人は遅かれ早かれ、自らを救う為に生きるようになる。

<親の責任?>


教育熱心な親が原因で子供が事件を起こした場合、

親を責める事が出来るのか否か。





<心理分析>


犯罪を犯した人の心理を、

複数の学者や教授が、ああだこうだ分析している。

分析内容は一致していない。


分からないから分析している。

そう、分からないのだ。

以後、答え合わせ出来る事も少ないだろう。

となると、自らの分析が否定される事無く、

曖昧に肯定されたまま経験として蓄積されてしまう。


心理分析は占いと大して変わらない。





<メタボリックシンドローム>


この言葉の普及と共に、

「物事というのは幾つかの要因が複合的相乗的に作用して起こる」

という認識が静かに広まる事を期待してたりする。





<失敗した時どう行動するか>


テレビドラマ『弁護士のくず(最終回)』より

「大事なのは躓かない事より、何回躓いてもすぐに置きあがる事だ。

 失敗した時どう行動するか、それがお前って人間なんだよ。」


失敗した時どう行動するか、そこに個性が出るって言ってる。

..出易いと思う、なぜなら。

失敗した時に選ぶ選択肢には全て損が含まれてるから。

どの損を選ぶかには、何に重きを置いているかという、

個人の価値観が大きく左右するから。





<発言の意味(「死にたい」=?)>


「死にたい」=「生き方を教えて下さい」

というのが今の所の認識。


ポイントは、言う必要が無いのに言うという所。

これからやろうとしている事があり、

それを人に言う事によって反対されたり阻止されたりするのなら、

言わない方が良い。


『人は自分が損をすると分かっている事はやらない。』


言うと抵抗にあう可能性が高いのにも関わらず言う事を選ぶのは..

・他者に宣言する事で自分にプレッシャーを掛ける場合

・どうしても他者の協力が必要な場合

・他者の阻止する働き掛けを希望する場合


発言内容によっては、

発言するという事自体がメッセージの一旦を担っている。





<役目>


目標を持って生きれば、ブレずにしっかり生きる事が出来る。

しかし、何かを目指したりというのは気負いや焦りを感じ、

心身共にすり減らしてしまう恐れがある。


そこで『自分に役目を与える』というのを提案。


人生を通しての、何か大きな流れの維持や発展を助ける役目を自分に設ける。

自分一人で全てを背負わない事で精神的な負担が減る。

また、長期戦略という事で継続する事に重きが置かれ、

無理をして途切れる事を避けなければならない為、

活動はサーモスタットの如く自動的に抑制される。


結果的に、

自分の身の丈に合った生き甲斐を持って、人生を送れるのではないかなと。





<自分がして欲しくない事は…>


「自分がして欲しくない事は、他人にするな」

これは皆が同じような価値観を持っているなら有効だが、

多様化し捲くった趣味趣向により、

其々が異なる価値観を持つようになった現在では、

殆ど通用しないだろう。


現在においては、同地域で暮らす人であっても、

異文化交流する際のような心構えが必要だという事だ。





<成功談から独自の何かを得る方法>


重箱の隅を突ついて例外を見付け出す。

正反対の事をして上手く行くものを見付け出す。





<2006FIFAワールドカップ>


好きな選手、そうでない選手がいると思う。

色んなタイプの選手がいるから、好みも分かれると思う。

ただ、出場した選手達は皆、相当な努力をしてきてるんよね。





<常識が無い>


「常識が無い」と相手に言われて取る行動は2つ。

「常識が無い」と相手に言われ無いようにするか、

「常識が無い」という事を相手の常識にしてもらうか。


「常識がない」と言う場合の「常識」は、

そういう場におけるエチケットやマナーを指している。

もし、知識を指すのであれば「ものを知らない」という事で、

アホ・バカという表現をする。


そのエチケットやマナーを守る事に妥当性を感じないなら、

異を唱える意味でも、守らない方が良い。





<大人になるほど…>


「大人になるほど、自分を抑えて行動しなければならなくなる」って..

そんな事は無い。逆に大人になるほど、自分を抑えなくて良くなる。


物事はメリット・デメリットを考慮してやるかやらないか決める。


子供の頃は考える力が弱く、

メリットとデメリットを分けて考えてしまい、

・メリットを得たいから、やりたい

・デメリットを被りたくないから、やれない

と、2つの結果的に矛盾する思いを持ってしまい、

やらない方を選ぶ事は、もう片方の思いを抑える事になってしまう。


大人になれば、メリットとデメリットを合わせて考えられるようになり、

・メリットを得たいが、それを上回るデメリットがあるからやらない

と結果的に「やりたい」がなく、矛盾する思いを持たなくて済む。


大事なのは..

