第99話 雪山の狩人

 雪に覆われた山道をくだっていくのは、リナにとって決して楽なものではなかった。

 ゾンビなので疲労はなく、不注意で転んで怪我をしてしまっても、さほどのことはない。

 問題は、小柄な体格のせいで足を取られやすいことだ。しかもロクな装備はないうえ、モルテという荷物を背負っている。

 思うように歩みが進まず、気ばかり焦っていたところで、空を雲が覆いはじめた。

 あっという間に太陽が隠れ、かわりに雪混じりの強い風が肌を吹きつけてくる。


「やべーな……吹雪になったら追っ手の目はくらませられるかもしれねーが、モルテももたねーぞ」


 モルテは毛布にくるまり、ほとんど意識のない状態でリナに背負われていた。

 絶え間なく呼びかけてはいるが、いまはもう返事すらなくなっている。

 ようやく人が入れそうな岩穴を見つけた頃には、天候はかなりひどい有様だった。


「助かったぜ!」


 あと10分遅かったら吹雪で視界が塞がり、にっちもさっちもいかなくなっていただろう。

 跳ねるように岩穴に駆け込もうとしたリナは、しかし、その手前で足を止めた。

 モルテを背負ったまま腰に手を伸ばし、なんとか1本だけ城から持ち出すことができた剣を抜き放つ。


「誰かいるのか?」


 背後で吹きすさぶ風雪の音に比し、ぽっかりと口をあけた穴の奥は暗闇に沈み、異様ともいえる静寂に満ちていた。

 リナは油断なく闇を見据えつつ、ゆっくりとモルテを背中から降ろした。

 そしていよいよ意を決し、岩穴に踏み込もうとしたとき、中から人影が現れた。


「誰だ?」

「お前こそ誰だ!?」

「……子供だと?」


 若い男の声だった。


「俺はアルクという。ふもとの村出身の狩人だ」


 朴訥そうな顔つきをした人間の若者で、どことなく霧矢に似た雰囲気がある。

 毛皮でできた上着も背負っている弓も、かなり使い込んでいるようすで、年若いながらも熟練の者であると感じさせた。


「ウサギを狩りに来たんだが、急に天気が変わったんで、ここでやりすごすつもりだったんだ。火を起こそうとしてたところへ、あんたたちが来たってわけだ」


 アルクの視線が、ちらりとモルテのほうへ向けられた。


「女か。女のふたり連れが、どうして山にいるんだ?」

「ア……アタシらはエーヴィヒカイト城のモンだ。この子が急な病にかかったんで、町の医者に診せにいくとこだ」


 エーヴィヒカイト城は、周辺の町や村と必要最低限の関わりしかもっていない。

 おそらくは姿すら見たことのない支配者に対し、領民がどんな感情を抱いているかわからないが、馬鹿正直に城から逃げてきたと話すのは危険だろう。


伝染うつる病気なのか?」

「その心配はないと思う」


 アルクはモルテに近づき、顔を近づけた。

 なにかあればすぐに斬りつけられるよう、リナは剣を持ったままようすをうかがっていたが、アルクはただ具合を確認しただけで、特に怪しい動きは見られなかった。


「たしかに、そうとう悪そうだ。姉妹……ではないな?」

「友達だよ」


 胸が張り裂けそうな想いをこらえながら、リナは言った。

 アルクは、リナとモルテを交互に見ながら何事か考え込んでいたが、やがてこう提案した。


「吹雪が収まったら俺の山小屋に来るといい。すこし道はそれるが、町よりは近い」






 それは小さな山小屋で、狭い分造りはしっかりしていて、猛吹雪でも心配ないとアルクは請け合った。


「ようすはどうだ?」


 ふたつあるベッドの片方にモルテを寝かせる。

 汗がひどく、顔色もよくない。

 魔法力が尽きると貧血に近い状態になるが、それだけでここまで悪くなるのかどうか、リナには判断がつかなかった。


「着替えさせるんで、こっちを見ないでくれるか?」

「あ、ああ。すまない」


 リナに言われて、アルクは慌てて後ろを向いた。

 女慣れしているようにも見えない、純朴な青年といった反応だ。

 彼の視線が外れたのを確認して、リナはモルテの腕の傷を調べた。

 魔具の一種、呪い針。

 体内に巡るマナを魔力に変換し、それを実際に魔法として行使するための貯蔵を魔法力という。

 魔法を使えば魔法力は消費され、呪い針はその回復を妨げる。

 モルテの説明はだいたいそんなところだったが、実際はそれ以上の影響がありそうだ。

 針は肉に完全に食い込んでおり、とても取り出せそうにない。

 最悪、腕を切り落とせばなんとかなりそうだが、それは最後の手段にとっておきたい。


「俺は町にいくが、なにか必要なものはあるか?」

「消化のよさそうな食べ物と……あとは、安物でいいから適当な服を頼む」

「薬はいいのか?」

「ちょっと厄介そうな病気なんでな。ちゃんと診てもらってからでないと」

「わかった」


 てきぱきと支度を整え、アルクは出ていった。


「リナ」


 名を呼ばれて、リナがベッドに目を向けると、モルテがうっすらとまぶたをひらいていた。


「起きてたのか」

「すこし前から」


 モルテの声は、意識を失う前よりいくぶん落ち着いているように聞こえた。


「あの人は、信用できそう?」

「どうかな。まだわからん」

「いずれにせよ、なるべく早く発つべきね」

「同感だが、動けるのか?」

「無理。魔法力のほうも、瞑想状態に入って回復できるか試してみたけど、ダメみたい」


 モルテは歯がゆそうにくちびるを引き結んだ。

 呪い針を除去するには、解呪に長けた魔法医に診てもらうべきというのがモルテの見解だった。

 呪いの強さ次第では、相当腕の立つ魔法医でも難しいだろうが、そこは賭けである。


「とにかく町へ行って情報を集めないと」

「となると、まずは体力を取り戻さないとな」

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