氷城のメルト

まじかの

氷城のメルト(前)

「キレイだ」




と、僕は思った。

熱をくべられた心臓が、身体に熱い液を回した。


雪に接触した足が、雪をメルトさせるのではないかと思ったほどだ。



吹雪の中で、嵐の中のように不鮮明で、濁った輪郭線だったが、

僕にははっきりと、見えた。

雪のクッションに倒れた彼女の横顔。


それは、僕には雪の妖精のように、見えた。



しかし、熱に朦朧とした僕の頭が、吹雪の寒さで冴えると、

すぐに彼女を助けなければという冷静な考えに至る。


ここに来る前に、生体スキャンを行っていたので、さっきまで彼女の息があるのは知っていたが、

ここは吹雪で、氷点下の真っただ中だ。

人が、いつまでも健常でいられる世界ではない。



「浮遊(シュラム)」



僕は、雪の上に倒れた彼女の身体を魔法で浮かせると、すぐに障壁魔法も施し、雪を寄せ付けないようにした。

同時に、近くに落ちている彼女の物と思われるキャリーバッグも浮遊させ、一緒に運ぶ。



真っ白な吹雪の中、彼女と荷物とを運びつつ、

僕は自宅の小屋へ戻っていった。




人ならば、死の世界。


常に熱を奪っていく、この冷たい氷山で僕は、ほとんど熱を奪われず、生きている。


狼と兎の中間のような耳、そして熊のような毛と爪を持つ手足。

狐のようなごわごわした毛を持つ、太い尻尾。

白いそれらが人に生えたような姿をしている、白髪の僕。


それがこの氷山を管理している、僕だ。

人にすれば、23歳くらいの肉体年齢に見える僕だが、実年齢はすでに100を超えていた。


峠の村では、僕のことを自然神と呼んでいる。




自宅である山小屋に、女性を運ぶと、ふわふわのソファに彼女を寝かせた。

そして、身体をまじまじと見る。


スキャンで分かっていたことだが、外傷はないようだ。

まじまじと見たのは、怪我がないかというより、人である彼女を観察したいという気持ちからだった。


此の世のものと思えないような人形のような顔。

茶髪で長い髪。

しなやかな肢体。

それらを包む着ぶくれた服。


僕はまだ心臓がどきどきと高鳴っていた。


人と会ったり、話したりする機会がないわけではない。

たまに、迷った人や、麓の村人と会話することもある。

だが、ここまで美しい人を見るのは初めてだった。

なぜか、視線を反らすことができなかった。


これを人は、一目惚れというのだろうか?



だが、また僕は熱に魘されていることを自覚した。


「こんなことをしていて、彼女が起きたら、変なやつだと思われてしまう」


そう思った僕は、家事でもすることにした。

彼女がお腹が減っていたら、と思い、鹿肉のシチューを作ろうと決めた。


自分の家に、女性がいることの違和感と、変な緊張感を味わいつつ、

僕は料理にいそしんだ。



彼女が目を覚ましたのは、それから40分ほど経った時だった。


僕の毛だらけの耳が、彼女のうーんという声を捉え、

大きい耳がびくっと逆立った。



「あ、あの、起きたんだね」



僕は当たり前のことを言っていた。

咄嗟に出たその一言が自分で気に入らず、バカか僕は、とすぐに自分をなじった。



「あの、ここは……?」



彼女は僕の方と、小屋の中をきょろきょろしつつ、僕に聞いた。

僕のいる小屋に女性の声が染み込んだことに僕は、不思議な違和感を感じた。


そして、しどろもどろの僕は、答えた。


「あの、あなたは、雪の中、倒れていたんだ。

僕は、だから、運んできたんだ。

僕の、家に」



それを聞いた彼女は、ようやく、事態を把握したのか、

あぁ、と何か思い出すように目をうつ伏せると、


「思い出しました。ああ、すみません。

ご厄介になって。

命が助かりました」


命が助かったにしては、機械的というか、事務的なその言い方に僕はまた少しの違和感を感じたが、それ以上に僕の心が健常ではなかったので、自分の話に集中することにした。


(こういう時は、どういう話をすればいいんだ……?)


