第24話 帰還

「――え? どういう状況?」



 悟が再び意識を取り出した時には、辺りの風景は一変していた。黒兎の結界魔法によって外界と隔離されて、周囲に気配を察知されることもなく、模擬戦による被害を気にする必要はなかったはずだ。



 だが覚醒した悟が認識したのは、結界が破壊されているという事実であった。そして視界の先には、呼び出した覚えが全くない二体の異形。

 その内の一体――チェシャ猫が鋭い爪が生えた前足による攻撃をしようとしていた。黒兎とエリザに対して。

 ボロボロな状態であった二人を目にした悟は衝動的に叫んでいた。



「――止めろ!」



 悟の静止の言葉に、人間大の大きさの卵に人の手足、顔といったパーツがくっついた冒涜的な見た目をした異形――ハンプティ・ダンプティは短い足を動かし、悟の方へ振り返る。



「んー? おやおや、もうお目覚めですかな?」



 卵の表面部分に取り付けられた人間の顔が、嫌らしく笑う。一応は召喚者であるはずの悟に対して、従う気が全くないように見える。

 チェシャ猫に関しては判断ができない。悟の言葉に反応して、攻撃自体は止めたようだが。


 

「アリス! ようやく正気に戻ったんだな!」

「――ごめん。待たせたね、黒兎」



 悟は手短かに謝罪を黒兎に告げた。目の前には制御不能な二体の怪物がいるのだ。警戒を緩めるような隙は見せられない。

 油断なく相手を見据え、悟は自分の命令を聞く『腕』を召喚しようと、魔法を発動しかけた時――。



「そろそろ引き上げ時だねー。君はどうする、チェシャ猫?」

「Nyaaaa!」

「そうかい。あっちのアリスに従う気があるなら、君の好きにするといいよ。ボクはまだまだ気が乗らないから遠慮しておくよー。あの『狂人』も余計なことをしてくれるねー。じゃあ、そろそろお暇するよー。その前に――」



 そこで言葉を切った卵型の異形の姿は、悟の眼前にあった。



「――っ!」

「――挨拶を済ませていこうと思ってね。ボクは皆の人気者、ハンプティ・ダンプティさ! 末永くよろしくね――■■様の兄上殿?」



 その言葉も最後に、ハンプティ・ダンプティは悟の影に他の召喚物と同じように沈んでいった。



「はあ……はあ……」



 自然と止まっていた呼吸が再開される。得体の知れない感情が襲ってくる。生理的嫌悪という奴だろうか。

 悟は鳥肌が立つ両腕で自分の体を抱きしめて、震えを止めようとした。



「大丈夫なんだな!? アリス!?」

「アリス!? あの変態卵野郎に何もされてない!?」



 突然地面に跨る悟に、黒兎とエリザは慌てて近づいてきた。チェシャ猫はそんな二人に攻撃を加えようとはせず、沈黙を守っている。



 エリザが悟の体を抱き起こす。震えが酷く、呼吸も荒い。精神的に不安定な状態のようだ。

 悟が落ち着けるように、エリザは自分の体で彼の華奢な体を抱擁した。



「……どう、落ち着いた?」

「う、うん。さっきからこんな感じばっかりだな……」

「何か言った?」

「い、いや……何も。それよりもどうしようか、これ?」



 話題を無理やり切り替えた悟が指差すのは、チェシャ猫。先ほど姿を消していったハンプティ・ダンプティと違い、今は大人しくしていた。

 ハンプティ・ダンプティとの会話の内容を思い出す。それが正しければ、チェシャ猫は悟に従うはずであるが――。



「……エリザさん。もう一人で歩けるから。離れてもらっても大丈夫だよ」

「え……あ。もしかしてアレに近寄る気なの? 今は何もしてこないけど、危ないわよ」

「――心配してくれてありがとうね。僕なら問題ないから」



 そう言う終えると、悟はチェシャ猫の傍まで歩いていく。その足取りは若干頼りないものであったが、一歩ずつ確実に歩を進める。



 チェシャ猫の正面に辿り着き、悟は顔を見上げた。大きさは悟――魔法少女としての――の二倍以上であり、チェシャ猫の顔を視界に収める為には首が痛みを覚える。



 手作り感満載のぬいぐるみを巨大化したようなチェシャ猫は、依然としてアクションを見せない。それでも悟は語りかける。



「――やりたいことがあるんだ。だから君の力を貸してほしいんだけど、いいかな? チェシャ猫」

「Nyaaaa!」

「うん、ありがとうね」



 返答は実にあっさりとしたものであった。ノイズが混じったような鳴き声に、後ろの二人が耳を塞ぐ中、悟には愛嬌のある意思表示に聞こえた。



 チェシャ猫から追従の意思を確認した所、悟とチェシャ猫との間に、他の召喚物――ハンプティ・ダンプティは除く――と同様の繋がりを感じるようになった。



「本当にあの化け猫を従えたの……アリスの奴……」



 エリザは今の状況に驚きを隠せない。つい数分前まで戦闘を行っていた正体不明の相手が、自分よりも年下の少女の使い魔となったのだ。

 無意識の内に構えていた『ブラッド・パルペー』が解除された。



 少女と巨大な猫。そこだけを切り取れば、童話の如き光景であった。

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