第13話 

 しばらくは、家畜と変わらなかった。

 与えられた食べ物を喉に流し込み、排泄に行くだけ。

 喜びもなく、悲しみもなく――喉は声を出すこともなく、ただ息をするだけ。


 真一にとって、外界はすべてベールが被っているように見えた。


 危害を与えるなと言われているのか、まわりのエターナル達はただただ遠巻きにして真一を見ていた。

 大切な食料を味わいもせず無雑作に口に流し込む彼は、多分良くは思われていなかったと思う。だが、彼にあからさまな侮蔑の表情を向ける者はなかった。


 日々2回の配膳。彼の目の前に皿を置くのは決まって細くて長い指だった。

 

「どうぞ」


 冷たくも温かくもない無機質な声。

 この声は知っていた。

 船の中で彼に粥を運んできた少女のものだ。

 真一の配膳係、は彼女に決められていたのであろう。


 いつだっただろう。うつむいて膝を抱え込むようにして座っている真一は、何かが顔に触れた気がしてふと顔を上げた。

 それは風に吹かれたまっすぐな長い髪だった。


「あ、すみません」


 大きく目を見開いて、少女はか細い声であやまる。

 今まで押し殺していただろう感情がふとその声からにじみ出る。

 それは予想外にも、真一に対するほのかに温かい感情に満ちていた。


――高村くん


 荒木早苗の声が、不意に真一の頭の中でよみがえった。

 それを呼び水にして、心の奥に押し込めて蓋をしていた記憶が一気に吹き上がる。

 ああ、あの時に戻りたい。そして――


 もし、彼女を見捨てていれば。

 もし、彼女と友達でなければ。


 くりかえす「もし」に埋め尽くされて彼の呼吸は速くなる。

 

「…………です……か」


 遠くに聞こえる細い声。

 いわれのないやさしさに満ちた声。

 それは、真一の中の理不尽な怒りに火を付けた。

 お母さんを奪い、お父さんを変え、僕を平穏な世の中から引きはがしたのはお前たちだ。

 僕を丸め込もうと思っても無駄だ。

 どうやったらそんな声が出るんだ、偽善者め。

 理性が彼の手を離れていく。


 木の器の投げ出される鈍い音がした。

 小さな悲鳴とともに、穀物の袋が投げ出されるような振動。


「来るなっ、近寄るなっ」


 真一はいきなり押されて倒れた少女の首を髪の毛ごと掴んでひきずるように無理矢理立たせる。


「僕と、お父さんを返せ、元のところに返せ」


 若いエターナル達が、みな真一と少女の周りで立ちすくんでいる。


「やめろ、真一」


 リーダーらしき成年が叫ぶ。「やめないと……」


「だめよ、亮」


 苦しげな少女の声。


「私は大丈夫だ、か……」


「だまれ」


  少女は真一より頭一つ背が高い。真一は首に手を回し、締め付けるようにして引きずった。


「一言でもしゃべってみろ、目をくりぬいてやる。お母さんがされたみたいに」


 首にまわした手とは反対の手に木でできた粗末な匙が握られていた。


「お父さんを連れてこい。それから舟も用意しろ」


「わかった」


 亮と呼ばれた背の高い青年が、周りの子に何か伝える。子供達は血相を変えて小屋を出て行った。そして彼は真一の目を見ながら優しく話しかけた。


「落ち着け。外に出よう。港に行かないといけないだろう」


 真一は少女を拘束しながら、裸足で外に出る。

 

 だが、波止の近くまで来たその瞬間。

 先回りしていた亮の姿がいきなりぐにゃりと変化した。

 次の瞬間、彼に向かってぶよぶよとした塊が飛んできた。

 いや、正確には飛んできたのが見えたのではない。

 何かが投げられたような音とともにいきなり目の前が真っ暗になった、と同時に粘土を柔らかくしたようなものが顔一杯に広がった。


 視界を奪われ口を塞がれた真一は思わず少女を放し、両手でそれを引き剥がしにかかる。

 しかし、それは顔から、身体へと広がり彼をがんじがらめにした。

 スプーンを突き立てると、液体のようなものが手にかかるもののその柔らかい物体の力は収まらなかった。


 呼吸が止められている真一は、苦しさのあまりなんとかして逃れようと体を大きくひねりながらもがく。

 しかし、指で掴もうとしてもそのやわらかい餅みたいなものに埋まるばかりで、さらに顔を覆う厚みが増えるだけ。彼には為す術もなかった。

 窒息による極限の苦痛。次第に意識が薄れて、力が抜ける。


 ビリッツ。


 いきなり彼の全身に電気のような鋭い痛みが走る。

 と、ともに視界が戻り、口に空気が流れ込んできた。


 五メートルほど前方には、長い触手を伸ばしている紫色のドロドロした粘土のような物体が地上に落ちているのが見えた。その軟体動物も痛みを感じたのか、細かく震えてうずくまっている。


 ふと、横を見ると先ほどの少女がたたずんでいた。

 彼女の右手は肘の所から無く、その代わりにまるで白い根のようなものがびっしりと生えて、足元まで垂れ下がっていた。


「彼を失えば、今までの私たちの悲しみが無駄になる。だから――」


 彼女はつぶやくと真一に向き直った。


「何があろうと、ともに生き抜いていかないといけないの。あなたの気が済むのなら私の目ぐらいあげてもよかった」


 彼女の目の奥には、深い悲しみが澱んでいた。







 


 


 







 


 

 

 

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