「やりたいけど、やれない」と「やりたいけど、やらない」の違いだ。


自分で納得して決めているかどうかという事なのだが、

実際にその行動を取っているということは、

最終的にそれが自分にとって良いと判断したからなのだ。

自分が結果的に出した結論(行動)に対して、

自分の意向が抑えつけられてると自分に不満を持つなんてのはSFもいいところだ。





<ジネディーヌ・ジダン>


人は、他者から発せられた言葉1つで、

あんなに容易に目的を見失い、誤った行動をとってしまうものなのか?





<祭り>


祭りに出会うと思い出す事がある。

昔見たテレビ番組。

どこかの国のドキュメンタリー。

そこでは年に一回、盛大な祭りが開催される。

地区ごとに製作された巨大なオブジェが大通りをパレードし、

その年のナンバー1を競う。


問題は、他の地区に勝るべくオブジェには大金が注ぎ込まれる。

その為、生活費は切り詰められ、極貧の生活を強いられる。


もし、祭りが無ければ、安定したもう少し良い暮らしが出来る。

そうすれば、体調もより整えられる。

精神や脳もより良い状態でいられて、自分のやりたい事にも邁進出来る。


祭りを辞めれば、

オブジェに掛かる費用で図書館を運営する事も出来るし、

1年掛かりのオブジェ作製が無くなれば、

その分を子供達の遊び相手になったり勉強を教えたりする事も出来る。


一時の気持ちの高揚の為に散財してしまうというのは、

ちょっと納得いかない。





<気晴らし>


日々、良いモチベーションで生活している人に気晴らしは要らない。





<人の縁>


人の縁というのは大きい。

縁が縁を呼ぶという事もあるから、

人生の早い段階での1つの縁が人生を左右する事もあると。

良い縁に恵まれれば、連鎖的に良縁が良縁を生み、

否応無く幸せになってしまうと。





<宝くじ>


投資関連の事件があって、

「お金は、汗水たらして働いて稼がないと。」

なんて意見がそこかしこで出ていたのに、

宝くじを買う人がこんなにも多いは何で?


投資は頭も神経も使うし大変でしょ。

でも、宝くじなんて運だけやし。


さらに、分からないのが当選グッズ。

何の因果関係も無いのに、無理矢理関連付けてるだけやのに。

まだ開運壷なら自分の心構えが変わる事での状況変化は見込めるやろうけど、

宝くじは自分が何かをして結果に影響を与えられるもんではないんやから。

なのに、当選グッズ買うんよね..


人は面白過ぎ^^





<方法と目的>


上手くやるには、それに適した方法がある。

目的が違えば、それに適した方法も違ってくる。

人に、こうすれば良い、ああすれば良いと、方法を提示されても、

安易に従ってはいけないという事だ。

それが自分の目的を目指すに相応しいかどうか見極めた上で、

受け入れるかどうか決める。


例えば..

成功本は目一杯成功する為の方法が書かれている。

だから、そこそこの成功を得たい人にとっては遣り過ぎになってしまう。

また、お金を稼ぐ事が第一でない人にとっては採ってはいけない方法もある。





<全て計算>


「自分のやる事なす事(特に意図的でない行為について)全て計算だ」

という見方で自己観察をする。

そうすれば、自分がどんな奴なのかより良く分かるし、

もっと良いやり方を考える事も出来る。





<『我逢人』>


『我逢人』

人と逢うことを大切に

人に逢える場を大切に

人と逢う姿を大切に

--------------------

初遭遇。

それなりに知られた言葉のようですが、全く知らんかった。

言ってる事は当たり前の事やけど、

三文字で表現してしまえてるのが良いなぁと。


内容の三つ目「人と逢う姿を大切に」。

どんな姿をするかはどんな狙いを持っているかによる。

しかも、その狙いは姿として表現している以上、

どんな狙いも相手に知られるところとなる。

つまり、姿は自己主張の1つ。

自分の為のファッションだと言えども、

対峙する人に対してメッセージを放っているのだ。





<友達とは?>


聞かれてみて初めて、

自分の中ではっきりと定義されてない事に気付く事がある。


「友達とは?」

誰が友達で誰が友達でないか、境界線を引く事が難しい。

普段、相手が友達かどうかなんて意識して付き合ってる訳でもないし。

第三者に説明する時ぐらいなんじゃないかな「友達」って言葉が出てくるのは。


「友達とは?」

敢えて聞かれてみても..

