第3話「静かなる広場」

 クロエは街から、馬車でおおよそ3時間をかけて、ウィル少年が住む村、リトル・ハダムに到着しました。


 道中クロエは、海のように限りなく広がる草原から、ふわりと漂ってくる緑の甘い香りを楽しんでいました。しばらく街から出ていなかったために、ずっと観ていなかった広大な自然の風景も、曇った心を洗ってくれるようでした。 


 クロエは今日は茶色のチェスターフィールドコートを着ています。クロエが着るそのコートは、もともとは背の低い男性用のものでした。それを仕立て屋に持っていき、袖と丈を切り詰めてもらい、クロエのサイズに合うようにしてもらったものです。

 履いているものはいつものスカートではなく、クリーム色のズボンです。このズボンは少年用に売られていたものです。

 ここまで男性用の衣で身を固める少女は、この国でクロエだけでしょう。 


 馬車が、リトル・ハダムの入口でとまりました。クロエは馬車をおりて、まず村の様子を、さらりとうかがいます。クロエは、〝リトル・ハダム〟というその名前から、畑と牧場と、こじんまりした民家が数軒あるだけのような、閑散とした地を想像していました。ところが、リトル・ハダムは、なかなかによくできた家々が並び、道もよく整備されており、〝村〟というよりは〝ぎゅっと小さくまとめられた街〟という印象がありました。


 探偵の少女は、村の入口から、先へ進みます。

 道の脇に並ぶ民家の壁はベージュのレンガの壁でできており、日差しを反射させて、淡い光を放っています。

 道は、やや粗さがある石敷きで、色は淡黄色、なんとも牧歌的です。

 きっと、料理店があるのでしょう。イワシのパイの濃厚でオイリッシュな香りが、どこかから漂ってきます。


 道をやや進むと、ウィル少年がまっていました。


 クロエは言います。


「遅くなってごめんなさい。街からこんなに遠いとは思わなかったの」


ウィル少年はすこしも嫌な顔をせず、その表情には、らんらんとした明るさがありました。


「平気さ。さあ、井戸の広場まで案内するよ」





 クロエ・ガーネットはウィル少年のあとにつづき、街の中を進みます。

 村の中心部に伸びる道の両端には、堅固さと純朴さとが交じり合った家々が並んでいます。

 家の前にそなえられた花壇は、よく整えられており、天を見上げて伸びるスイセンやスミレが愛らしいです。

 家々の背後では、多くの樹々がこれでもかと背を伸ばしており、なんだか少し閉塞感があるようにも思えました。


 

 


 クロエとウィル少年は、村の中心をおおう居住区をはなれ、村はずれの森の方へ歩んでいました。

 大きな樹々が生い茂る村の末端までくると、森に向かって細い小道が伸びていました。

 

 ウィル少年が小道を指さして言います。


「この小道に入って、少し進めば〝井戸の広場〟だよ」


 ふたりは小道への入口まできました。そこでクロエは足をぴたりと止めます。そして、村のほうへ振り返ります。

 ここは、村の中心の居住区からいくらか離れていましたが、小道入口の近くには、1軒だけ家がありました。村の多くの家のように、丈夫そうなレンガ作りではなく、年季を感じさせる木材でできた、古めかしい家屋です。材木に塗装は施されておらず、暗い木の地肌がむき出しで、なんだか、少し不気味な家だなとクロエは感じました。

 薄気味悪い匂いが漂ってきそうなその家からは、オルガンかなにかの楽器の音が発せられています。うれしいのだか、悲しいのだが、なんだかよく分からない、妙な音楽が流れ出ています。

 家の中から湧きだす曲は、いっときも止まることがありません。


 クロエはその家を指さしてウィル少年にききます。


「あの家に住んでいるのはだれ?」


 ウィル少年はこたえます。


「アギュレーディアっていう、お婆さんだよ」


 クロエは、小さな肩さげバックから手帳をとりだし、その名を記します。


「アギュレーディアさんね、わかったわ」


 そして、また森の中に伸びる小道の方へ足を向けます。


「さあ、行きましょうか」





 ウィルから聞いていたとおり〝井戸の広場〟は、とても広場とは言えない、狭い空間でした。膝の高さほどのレンガが円を描いて広場を囲んでいます。レンガに囲まれた地面は、街の石敷きとは少しちがい、表面に丸みがある、カキの殻くらいの大きさの石が敷き詰められていました。

 もちろん、石敷きの地面の中央には、井戸があります。クロエは井戸から少し離れたところにいましたが、井戸がもう使われていないことは、すぐにわかりました。なにしろ、井戸は苔だらけで、桶を引き上げるロープも朽ちて、ちぎれています。

 ウィル少年が井戸の裏側へ向かい、クロエもその後につづきます。


「ここだよ」


 ウィル少年は、石敷きがなく、土がむき出しになっている正方形の場所を指さして、言いました。

 土がむき出しになっている場所には、重い何かが長年も鎮座していたことは間違いありません。そうです、そこに彫像があったのです。

 

 探偵クロエは言います。


「なるほどね。綺麗になくなった、って感じね」

 

