咲いたような笑顔を浮かべ、優斗の手を握る陽狐。


 そんな陽狐にドギマギしつつ、優斗は理性を必死に保ちながら「まあまあ、ちょっと落ち着きましょう」と、自分に言い聞かせるように陽狐に言って、深呼吸した。


「はじめまして、ではないんだよな。でもな陽狐さん。俺たちはまだ出会ったばっかりと言ってもいい状態だ」


「構いません。あの頃より私は優斗さんをお慕いしています」


「何故に?」


「一目惚れ、というのでしょうね。あの日あの時、同じ年頃の殿方と初めてお会いして、話して、遊んで、それからずっと貴方の事を思い出すようになって」


「俺もうすぐ二十八になるんだけど、二十年以上ずっと、想ってたって事ですか?」


「はい。一族の掟でしっかり人間社会を学び、色々覚えて人間に混じって暮らせるようになるまで、優斗さんがどうやって暮らして、どうやって成長しているか、そればかりを想像しながら暮らしておりました」


「ちょっと怖いんだけど。趣味持ちな?」


「優斗さんのことを考えるのが趣味です。こんな私ではダメ、でしょうか」


 優斗の手を握ったまま、陽狐は優斗の顔を見上げて涙目になっていた。

 頭の上の耳も垂れて元気がない。

 先程までブンブン元気よく振られていた尻尾も垂れ下がってしまっている。


「それは狡いよ陽狐さん」


「狐は狡賢い種族です。ですが、私のこの気持ちは本当です!」


「ああごめん、そんなつもりで言ったんじゃなくて」


「分かりました」


「お?」


「私、優斗さんに相応しいお嫁さんになれるように頑張りますので、お側においてくださいませんか」


「陽狐さん、家は?」


「優斗さんと添い遂げると誓った時に、成し遂げるまで帰ってくるなと言われております」


「陽狐さんのほうが退路無いじゃねえか」


 こうなってしまっては仕方ない。


 とはいえ、これからどうすれば良いのか。


 そんな事を考えるが、混乱する頭では考えがまとまらず、とりあえずはお付き合いからという事で、優斗は二人で暮らすなら今のアパートよりはマシと考え、実家への引越しを決意する。


 そしてその引越しから一つ屋根の下で、二人の奇妙な同棲生活が始まるのだった。


 果たして二人の未来や如何に。

 まあ最終的には結ばれそうだが、未来の事は未だ分からない。


完。

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