機嫌を損なわないように気を使うような相手は友達とは言われへん。

って事ぐらいやなぁ。





<「これぐらいは出来んとアカンやろ」>


「これぐらいは出来んとアカンやろ」と思って頼む場合、

往々にして、相手は良い返事をするが、

結局は出来ないという事になる。


相手が出来る人なら、

「これぐらいは出来んとアカンやろ」なんて端から思わない。

そうでないから、そう思う。


相手が出来る人でなくても、それなりの判断力があれば、

自分に出来るかどうか鑑みて、その場で断るなり、

もう少し簡単な事にしてもらうなりする。


相手が出来る人でなくて、

さらに、それなりの判断力をも持ち合わせていないなら、

「これぐらいは出来んとアカンやろ」を自分でもそう思い、

自分に出来るかどうかではなく、

出来なければいけないとして、引き受けてしまう。


また、「これぐらいは出来んとアカンやろ」という思いを持って言う、

あるいはそれを実際に口に出して言うという時点で、

口調は強くなっているだろうから、相手はより強迫的に、

出来なければいけないと思うようになる。


結果、頼み事は果たされず、さらに状況は悪くなり悪循環へと一直線。


【結論】

「これぐらいは出来んとアカンやろ」

などという妄想は捨て去らなければならない。





<人生一度きり>


もし、人生二度きりなら?

人生がもう一度あるとしても、自分の選択は変わらない。

最善だと思う選択肢を選ぶからこそ、

自分の判断が検証され次に生かせるのだから、

他の選択肢を選ぶつもりは全くない。


人生は複数度無いのだからというよりは、

人生一度貰えたのだからという感じの方が強いな。





<法律を破らなければ何をやっても良い>


そんな事はない。

自己利益を考えれば、合法でもやってはいけない事がある。





<「何をやってもつまらない」>


物事を楽しむには、物事に応じて楽しむ為の能力がいる。

誰でも始めは初心者なのだから、

楽しむ力も無く、楽しみ所も分からない。


つまり、何をやってもつまらないというのは、

実際には大して何もやってはいないという事なのではないだろうか。





<「大丈夫です」は大丈夫?>


「いいです」とか「いらないです」と応えるところを、

「大丈夫です」と応える人がいる。


大丈夫というのは、

・それがあれば良いけど、なくても大丈夫

・そうであれば嬉しいけど、そうでなくても大丈夫

・出来ればして欲しいけど、してもらわなくても大丈夫

という風に、欲しているが断るという「遠慮」の意がこもっている。

そして遠慮するからにはそれなりの理由があると考えられ、

それは遠慮する方もされる方も意識する。


遠慮の意を持たずに「大丈夫です」を、

「いいです」とか「いらないです」の代わりに使っているとしても、

そういう風に使い続ける事で、

言う方も言われる方も相手に対して不信感を持つようになる。

というのは思い過ごしだろうか。





<嘘をつきたくないのなら>


嘘をつくのが嫌なら、黙っていれば良い。

黙っているのが嫌なら、話を逸らして別の話題にすれば良い。

話を逸らして別の話題にするのが嫌なら、

最初から関係の無い話題で話の流れを作れば良い。


嘘をつきたくないのなら..

普段から、なるべく嘘を付かなくて良い環境作りをしておけば良い。





<トラブル対策>


これから起こりうるトラブルへの対策として..

起こらないようにする。

起こっても被害を最小限に食い止められるようにしておく。

さらには、ピンチをチャンスにする策を練っておく。


極めて小さなトラブルの場合、上手く対処すると結果的に得となる事は多い。





<友達作りにおける男女差>


男同士だと、話するようになって、つるむようになって、

それでいつの間にか友達になってる。


それが女同士の場合「友達になろう」「うん」というような遣り取りを経て、

友達になる事も多いのだと。

そういうので、上手い事友達になれるもんなんかなぁ?

ん~、分からん。





<祖供養>


宗教によって先祖供養のやり方も違う。

其々が信じる宗教のやり方でやれば良いのだろう。

無宗教なら、宗教的儀式はやらないというのが適当。

無宗教なら、先祖は供養が必要な状態に置かれてはいないからだ。





<横になっている自転車>


自転車が横になっていると「倒れている」と思う。

しかし、そうではない場合もある。


倒れていると思うのは、

自転車は立てて置かれるものだという認識があるから。

決め付けだが、妥当な決め付けだ。

初対面の人の顔色を見て具合が悪そうだと察したり、

有り得ない安値だから偽物ではないかと用心したり、

個別に判断すべきだが情報がない為、同種の事例を参考にする。


しかし、倒れているのではない場合もある。

その日はその後天候が崩れ強風が吹く事が分かっていた為、

敢えて横にしておいたのかもしれない。

また、止め具等が破損していてちゃんと立たないのかもしれない。

親切心で勝手に立ててあげた事によって、

結果的に迷惑を掛ける事になるかもしれない。


「本来こうあるべきだ」という認識は悪くはないが、

そうでない状態が妥当な場合もあると。


夜は暗い。

暗くない夜というのはおかしいように思われるが、

北極や南極において、暗くない夜(白夜)は当然の事なのだ。





<他人の心配>


他人の心配を解消するには、その心配事となっている問題を解決すれば良い。

しかし、簡単に解決出来るようなら始めから心配はしていない。

一発解決が出来ないのならば、解決を目指して自分に出来る事をやれば良い。

それが心配の緩和にはなる。


気持ちの問題など、直接何かをしてあげられる問題では無い場合もある。

そういう場合でも、問題を乗り越えて欲しい気持ちを何らかの形で伝えたり、

乗り越えてくれる事を信じて、

乗り越えた暁に一緒に何かやる為の準備をしておく事は出来る。





<勝ち組と負け組>


勝ち組とは、何を得て何を失った人の事ですか?