僕は人とちょっとした会話をすることはあったが、

1対1でじっくり話したことなど、ここ100年以上なかったので、戸惑った。



「いえいえ、そんな。

何もしてないから、いいんだ。

それよりお腹空いてない?」



自分でも何を言っているのかさっぱりわからないが、目の前にシチューがあったので、そうだ、これを食べるか聞くべきだな!と僕は思い立っていた。



「あの、失礼ですけど、あなたは?」



彼女は、お腹のことより、僕自身のことを聞いてきたので、僕は、しくじった、と思った。

まず、こういう時は、自己紹介だろ、と自分を責めた。



「ああ、ごめん!自己紹介してなかった。

僕は、クゥトス。

この山を掌握してる、神だよ」

「神様……ですか?」



彼女は神、という言葉にそう驚かなった様子だ。

やはり事務的、な言い方というか、態度だった。

感情があまりない、ように見えた。僕はそういう人なのかな、と思った。



「ああ、神だから、この山に誰か来たかは、魔素を張り巡らせてあるから、すぐわかるんだ。

人だったりね。

だからその、君が来たことも分かって、でも動かなくなったから、

行かないと、と思って。


とにかく、良かったよ」



僕のトークはもう自分でもひどいものだったことは自覚していた。

とにかく、心が乱れて、彼女の目を見て話せなかった。

僕はシチューを見て、話をしていた。


氷の神の心は、熱いシチューのように、ぐつぐつと煮込まれてしまっていて、

冷静さの欠片もなかった。

情けない神だな、と僕は自虐した。



「クゥトスさん、私は、イチカと申します。

助けてくださりありがとうございます。


私は、魔法研究所の所員として勤めているのですが、この山に調査に来たんです。

でもこんなに吹雪いているとは知らず、また宿も取っていなくて、行き倒れてしまいました。

情けないです」

「いえいえ、情けないのはこっちだから!」



彼女に何か返事をしないと、と思った僕は、心の中で自分をなじっていたその言葉を口に出してしまっていた。

何を言っているんだ僕は、とすぐに、頭を切り替える。


「あ、いや、それはこっちの話。

イチカさんは、じゃあ、どこかに拠点を構えているわけじゃないのかな?」


僕はようやく、自分の日本語が機能し始めたと思った。

しかし、視界は相変わらず、シチューを向いていた。



「はい。

どこか、ロッジにでも泊まろうと思ってました、それか麓の村の宿でも、と」

「ロッジほどキレイじゃないけど、ここで良ければ、使ってもらっていいよ」



反射的に答えた僕は、また内心で、そうじゃないだろ、と自分にツッコんでいた。

こんな意味の分からない獣の神がいる小屋に泊まりたい女性などいるはずがない。

夜の間に食われたりしたら?と思うのが普通だ。


本当にどうしようもない神だな、と思った僕に、

意外な彼女の声が飛んできた。



「え、いいのですか!?

であれば、本当に助かります」



それを聞いて、僕は、え、と言ってしまっていた。




僕のいる小屋に女性がいるという状況は僕が招いたことだ。

それは嬉しいことなのか、どうなのか、僕には分からなかった。


とにかく、いつも緊張している状態の僕がいた。

100年以上生きていて、何を学んだのだろう?

