十九、チルアウトゾーン最期の日(1)

「一樹!」

 桃香のさけびに、教祖はニヤついた。

「まさか、そっちからわざわざ出向いてくれるとはな」

「桃香を放せ……」


 その押し殺すような声は、距離はあっても彼らの頭上に雷のごとくとどろいた。たんに洞くつだから反響したというだけではない、彼の中で煮えたぎるすさまじい怒りが、彼らのまわりにまで渦巻き、さしもの教祖も、一瞬ぎょっとした。


 ここへ来る前の一樹なら、足がすくんで泣いて終わりだったろうが、もう以前の彼ではない。自分でも驚くほどに落ち着き、ひらいた両足は東京タワーの鉄骨のごとく地にそびえ、やや猫背で、目の前の悪党どもを射ぬくようににらみつけている。しかも自分で知らないうちに、ポケットに両手を突っこんでいるほどの余裕があった。そのたたずまいは、まるで果たし状を受けて決闘に来た番長である。



「チルアウトゾーンの救世主、アシザワ・カズキ」

 ペテロギウスは再びニヤついて言った。

「噂を聞いてから、いつも虫の好かん奴だと思っておった。キサマのやっとるくだらん世直しのせいで、この世界のボンクラどもがどんどん知恵をつけて困る。

 ここのいいところは、住人のほとんどがバカで無能で、自分で自分をなんとか出来ずに、絶望してあきらめていることだ。それを治されたら、俺がここの支配者になる計画が水の泡ではないか」


「お前、あっちの世界から来たのか?」

 一樹が片方の眉をつりあげて聞くと、ペテロギウスは妙にうれしそうにそり返った。

「そうだ。数年前に東京から来た。どうせ、お前もそうだろう。たまに、よそからここへ迷いこむ奴がいる。めったにいないようだがな」

「そうか。どうりで行動がここの人らしくないと思った。俺も東京出身だ」

「ほほお、気があいそうだな。どうだ芦沢、いっしょにここを支配せんか?」と手もみする。「俺たちが組めば、こんな場所は、あっというまに手にはいる」


「そのわりには、手間どってるじゃないか」

「ここの連中全員がボンクラというわけではないからな。ブリグストンズの奴らだけは、なかなか手ごわい。殺人までは行かないが、犯罪をおこしたり、警察をつくって治安を維持する知恵だけはあるのだ。俺も何度も逮捕、投獄された。まずは、あそこをなんとかしなくてはいかん」