負け組とは、何を得て何を失った人の事ですか?





<精神的ダメージ>


精神的ダメージ、受けるか受けないかは自分の匙加減一つ。





<vs精神攻撃>


精神的ダメージを受けそうになったら「バトル開始!」

精神攻撃に対抗すれば良い。

戦っている内に防衛力も上がる。


というか..

精神攻撃自体、自分が作り出した幻影。

他者の言動や行動、それに目前の状況から、

自らが生成して自分自身に吸収する。

生成しないようにするか、

生成しても弱いものにすれば問題ない。


人がゲガをすると、その患部が痛む。

痛みによって、その患部付近の機能を利用し辛くなる。

それは、その患部を労わり悪化しないように、

また、安静にして治癒を促す効果がある。

痛みは身体を守る為に必要なものなのだ。


精神的ダメージを受ける事もまた、人にとって必要なシグナル。

精神的ダメージというのは「嫌な感覚」「不快感」というところ。

それらは、何か自分にとって良く無い事柄から生まれる。

精神的ダメージというのは、

自らが避けたり乗り越えたりしなければならない状況にあると教えてくれているのだ。

しかし、自らを不利にするほどのシグナルは要らない。





<遺族の気持ち>


被害者の遺族は、その後どう気持ちを持って行くのだろうか。

また、どういう風に気持ちを持って行くのが良いのだろうか。





<たられば再評価>


「○○だったら、××であれば」

言い訳としてのみ利用は意味が無いだけでなく有害でもある。

しかし、反省として「次は○○にしておこう」にまで繋がれば有益となる。


さらに、まだ起こっていない事について、

前以ってシュミレーションをする為の利用も有益だろう。

目的目指して何か取り組む際、

色んな事を想定して進めて行くのは必要不可欠だし、

これから起こりうる災害に備えて、

前以ってどうすれば良いのか決めておく事は生存確率を上げる。


非現実的なシュミレーションとしての利用もまた、

思考力、想像力や発想力を育んでくれるし、

現実の問題を解決する際のヒントを得る事もある。

子供の頃は、誰もが色んな妄想を膨らませて盛り上がるのに、

大人になると、何故か目の前にあるものの事しか考えないようになってしまう。

大人も色んな事を妄想して、考えるという事を楽しめば良い。

普段から「たられば」を気軽に利用すれば良い。

「自分が○○だったら」と考えるだけでも、色々気付く事はある。





<破損と修復>


壊れ易い部位が修理し易いなら、長く使い続けられる。

壊れる際、後から修復し易い部位が優先的に破損して、

壊れるようにしておけば修復が容易。





<相手によって態度が変わる>


自分より相手の社会的立場が高ければ、真面目で丁寧な表現を用いる。

しかし、自分より相手の社会的立場が高くとも、

寛容であったり形に拘らない人ならば、砕けた表現をさせてもらえる。





<やる気のない事も一度前向きに検討してみる>


道具においては、自分に必要な特徴さえ生かせれば良い。

利用しないとしても、

一度利用する事を想定してみると利用価値が見出せる可能性がある。





<やってみないと分からない>


目的に合わせて手段を選ぶ。

手段に合わせて目的を選ぶ。


無駄になっても構わない程度のコストで済むなら、

確実な利益を見込めなくても一度やってみれば良い。

やってみないと分からない事もある。

思いも寄らない利益を得るかもしれない。

でも、乗り気でないのにやっても上手く行かないのではないだろうか。

いや、宝捜し気分さえ持っていれば良いんじゃないかな。





<努力格差>


頑張る人は無茶苦茶頑張り、

頑張らない人はとことん頑張らない。


頑張る人は「頑張れば何とかなる」と思えるから頑張れる。

だから、頑張る人は頑張っても上手く行かないと、

「こんなに頑張ってるのに何で上手く行かないのか」と不満を持ち、

さらには、自分の頑張りが足りないとして余計に頑張る。

自ら心も体も追い込んで行ってしまう。


頑張らない人は「頑張ってもしょうがない」と思うから頑張らない。

頑張らない人は頑張らないから、

自分の頑張りで何かを得るという経験が少なく、

さらには、何も得ない事が当たり前のようになる。

目的を持ち得なければ頑張る事は必要で無くなる。


「頑張れば何とかなる」「頑張ってもしょうがない」

どちらも極端なのだ。


#頑張っても何ともならない事もある。

#しかし、頑張らないと何とかなる可能性すらない。




<嫌がらせ>


好きでもない人の為に時間や労力を消費するなんて..