また、自分を情けない、と思ってしまった。


彼女がこの小屋に来て、4時間が経過していた。

彼女は、「ただで泊めてもらって悪いから」と、家事を買って出た。


大していつも家事をしていない僕にはありがたいことだが、

とにかく緊張感があって、落ち着かない。

彼女は、僕とそう年齢差もないように見えるのだが、ずいぶん、落ち着いているように見える。落ち着いているというか、感情を出さないようにしているようにも見えた。


「イチカさんは、どんな研究で来ているの?」



なんだか落ち着かなくて、変な沈黙にならないようにと、僕は大して気にしていなかったが、その質問をした。



「このカイ氷山、全体の環境調査です。

植物や、動物も調べることになっています」



彼女はやはり、事務的に答えた。

そう答えつつ、彼女は小屋の掃除をしている。

彼女の顔は、大変だとも、面倒だともいえない無表情のままだ。



「クゥトスさんは、どうしてこの山の神になったのですか?」



僕は次の質問をどうするか、真剣に考えていたので、逆に質問してくれて助かったな、と思った。



「ええと

僕ら一族は、氷の神獣と呼ばれていて、

獣は子供を生むと、子供が成人するまでに、親元から離すんだ。

だから僕は20歳前に、親のいた山を巣立って、この山へ流れ着いたんだ。

山の神になると、環境を勝手にいじれるし、麓の村の植物や農作物はすぐに大きくなるし、山の魔物も手下になるから言うことを聞くし、とにかくみんなに喜ばれるんだ。

村人からはお供え物で、食べ物ももらえるし、いいことづくめだよ」



僕がそう説明すると、彼女は、

「なるほど」

と感心したような顔を見せた。

僕は彼女の顔が事務的ではあったが、今の僕の話には何か心惹かれているように見えたので、僕自身に興味があるのかな、などとちょっと嬉しく感じてしまった。


僕は、ちょっと緊張で疲れてしまったので、ソファに座りながら、続きを話すことにした。



「日中は、いつも山の管理をして過ごしているよ。

枯れた木を生え直したり、増えすぎた魔物を消したり、雪崩が起きそうなところを削ったりね」



僕がそう言うと、彼女は掃除を中断し、僕のいるソファに近づいてきて、

いきなり、僕のすぐ隣に座った。それも至近距離だ。

僕はとりあえず、どぎまぎした。



「イ、イチカさん、距離が、近くないか?」


「私のことを少し話しますね。


私いた故郷の話をすると、私の故郷では、親切にしてもらった人には、

とにかくスキンシップして、お礼をするんです。

嫌がられても、仕方なくしなければいけません。


すみませんが……」



そう言って、彼女は、僕の右腕に自分の左腕をからませ、身体を預けてきた。

僕は、嫌がるわけにもいかず、僕は何も言えず、硬直していた。

緊張をほぐすためにソファに来た僕は、目的を達成できなくなった。



「か、変わった風習だね」

「ごめんなさい。

あと、私のことはイチカ、でいいですよ」



僕は、あ、そうか、とだけ言い、それ以上は何も口にできなくなってしまっていた。

人というのは、こんなにも他人と近づくのが早いのか?と疑問に思ってしまった。




そして、夜になると、さらに、彼女はとんでもないことを言うのだ。

夕食を終えた彼女が言ったことは、こうだ。



「やはり、故郷のしきたりなのですが、

親切にしてもらった相手とは、同じベッドで眠ることになっているのです。

ご迷惑だとは思っていますが、なにとぞ、お願いします……」



この言葉に、さすがの僕も、「ええー!」と言ってしまっていた。

一旦、食事で落ち着いた僕の心臓はまたすぐに高鳴り始めた。

もしかして彼女は、僕の心臓を働かせすぎて、殺しに来たのではないだろうか?とすら思った。



「いや、あの、僕は神の獣だけど、男だよ?

い、いいのかな?」



僕は当然にして沸いたその疑問を口にした。

人のことはあまり詳しく分からないが、いきなり知らない男性と一緒のベッドに入るのは、不自然なのは、僕でも分かる。



「はい、いいです。

……嫌ですか?」



やはり僕は嫌だというわけにもいかず、というか、嫌だとは思えなかったが、

果たしてどう返事をするのが正解なのか分からなかった。

嬉しいとも、嬉しくない、とも言えない何ともいえない感情が渦巻いていた。



「いや、嫌じゃないけど、いいのかな、って」



そう言った、一時間後。

僕らは、本当に同じベッドで寝ることになった。


もちろん、そういう行為をするわけではなかったが、

やはりいきなり男女が会った日に、同じベッドで寝るというのは、どうなのかなと思いつつ、僕は、成り行きに身を任せるしかなかった。僕は昔から、意志が強い獣ではなかった。


僕は先にベッドに入ったのだが、彼女がどういう体勢で入ってくるのかなと考えて待ち構えていたら、彼女は、なんと僕の両腕に収まるように前から入ってきた。


『ええー!』


僕は声に出すわけにもいかず、彼女を抱きしめるような形になってしまった。

彼女の肩は柔らかかった。息づかいも、間近に聞こえた。

僕は、氷の神の癖に、どこもかしこも赤かった。


腕の中のイチカは後ろ向きのまま、僕に語り掛けてきた。



「あの、あなたのこと、クゥさんて、呼んでもいいですか?

名前

、ちょっと長くて」


僕はそれに機械的な返事しかできなかった。

「は、はい」


それを聞くと、イチカは

「ありがとう。クゥ、おやすみなさい」


その彼女の言い方は、やはり少し事務的だったが、そう言うと、彼女はすぐに眠ったようだった。

僕はというと、もちろん、眠れるはずがない。

とにかく、アドレナリンが出まくっているし、心拍数も、寝るには高すぎる。


今日は、徹夜になりそうだと、覚悟した。



『今日から、どうなってしまうんだ……?』



僕は、こんなどきどきする状況が毎日続いたら、僕は病気になってしまうのではないかと不安になった。

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