 クロエは、少年に聞きます。


「あらためてきくけど、彫刻になにか、特徴はあったの?」


 少年はあごを指先でさわりながら言います。


「んんー、そうだね、目がガラスでできているのが特徴的かな」


「ガラスでできているのは、目だけ?」


「そう。目以外は、全部、石さ」


「わかったわ。まえに、きいたかもしれないけど、彫像の大きさは?」


「等身大、ふつうの男の大人と同じ高さだよ」


 とつぜん、少年はなにか思いついたように、手をたたきました。


「そうだ、クロエさん」


「なあに?」


「彫像の詳しいことなら、僕なんかに聞かないで、造った本人に聞くのが1番だよ」


「彫像の作者ってこと?」


「そうだよ。芸術家のブラウンさん」


「その、彫像を造った芸術家のブラウンさんは、この村に住んでいるの?」


「そうだよ」


 クロエは、ブラウンさんの家の場所を、ウィル少年からききました。


「ウィル、こんどは、この井戸の広場について、教えてちょうだい」


「なんでも、聞いておくれよ」


 クロエは井戸を指さして言います。


「まあ、見ればわかることだけど、もうこの井戸は使われていないのよね?」


「そうさ。僕が産まれてすぐに、この井戸は枯渇してしまったらしいよ」


「じゃあ、ここに来る人は、もういない?」


「いやいや、まったく誰もこないってわけじゃないね。僕と母さん以外にも、気分転換にここに来る人はいるし、かくれんぼで、この井戸の陰に隠れようとする子供もいるし。うん、うん、子供たちはよくここにくると思う」


「あなたが彫像がなくなったのを知ったとき、つまり4月8日の朝、あなたとお母さん以外に、誰かここにいた?」


「いや、僕と母さんのふたりだけだったよ」


「あなたとお母さんは、毎日ここに来ていたのよね? 7日の朝は、だれかここにいた?」


 ウィル少年は考え込みます


「んんー、7日の朝も、ぼくたち以外、だれもいなかったと思うな」


 クロエは、ほんのすこし強い口調になります。


「〝思うな〟じゃこまるの。間違いなく、だれもいなかった?」


 ウィル少年はくびを縦に振ります。


「うんうん、7日の朝も絶対、ぼくたち以外、人はいなかったよ」


「そう、わかったわ」


 クロエは、そのことをメモします。


 小さな探偵は、しばらくのあいだ、彫像の台座跡のまわりを見回します。そして、そのあとウィル少年に言います。


「ウィル、いろいろとありがとう。あなたは先に帰ってちょうだい。ここからは、ひとりで集中して調査するわ」


 本格的に調査をはじめようとするクロエの姿に、頼もしさを感じたのでしょうか。ウィル少年は笑みを浮かべています。


「じゃ、ぼくは行くよ。クロエさん、よろしくたのむよ! がんばってね!」


 ウィル少年は、クロエに背を向けて去っていきます。



 ウィル少年の小さな背中が、小道のカーブの裏へ消えていくと、クロエは大きく何度か、深呼吸をして、新鮮な酸素を頭のなかに送り込みます。

 そして、顔をさげ、広場の地面を凝視します。

 少女の熱い視線で、地面が溶けてしまいそうなくらいです。

 少女は地をじっくりと見つめながら、少しずつ足を動かして移動します。


 地面のうえで、何か小さなものが、鈍い輝きを放っていました。


 クロエは、その小さなものに近づきます。


 それは、豆粒ほどの大きさもない、金属でした。

 クロエは金属をつまみあげます。


 痛たたた!


 金属はあちこちが鋭利でした。クロエは指を切っていないか見てみましたが、幸い怪我はありませんでした。


 クロエは、怪我しないようにやさしく金属を親指と人差し指で挟み、空にかかげます。


 何かの、破片? 


 クロエには、そう思えました。


 なんの破片だろう。


 クロエは金属の破片を、いろんな角度から眺めます。でも、いったいなんの破片なのか、皆目検討がつきません。

 少女はジャケットのポケットから、とても小さな麻袋をとりだします。そして、金属の破片をその中にいれ、ポケットにしまいます。


 クロエは手帳に、次のように記します。


〝井戸の広場の地面に、金属の破片A〟


 クロエは、また地面をぐっとみつめ、ゆっくりと移動します。


 地面には、金属の破片以外、これといって気になるものはありませんでした。


 クロエは顔をあげ、ずっと下を向いていて痛くなった首をもみほぐします。


 こんどは、広場の周りをゆっくりと、みまわします。

 広場を囲むものは、樹々が高く伸びた森だけに、思われました。


 そのときです。


 ひゃぁ!


 クロエはとっさに屈みました。


 なぜかと言うと、クロエのすぐ近くの木の枝に、それはそれは巨大なハチの巣がぶら下がっていたからです。

 

 スズメバチの巣だわ! 


 クロエは頭を抑え、動いちゃいけないと、自分にいい聞かせます。


 クロエはしばらく石のように固まっていましたが、やがて、おそるおそる顔をあげ、ハチの巣の方を見ます。


 奇妙でした。


 木の枝にぶら下がっているのは、間違いなくスズメバチの巨大な巣ですが、ハチはどこにも見当たりません。


 クロエはゆっくりと立ち上がります。


 どうして? どうしてハチはいないの?


 木の周りを飛び交うハチもいなければ、巣を出入りするハチも、1匹もいません。


 少女は落ち着くように深呼吸しながら、他の木々も見ます。


 スズメバチの巨大な巣は、他に、いくつもありました。

 クロエは十分に警戒しながら、他の巣を凝視します。


 やはりハチはいません。餌を探し求めてせわしく飛び回る働きバチもいない……。幼虫たちに餌を与えるために巣に潜り込もうとするハチもいない……。

 

 どうしてなのか、さっぱりわかりませんでした。


 クロエはハチのことから、調査のことに気持ちを切り替えます。

 獲物を探す鷹のように井戸の広場を観察します。観察には時間をかけましたが、他には気になるものはありませんでした。


 クロエは心の中でつぶやきます。


 さて、つぎはアギュレーディアお婆さんね。

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