ん~、分からん。





<やればできる>


他者に「やればできる」と誉められる事になる事例の多くは、

当人にとって「それならできる」という事柄である。





<ドラマ「ダンドリ。(最終回)」>


無気力教師・石橋先生がチアダンス部の顧問を押し付けられ、

色んな困難を乗り越えながら目標を持って頑張るチアダンス部に関わって行くうちに、

チアダンス部の味方となり、応援するようになり、積極的に支援するようになる。

そして最終回、このドラマを総括するようなセリフが石橋先生から出る。


鈴木カルロス三郎太

「カナメン(相川要)凄いですよね。あの力はどこから湧いてくるんでしょうか?」

石橋渡先生

『湧いてくるというよりも、誰かから貰ってるんじゃないでしょうかね..

 相川さんには良い仲間がいっぱいいますから..

 人から貰う力は大きいものです。僕等も大事に使わなきゃ..』


力は他者から貰うもの。

だとしたら、力をいっぱい貰うべく、

他者がより良い状態になるよう努める必要があると。





<キッカケ>


何かをキッカケとして成長するには、

キッカケ以前に、自分の中にそれなりの蓄えがなければならない。





<最期まで何が起こるか分からない>


人生、最期まで何が起こるか分からない。

蒔いた事を忘れるほどの小さな種が長い時を経て実を結ぶ事もある。

引き篭もってさえいなければ新たな出会いもある。

(アメリカのテレビドラマ『LONG WAY HOME』を観て)





<顧客対応術とゆとり教育>


顧客対応に関する書籍やセミナーをそこら中で目にする。

それだけ、売り手は少しでも賢くなって売上を上げようと苦慮していると。

商売は売り手と買い手で成立する。

もしや、ゆとり教育は買い手のレベルを下げて消費を上げようと計画された?

なんてな。

..冗談は置いといて。

#下げると対峙しているものが相対的に上がる。

#悪くする事で対峙しているものが良くなる。

#でもやはり、あんまり良い方法とは思えない。

#総体的に上がったり良くなったりしている訳ではないから。





<最悪>


少し悪い事が起こる度に「最悪」と言う人がいる。

その行為は自らの人生を「最悪」だらけにしてしまっている。


物事にどういう言葉を貼り付けるかで、

自分の人生の良し悪しを大きく左右してしまう。


言葉は危険だ。





<悪い事>


ずっと悪い事ばかり、

しかも、それらの悪い出来事を思い返してばかりいて、

凄く落ち込むという人がいる。


目的持って日々生活しているなら、

悪い出来事なんて思い返している暇は無い。


悪い事はほっといても向こうからやって来る。

しかし、良い事は待っていても中々やって来てはくれない。





<音楽>


音楽に勝ち負けはあるのだろか?


私は、歌詞だけでなく曲も含めてメッセージなんだと思う。

じゃあ、聞き直そう。


メッセージに勝ち負けはあるのだろうか?





<中身が分かると外見が分からなくなる>


赤の他人だと、どういう人なのか幾らかでも知ろうと顔の作りを見る。

どういう人なのか良く知った人だと、顔の作りから性格等を推し量る必要はなく、

それに替わって、機嫌や気分、体調などを知るべく表情の変化を見る。


どういう人か分かってくると、形ではなく変化に注意が行くようになると。


外見は中身を推し量る為のもの。

中身が分かれば外見はどうでも良くなる。


..ですよね?





<考えて貰う為の質問>


答えて貰う為でなく、考えて貰う為の質問。

他愛ない質問、しかしそれについて考えると、

自ずと質問者が考えて貰いたい事柄に注意が向く質問。


そういう質問をして、実際に考えて貰いたい事柄に注意が向けば良いし、

また「何故こんな質問をするのか?」と考え、

「ある事に注意を向けて貰う為」と質問の意図を汲んで貰えれば、

「質問者が何故それを重要視しているのか」という観点からも考えて貰える。


『人は押し付けられたものに対して積極的に取り組む事はない。』





<回答不要アンケート>


・自分の事が好きですか?


・好きな人いっぱいいますか?


・自分を悪魔だと思った事ありますか?





