悪魔貴族の御庭番ッ! オオカミ執事と人参庭師

紫陽_凛

序章 雨は降る

 雨が降りしきっていた。


 大気中の魔素まそが水に溶けて落ちる現象を人々は恐れ、雨の匂いを感じるや、近くの店や家に入れてもらい、その雨が過ぎ去るのを待つ。長雨もあれば、にわか雨もある。長いようで短い間、家主や店主は客人をもてなし、客人は礼を尽くしてそれに応えた。決まって彼らはこう言った。

 今日も毒が降りますね。

 人々は恐れていた。自分が魔素におかされることを、そして東へ送られる罪人となることを。水は魔素を取り除き精製されたものしか使えないし、野菜も清める必要があった。もちろん家畜は雨に当てることができない。だから富めるものほど安全で――貧しく弱い人間ほど、身体を魔素に晒すことになる。


「入れてください、中へ入れて」

 襤褸ぼろを着た母親が幼い子を抱いて戸を叩く。しかし彼女の腕にはすでに、びっしりと鱗が生えていた。水の魔素が彼女の体に結びついて、母親はすでに手遅れなまでに「はぐれもの」になっていた。人から逸れてしまったもの――魔物と人間の狭間に落ちて、人間社会には属せぬ異端となり果てていた。

「お願いです、お願い、この子だけでも、この子はまだ何も……!」


 ♪はぐれまものは魔物の子。

  魔物は人を食べるのさ。


 そんな中――誰でも知っている童謡ナーサリー・ライムを口ずさむ声が、雨の中を行く。


 ♪はぐれ魔物は「はぐれもの」。

  どんなに雨が降ろうとも

  どんなに風が吹こうとも

  はぐれまものは魔物の子。

  

 母親の慟哭のような叫びを聞いたその声の主は、深々と被っていたフードをばさりと外して、マントごと彼女にほうった。


「これ、赤んぼに使ってよ」

 母親は自分と赤ん坊を包むのに十分な大きさの布が降ってきたことにまず驚き、そしてそれを放った少年を見上げた。

「あっ、貴方のものなのに……!?」

「いいよ、今日からあんたのもの。あげる」

 女はさっとマントで赤ん坊をくるんでから、おずおずと少年を見上げた。

「――貴方は?」

「歌の通りのはぐれもの」


 雨が落ちる。少年の肌に、肩に、その緑色の髪の毛に。緑色の瞳が空を見上げて、「まだ降りそうだ」と呟く。女は少年に何度も頭を下げた。


「なんと御礼おれいを言ったらいいか」

「はぐれものに対する風当たりが強いのはオレも分かってるから。助け合いだよ」

 少年はと笑うと、手をひらひら振った。

「その赤んぼ、ちゃんと元気に育つといいな」

「ありがとうございます、あの、もしよろしければお名前を……!」

「名乗るほどのものじゃあ、ございませんとも」


 緑髪緑眼の少年はそう言ったきり、大股で雨のそぼ降る無人の大通りのど真ん中を歩いて行く。


 ――魔物だ。

 ――はぐれものだ。

 ――おお、こわい。

 ――なんの魔物かな。


 家や商店から覗く目という目が突き刺さってくる。だが、慣れた。そういう運命のもとに生まれてきたのだ。今までが穏やかすぎた。優しすぎた。

 分不相応な幸せだった。だから、これからは――。

 

 少年――ロランは前をひたと見据えた。大通りの向かいから傘を差した人影がひとつ。時間通りだ。時間通りに物事を遂行することにかけては、彼の右に出るものは居ないだろう。

「ほんと、嫌になるほど正確だな。お前の前世、時計かよ」

「おい、大馬鹿おおばか。マントをどこに捨ててきた」

 ロランの格好を見た男は、嫌味もおくせずぴしゃりと言い放った。秀麗しゅうれいな顔が嫌そうに歪んでいる。歪んでいてなお美しいと思わせる造形を、ロランは憎たらしく思っている。

 彼の顔を「美しい」と思わされること自体が気に食わないのだ。


「オレの名前は大馬鹿じゃない。マントは譲ってきた。別にいいだろ。もできるし、何より身軽だ。一つ捨てて二つ取っただけだ」

「どうせまたそこらのはぐれものに譲ってきたんだろう。……まったく、いくら買ってやっても足りない。二度と買わないぞ」


 きびすを返す高い背を追いかけ、ロランは「こいつならまた買う」と内心で考えている。ロランが悪魔貴族デモンノーブルムルムルの屋敷に勤めている以上、「ムルムル様の侍従としてその恰好はいただけないッ!」とかなんとか言って、結局商人からしっかりしたものを買うに違いないのだ。この執事は。


「はいはい、執事サマ。執事サマの言う通りでございますぅ」

「やかましい」

「はいはい」

「はいは一回!」

「はーい」

「伸ばすな!」


 けらけら笑いながら、ロランは執事の差す傘の下にこっそり入り込んだ。雨はまだ続きそうだ。人のいない道を、はぐれもの二匹、ひたすら歩いていく。かなた、悪魔貴族ムルムルの屋敷まで。








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