第26話・佳奈の友達

 夏休み期間中の塾は午後から二コマずつで、最低でも四日に一度のペースで休みになるようスケジュールされていた。春休みと同じように自習室は朝から解放されていたけれど、クルミと片時も離れたくない佳奈はリビングに勉強道具を持ち込んで、自習室は以前ほど利用していないみたいだった。たまに自習室に行く時も、昼になれば家へ食べに帰って来れる距離だから、春休みのようにお弁当は要らないと言っていた。


「今日来るのって、同じ学校のお友達だよね、塾も一緒の子達?」


 朝からソワソワして落ち着かないでいる妹へ、バイト前に声を掛ける。ソファーテーブルの上に夏休みの宿題を積み上げていた佳奈は、嬉しそうにハニかみながら頷き返す。


 通塾校舎を変えた後の友達ということは、この辺りに住んでいる子なのだろう。通学沿線が変わったせいで、駅でぽつんと一人で本を読んでいた時の妹の姿を思い出し、愛華は少し嬉しくなる。


 ――こっちの子達とも仲良くなれたんだ。


「冷蔵庫の中にシュークリームとかいろいろあるから、適当に食べて貰ってね」

「うん、ありがとう」

「あ、ジュースってリンゴジュースしか無いけど、もし足りなかったら――」

「多分、みんな水筒持ってくるから、大丈夫だと思う」


 財布からお金を出しかけた愛華に、佳奈が首を横に振って見せる。この季節はちょっと出かけるだけでも飲み物必須だし、友達の家にお邪魔する際も水筒持参の子は多い。足りなかったら麦茶と水もあるから心配ないと、佳奈は苦笑する。


 塾が一緒になるまではほとんど話したことが無かった子達に、一緒に宿題しようと誘って貰って佳奈はビックリした。誰の家で集まるかを決めている時、家には子猫がいるという話をちらっとしたら、皆がクルミのことを見たいと言い出した。


 でも、大人の人がいない時に友達を呼ぶのを禁止している家も多いし、いつも母親から「愛華ちゃんに迷惑掛けないように」と口煩く言われてもいる。留守の時に友達を呼ぶだなんて嫌がられるに決まってる。だから、愛華からダメと言われても当然だと思っていた。

 なのに、友達を呼んでいいかと聞いた時、姉がものすごく嬉しそうにしていたのがとても印象的だった。


 ――愛華お姉ちゃん、ちょっとテンパってた。


 ジュース代にと渡されかけたのが万札だったことを思い出し、佳奈は鼻でふっと笑った。いくら何でも多すぎるのは、小学生の佳奈にだって分かる。


「何かあったら、すぐに連絡してね! バイト抜けて帰ってくるからっ」


 走れば十分もかからないから、と念を押すように言い聞かせてから愛華はバイトへ行く為に家を出る。六年生の女子が何人集まったところで、危ないことをするとは思えないが、佳奈の友達が家に来るなんて初めてのことで落ち着かない。バイト中も愛華は何度も壁掛けの時計を見上げて、心ここにあらずだった。


 こんな日でも夕方の帰宅ラッシュは相変わらずで、アルコールと弁当や総菜を手にしたサラリーマン達がレジ前に列を作っていく。温めたばかりの弁当を客に手渡しながら、愛華はレジの液晶に表示される時計を確認する。日が長いとは言え、外はとっくに薄暗くなり、外灯が駅前のロータリーを煌々と照らしていた。佳奈とは違う学年の小学生が、塾が入っている向かいのビルから続々と帰って行くのが見えた。


 ――さすがにもう、お友達は帰ってるか……


 もし妹の友達に会ったら、どんな風に「姉です」と名乗ろうかと脳内シミレーションしていたことは、佳奈には内緒だ。

 考えてみると、まだ一度も佳奈のお姉ちゃんだと周囲から認識されたことがない。佳奈は最初に会った時から『愛華お姉ちゃん』と呼んでくれてはいたけれど、それは妹だからと言うよりは年上の女の人に対しての呼び方であって、決して姉妹の姉だからお姉ちゃんと呼んでくれているのではないように感じていた。


 それは愛華が柚月に対して、父親の配偶者だから『お母さん』と呼んでいるのと大して変わらない。自分にとって母親というのは亡くなった母のことで、お母さん呼びをしているからと言って、柚月のことを母親だと思っている訳ではない。

 だから、佳奈が呼んでくれている『お姉ちゃん』もまた、そういうのとは違うんだと思っている。


 レジ前が落ち着き出して、次のシフトのスタッフが順にタイムカードを押していく音を聞きながら、忙しさで散らかってしまっていた厨房を片付けていく。パートの山岡がトイレチェックを終えて戻って来たのを合図に、愛華もタイムカードへと手を伸ばした。


「あ、横山さん、次のシフト希望出して帰ってね」

「はい」


 発注用のタブレット端末を凝視していた店長が、液晶画面から顔を上げて言う。主婦パートのほとんどがお盆に休みを欲しがっているらしく、普段よりも希望確認を急いてくる。スケジュール帳と照らし合わせつつ、休みたい日を伝えると、店長は頬肉にやや食い込み気味の黒ブチ眼鏡のフレームを右人差し指でくいっと上げ、眉間に皺を寄せた。


「……そっか」

「もしかして、休みが被ってます?」

「うん、まぁ、そうだね……」


 歯切れが悪いということは、そういうことだ。スタッフに対して強く言えない店長のこと、人が足りないところは全部自分が出るつもりでいるんだろう。ご愁傷様ですと心の中では唱えながら、愛華は「お疲れ様です、お先に失礼します」とぺこっと頭を下げた。

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