<そして誰もいなくなった>


人の欠点や問題行動を上げ連ねて足を引っ張るより、

欠点をカバーしたり、問題行動をしないよう促したりと、

活躍出来るようにサポートする方が良い。


ちょっと欠点や問題があるからといって切り捨てていると、

活躍してくれる人は誰もいなくなってしまう。





<優遇≒隔離?>


例えば、女性専用車両。

痴漢に対して意識の強い女性はそれを利用する。

そうして貰えれば、痴漢と間違われるという事も減ると。





<他者の利用法>


自分には何が出来て何が出来ないのかを、

他者に知ってもらえるよう努める。

そうすれば他者に適切に利用してもらえる。

結果、自分は効率良く能力を伸ばせると。





<相手の事が分からないと..>


以前、アマ相手に駒落ち将棋を指すのが上手い棋士とそうでない棋士がいる

というのを読んだ事がある。


駒落ち将棋は棋力の差を上手が駒を落としハンデを付けて勝負する。

将棋は相手がどう指すか先の先まで読んで自分の手を指す。

そして、棋士は自分が有利になってしまえばほぼ勝ち切る。

駒落ち将棋は駒の揃っている下手が有利な状態で始まる。

上手を持つ棋士は、有利な下手が勝つ手順が自然と見えてしまう。


プロ棋士相手では無理な手を指さなければならず、

あまりに無理な手は、相手の棋力が相当低ければ通るが、

そうでなければ咎められてしまう。

だから、相手の棋力を把握する必要がある。

しかし、アマ相手の駒落ち将棋は大概初手合い。

対局をしながら相手の棋力を見極めていかなくてはならない。

そして、その能力に長けているか否かが駒落ち将棋の上手下手に直結する。


日常の他者との遣り取りも同じ。

相手の力量次第で言動の意味が違ってくる。

相手の力量が良く分からなければ、

言動に込められた含みや意図をあれやこれやと推測してしまう。

さらに、相手を良い人だと認識していると、

自分の事を考えての巧妙に計算された意図を見出してしまう。

そうすると、相手は言語学や心理学のエキスパートのように思えてくる。

その事自体、確実性が低い事が分かっている分には問題なく、

寧ろ、様々な言動について考えてみる機会となるので良い事だと言える。

しかし、相手を良く知り交流する方が実りは大きい。





<機械オンチ>


機械オンチだからと言って、

丸ごと拒否しないで欲しい。


目一杯使いこなさなくても良い、

やりたい事さえやれれば十分。





<臓器売買>


貧しい国では生活費にする為、仕事を始める資金にする為、

2つある腎臓の1つを売る。


日本で売買を認めたら?

若い内に幾らかでもまとまったお金を手にする事が出来る

というのは魅力があると思う。

学費や起業資金をリスクはあるが借金せずに手に入れられる。

チャンスは広がる。


しかし、それは国や企業が若者に手を貸せば済む話。

実際、若者支援の制度はある、あんまり人目に触れない感じやけど。

と、若者支援の話は置いといて。臓器売買。


認めてしまうと、お金になるとなると、

臓器売買絡みの犯罪が蔓延するようになってしまうだろう。


でも、脳死&心肺停止後の臓器提供で、

葬式代程度のお金が入れば有り難い。

そうすれば一文無しで死んだとしても安心。

自分としては無宗教やから葬式はいらんけど、

葬式は残された人の為のものやから、

やって気が済むのなら、やってもらいたいから。


売買が不味そうやから、

国民の健康を守るという意味で、

国から葬式代出して貰えればなぁ。


..と臓器はお金になると知って図に乗ってしまいました。

お金は要りません、自由に使って下さい。





<バンドライブを楽しむ為には>


演奏者としてライブを楽しむ為にはどうすれば良いか。

自分が楽しむ為にはお客さんが楽しんでくれる事が必要。

お客さんに楽しんで貰う為にはメンバー全員の活躍が必要。

メンバーに活躍して貰う為にはメンバーをフォローしたり盛り立てる事が必要。

つまり、メンバーを支援する事が自分の利益(ライブを楽しむ)に繋がると。


また、観客としてライブを楽しむ為にはどうすれば良いか。

楽しませてもらうだけよりも、自ら楽しもうとした方が良い。

ライブに協力するよう心掛ければ良い。





<音楽を楽しむ>


演奏者が楽しそうに嬉しそうに演奏していると、

自分の好みの曲でなくとも十二分に楽しめる。

(ドラマ『のだめカンタービレ』を観て)





<くだらないミス>


くだらないミスと呼ぶ事で、

くだらないミスを野放しにしてしまう。

自分のミスしかり、他人のミスしかり。





<誹謗中傷>


それは発言者の意見というだけ。

それによって減ずるのは、

自分の価値ではなく、相手の価値。





<ネット上の書き込み>


自分の書いた事に対して色んな書き込みがなされる。

それには反論や批判、非難に誹謗中傷、

それに意味不明なものまであるが。


それらは全て、自分やそこを見るであろう人へ向けたメッセージ。

そこには何らかの意味がある。

意味が無ければ書こうとすら思わない。


人が皆、コミュニケーションが上手いという訳ではなく、

人が不快に思うような書き込みでしか表現できない人も居る。

そういった人のメッセージにも、なるべく耳を傾けて欲しいなぁと。





<信じていたのに裏切られた>


「信じていたそうですが、

 どこまで調べて何を根拠に信じたのですか?」


と聞いても答えられないでしょう。

それは無責任に信じていたから。

いや、信じていたのかどうか疑わしい。


「裏切られたと言いたいが為に

 信じていた事にしたのではないですか?」





<生きていてもしょうがない>


「○○してもしょうがない」というのは、

何らかの目的があり、その目的を達成するに当たって、

○○が寄与する所がまるで無いという事だ。


という事は..

