第3部
第88話 嫉妬
空気が違う。
近頃、城を歩いていてそう感じることが多くなった。
(いつからだ?)
リム・ポルパンドは過去の記憶を思い返したが、結論は出なかった。
気づかぬうちに、そうなっていたのだ。
具体的には、明るく、活気が増した。
以前は聞かれなかった笑い声がそこここで響き、皆生き生きと働くようになっている。
「言われてみればたしかに。でも、いいことじゃないですか。なんで?」
などと、のんきな答えが返ってきた。
たしかに彼女の言うとおり、悪い変化とは言えないだろう。
だが、原因がわからないというのは不気味である。
(これだから、20年も生きていない子供は……)
元より、リムに他人を頼るという気持ちは薄い。
自身の能力に絶対の自信があるゆえである。
煙たがられるのを承知で城内を巡回する回数を増やし、普段は声をかけない兵士や下働きの者たちに聞き込みをした。
はじめは大した話は聞けなかったが、そこは根気強さ、もといある種の鈍感さで乗り切ると、すこしずつ事情がわかってきた。
「は、はい。よくお見えになります」
「わたくしどものような者にも気さくにお声をかけてくださり、時には相談事も聞いてくださいます」
「あの方は、失くした櫛を見つけてくださいました。母の形見の大切な品です。ええ、それはもう、見えていたかのようにあっという間に」
「誰も見向きもせんようなわしらの仕事のことを、あれこれ知りたがりなさるんです。いやはや、質問責めで参りましたわい。ほんに、子供のように目をキラキラさせて――」
誰も彼もが嬉しそうに話す。
彼女のことを。
この城に新しくやってきた、高貴な女性のことを。
「なんのつもりですか?」
「なんのつもり、とは?」
虫も殺さぬ笑顔で、モルテ・リスレッティオーネは問い返した。
「とぼけないで頂きたい。近頃、城の者と頻繁に関わっておられるでしょう」
「なぁんだ、そのことですか。だって退屈なんですもの」
手のひらを合わせ、悪びれもせず言う。
この女のやることなすこと、いちいち癇に障る。
「お城で働く方々とおしゃべりするくらい、構わないでしょう? 外出は禁じられ、他にすることもないのですから」
「あなたはいずれ、彼らの上に立つ身です。示しがつかぬとは思いませんか?」
「あらまあ、こちらでは流儀がちがうのかしら? すくなくとも、わたしたちダークエルフにとって目下の者への理解を深めることは、支配者としてあるべき姿とされています――もっとも、わたしがエーヴィヒカイト様の求婚を受けると申し上げた覚えはありませんが」
すらすらと言い訳を並べ立てただけでなく、自分の立ち位置についてもきっちり念押ししてくるあたり、さすがのしたたかさである。
城の者たちは、モルテが公妃になるものとすっかり思い込んでおり、これを歓迎しているようすだった。
ここで、モルテにそのつもりはないのだと言い立てるのは、彼女がただの客だと認めるようなもので得策ではない。
それどころか、あの優しいお方に酷い仕打ちをしているのかと、反感を買う恐れすらある。
(かといって、このまま彼女が味方を増やしていくのを黙って見ているのは……)
そこまで考えて、リムは久しく味わっていなかった寒気を背筋に感じた。
すべては計算ずくか。
この女なら、それくらいはやりかねない。
(だとしたら、狙いはなんだ?)
単に、城から逃げ出すための布石であればまだいい。
それならむしろ、リムにとっては望むところでもある。
だが、エーヴィヒカイトの身になんらかの危害を加えようとするものであるならば――
(いっそ、いま、ここで……)
至近距離から魔法を放てば、いかにモルテとて致命傷は免れまい。
彼女のそばにはいつもゾンビメイドのリナがついているが、それも問題ではない。
(わたくしなら殺れる……しかし……!)
リムの脳裏に浮かんだのは、主エーヴィヒカイトの、底知れぬ深淵を思わせるまなざしだった。
「捨て置け」
結局、リムが選択したのは、モルテの動きをエーヴィヒカイトに報告することだった。
すべてを聞き終え、最後にひと言だけ発された言葉はあまりに短く、リムは耳を疑った。
「まさか……好きにさせておくと仰るのですか?」
「そう言った」
「さようですか……いえ、きっと深いお考えがあってのこと。わたくしごときがこれ以上――」
「買いかぶりすぎだ。なにもない」
「は?」
「退屈だと、アレは申していたのであろう? こちらが用意せずとも、自ら無聊の慰めを見出したのだ。結構なことではないか」
「な、なるほど……?」
「障りがあるなら、はじめから部屋を出ること自体禁じておる」
モルテがなにを企んでいようと問題ではない――そういうことなのだろうと、リムは推察した。
ならば、なにも言うことはない。
(だが、なにか――)
ひっかかる。
胸の奥に、棘のように残る違和感。
エーヴィヒカイトを信じてないわけではない。
それどころか、神のごとき全幅の信頼をおいてさえいるのだ。
そこではたと、リムは気づいた。
(そうか……いつになく、楽しそうなのだ)
まるで、次はどんないたずらをしかけてくるかと待ちわびているかのような。
そのような主の姿を最後に見たのはいつだったか。
もう、記憶にすら残らぬほど遠い昔のことのような気がした。
気づくと同時に、煮え滾るような想いがふつふつと湧きあがってくる。
(なぜだ……なぜ、こんなにも……!)
妬ましい。
自分でも理由のわからぬその想いに、リムは身悶えした。
皮膚が破れるほどくちびるを噛みしめ、かき抱いた両腕に爪をたてていた。
控え目にドアをノックする音が聞こえなければ、そのまま肉をえぐっていたかもしれない。
「なんだ」
「はっ。たったいま、ショーゴ様がもどられました」
「わかった。すぐいく」
リムが肌をこねるように手を動かすと、腕の傷は跡形もなく消えていた。
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