「生きていてもしょうがない」とは、

生きていても目的を達成出来ないという事。

生き方が間違っているか、目的が現実的でないか。

生き方を変えられるのなら変えれば良いし、

生き方を変えられないのであれば、目的を修正すれば良い。


「生きていてもしょうがない」というのは現状認識であって、

これからどうして行くか考える出発点なのだ。





<どう生きれば良いのか分かりません。>


どう生きても構いません。





<祖母のお葬式>


何段にもなった祭壇が設置され、

その祭壇や周りにはたくさんの花や果物やらが並べられている。

式が始まるとお坊さんが来て長々とお経を読む。


無宗教の私からすれば一切合切が無意味。

お金も時間も凄く無駄遣いに思えた。

お別れは個々が心の内でやれば良いし、

それも「ありがとう」の一言で十分なんじゃないかなと。


私は一切哀しいとは思わなかった。

私にとって死は哀しむべき事ではないから。

死は人間に備わったものの一つなのだから。


それより、根が不真面目だから、

その場で大人しくしている事が大変でした。

それでもなんとか最後まで堪え切りました(笑


お葬式にも良い面はありました。

祖母や先に亡くなっている祖父の昔話、

それに母の子供の頃の話を聞く事が出来ました。


----

私は無宗教だから葬式は必要ない。

けど、葬式は残された人の為のものだから、

残された人がやって気が済むのならやった方が良い。

あと、お通夜&お葬式は急な事だから、

仕事をしている人に対して迷惑を掛ける事になってしまう。

だから、親族だけでやるのが良いんかもなぁと。





<形式張った物言い>


相手によって自然と接し方は変わる。

形式張った挨拶や謝辞を用いるのは、相手を形式に拘る人だろうと判断しているから。

そしてそういう時私は、相手の事を馬鹿にしないよう、ほんの少し意識する。





<履修漏れの高校校長自殺>


「生徒の手本となるべき立場にある校長が、

命を粗末にするような事をしてはいけない。」という批判もある。

けど、校長が自殺を選んだという事よりも、

それを食い止められなかったという事の方が問題なんじゃないかな。

誰が悪いとかというのではなくて、これからの課題という意味でね。





<ラザロ徴候>


意識があろうが感覚が残っていようが、そんな事はどうでも良い。

問題は他者とコミュニケーションが取れるか否か。

一切取れないなら死んだものとして処理してもらいたい。

亜空間を独り漂い続けるなどというのは辛過ぎる。





<尊厳死>


映画『この生命誰のもの』では、

順風満帆な人生を送っていた活動的な彫刻家が、交通事故で首から下が麻痺、

それは治らず以前のように自分なりの創作活動が出来ない事を知らされ絶望する。

そして彼は病院に対して退院(=死)を求める。しかし認められず、

納得の行かない彼は裁判を起こし、最期には退院を勝ち取る。


映画『ジョニーは戦場へ行った』では、

戦争で目も口も耳も鼻も手も足も失ったジョニーが、

人目のつかない倉庫の中、ベッドの上で意識を取り戻し、

少しずつ自分の置かれた悪夢のような状況を把握していく。

色々と想いを巡らす内、

僅かに動く頭を使い、モールス信号が打てる事に気付く。

そして彼が発したSOS以外のメッセージは

「外に出たい 人々に僕を見せてくれ 出来ないなら僕を殺してくれ」

「殺してくれ」

しかし、彼はそのまま放置され..終幕。





<命を大切にする>


命を大切にするというのは、

人生を大切にするという事でもある。


延命治療をして最期の酷い状態、

死を待つだけの時間を長引かせる。

それは、家族やその他近しい人達に、

そのような自分の姿を見せ続け、

長期に渡って辛い想いをさせ続けてしまう。

また、見舞いに来たり、普段の生活の中で気になったりと、

日常生活を侵害する。

そう考えると延命治療は、

家族やその他近しい人達の命を大切にしていない。





<臓器提供意思表示カード>


今までは臓器を勝手に使って貰って良いという人の方が、

何故カードを携帯しなければならないのかと、

少し納得のいかない部分があったけど、

『脳死になった際、すみやかに人生を終わらせて貰う為のカード』

という意味もあると分かった今、

積極的にカードを携帯しておこうという気になりましたとさ。





<有りきで考える>


完全に無くす事が難しい場合、

無くす努力を続ける事も必要だが、

有りきで対策を講じる事も必要だ。





<いじめはあってはならない?>


いじめはあってはならないという考えが蔓延しているから、

学校でいじめがあっても学校側は隠そうとする。


無いに越した事は無いが、実際にはある。

しかも、学校で容易に解決出来るような問題ではない。


そういう認識が持てれば、学校だけに頼る事無く広く協力を求め、

学校のみに重責を負わす事が無くなれば、

学校には学校の出来る事を十分にやって貰えるのではないかなと。





<責任>


責任は押し付けるものではなく引き受けるもの。

常に責任は自分の側にある。





<現在人の戦闘能力(自殺問題)>

攻撃力が上がったのか、防御力が下がったのか、

そのどちらもか、それとも大して変わっていないのか。





<泣けば済む>


「泣けば済むと思っているだろう」という非難を受けた人が

実際に「泣けば済む」と考えて泣いているケースは稀なのではないか。


だとすると、泣きの殆どが意図的ではなく、

さらにその要因は「泣けば済むと思っているだろう」と、

非難した側にあると考えられる。


つまり、非難者は自分の責任を相手に転嫁している。

「泣けば済むと思っているだろう」で済まそうとしていると。





<ハンドルを握ると人格が変わる>


普段は怒りっぽくないのに、車を運転していると、

他の車のドライバーに対して罵ったりする人がいる。


相手に聞こえない事が分かっているから言える。

だとすると、普段は相手に聞こえるから言わない。

心の中で罵っているが表には出さないと。


ハンドルを握ると人格が変わる人には気を付けよう。





<等価交換?>


ほんと良くしばかれた。って今もか。

からかうからしばかれる。

しばかれるから余計調子に乗ってからかう。

手加減無い奴もおった、バチコーン!て。

ちょっとぐらい手加減せぇよ~

なんて言いながら、さらにからかい巻くる。





<喜怒哀楽>


哀しむぐらいなら怒っている方が良いし、

怒るぐらいなら楽しんでしまう方が良い。

てか、感情を持ち得る事自体が喜ばしい事なんかもな。





<沈んだ気持ち>


沈んだ気持ちを癒しを用いて雲散霧消。

ってのはどうも勿体無い感じがする。

「悔しさをばねに」みたいに力に変換した方が。

ってのは無理なんかな?





<何か手伝う事ないですか?>


「何か手伝う事ないですか?」

と言おうと近づき、言う直前で言葉を少し変える。

「何か手伝う事ありますか?」


相手にとって何ら変わる所はないかもしれないけど、

自分にとっては少なからず影響があるんじゃないかな。





<やって当たり前>


他者の行為に関して、

やって当たり前の事なんてない。

ただし、自らの働き掛けによって、

やって当たり前に近づける事は出来る。





<怒りを覚える事が無い>


怒りを覚える事が無いと言っても、

それなりの事が起こっている以上、

何か思う所はあるだろうって?


そりゃ思う所はある。

済んだ事なら「しょうがないなぁ」と思うし、

最中の事なら「まいったなぁ」と思う。

どちらにせよ、怒りを覚える余地は無い。





<容姿と好感度>


好感度において、

容姿の良さはあまりプラスに働かない。

むしろ、マイナスとなったり、

好感度の判断をシビアにしてしまう。


..というのは私の個人的な偏見。





<急がば回れ>


泣いたり怒ったり、

悩んだり辛い思いをしたり、

そういう事も必要なのかも知れない。

が..





<生きるのに疲れた>


生活苦なら分かる。

もしくは「生きるのが辛い」と言うのなら分かる。





<一生を終えて後に残るのは>


##############################

一生を終えて後に残るのは、

我々が集めたものではなくて、

我々が与えたものである。

(ジェラール・シャンドリー)

##############################


後に残るのが自分自身で、

その自分自身を与えられるとしたら。

それはまさに自己繁殖、

上手く展開出来たのなら子孫繁栄。


「後に残るのが自分自身」

これを実現させるものがある、

それはミームの考え方。


自分の持っている物事に対する捉え方や考え方。

それらは自分を形作る部分。自分の一部。

その自分の一部を他者に受け取ってもらう、

そしてまた他者から他者へ。





<指摘のレベル>


・感情的に怒る

・冷静に注意する

・ふざけ口調で怒る


悪いと知っていての行為、無知によるもの、

単純なミスなど、質によって使い分ける必要がある。

また、仕事、プライベートなど、状況によっても。


しかし、私は今のところ、

感情的に怒る事が有効な質や状況は思い付かない。

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