「そのために桃香を殺そうってんだろ。そんな奴と手なんか組めるか」

「考えてみろ。悪い話ではない」


 急に口のわきに手をあて、声をややひそめる。

「支配者になれば、なんでも望みのままだ。娘なんぞ、これからいくらでも作れる。偉大な事業の達成のため、多少の犠牲が出たと思えばいいのだ」

「娘? 桃香は俺の娘じゃない」

 一樹はいったん口を切り、自信満々の口調で宣言した。

「桃香は、俺の恋人だ。この世――いいや、全ての宇宙でいちばん大事な人だ。俺は桃香のためなら、どんなことでもする」

 向かいの岩場では、言われた本人がまっかになってもだえていたのは、言うまでもない。


 だがペテロギウスは少々おどろいた。

「娘じゃなくて恋人だと? 今はああだが、ほんとうは十歳の女の子だろう? なかなかの鬼畜じゃないか、気に入った!」

 膝をうち、ニヤつきながら指さす。

「俺が支配者になったあかつきには、副官にしてやる」と部下を向く。「おい、魔法つかいは、まだ来んのか」

「今、店を包囲しています。すぐに来ます」

「バカはやめて、とっとと桃香を解放しろ」と指さす一樹。「それなら、いっしょに東京へ連れ帰ってやる」

「あんなところへなぞ、二度ともどるものか!」

 いやなことを思いだしたのか、顔をゆがめて怒鳴る。

「キサマなら、わかるはずだ。ここなら誰でも英雄になれる。げんに、お前もそうなっているではないか。俺も同じことをして何が悪い!」


「そうか、お前もあっちでは悲惨だったのか……」

 目を細めて言われ、あわてるようにまくし立てる教祖。

「そうだ、悪いか! だから、ここの連中を使ってやるのだ! こいつらはいいぞ」と悪魔のような笑みを浮かべる。「まるで、あっちにいた頃の俺のように情けなく、負け犬で、問題が起きてもてめえじゃ何も解決できず、ただ苦しんで絶望し、あきらめるだけだ。そういう奴らを利用するのは簡単だ」

 そして両腕をあげ、演説口調で大げさにまくしたてる。

「民衆なんぞは、絶望さえさせておけば、こっちの思いのままなのだ。奴らを支配してあやつるには、ただ自分が無力でひとりぼっちで、何もできない虫けらだと信じこませるだけでいい。あとはちょいとおどせば、支配層の意のままに働き、命すらささげてくれる。むだに戦争をさせ、武器の売りあげでこっちにガッポガッポ金が入る。すばらしいではないか! 俺の求めるユートピアは、まさにそれなのだ!

 絶望と恐怖だ! それさえ使えば、人間なぞちょろいものだ。

 人間は、しょせん使い捨てだ!」


 桃香の目が見開いた。「使い捨て」という言葉は、一樹最強のトラウマワードなのだ。

「奴らを徹底的に利用するのだ! しぼり取り、カスになったら捨てろ! それが人間だ!」と、こぶしを振り上げる。「人間なんぞ、使い捨てだ!

 使い捨てろ!

 人間どもを使い捨てろ!」


 一瞬の出来事だった。

 一樹は光のように飛びだし、鉄拳で男の鼻を猛烈にたたき折っていた。

「ぎゃあああああああ――!」

 泣き叫ぶペテロギウスの鼻から血がだぼだぼと滝のように流れ、白装束をまっかに染めた。

「ぎっぎざばっ、らにを――」

 必死に抗議しかけた顔を、一樹はふたたび思いっきり殴りつけ、地に崩れおちると、そこへ向かって噛みつくように怒鳴りちらした。それは雷鳴のごとく洞窟中に響きわたった。

「今すぐ、絶望にあえぐすべての者にあやまれ!! 利用され、絶望と恐怖の中で死んでいったすべてのものたち、今も死んでいくあらゆる人々に、今すぐ、ここで土下座しろ!!」


「お、女を、ごろぜっ……!」

 だが命じられても、部下は困惑した。

「しかし、それでは地獄の門をあけられませんが。

 ……やっ、待てっ!」

 桃香のところへ駆けつけた一樹に、数人の部下が襲いかかったが、次々に殴りたおした。けんかなどしたことがないはずだったが、彼の怒りはけんかを超越していた。桃香を傷つけようとする奴なら、たとえ神でも撲殺するだろう。



 だが二十人以上に押さえられれば、彼も動きが止まらざるを得なかった。

 鼻の上に包帯を巻き、怒りに目を血走らせたペテロギウスが、薬品のビンを持って近づいてきた。それは頭が割られ、先がするどくとがっていた。

「そのおきれいな顔を、ズタズタにしてやる」


 だが、身動きとれずにらみつける一樹の顔にビンを突きつけた、そのときだった。またも鼻に衝撃を受け、「ぐぎゃあああ!」とわめいてビンを放り、ひっくり返った。全員の視線が集中したそこには、素っ裸の桃香が立っていた。

 ただし、ロリコン以外はその場の誰も嬉しい奴はいなかった。もとの子供体型に戻っていたからだ。手首と足首の幅が縮み、拘束していた輪を手足がすり抜けて、逃げられたのだ。ただし服は大きすぎるので、下着もろともすべて抜けおちてしまったが、それを気にしている場合ではなかった。愛する彼の危機に飛びだし、ひろった石を思いきり悪党の鼻に投げつけたのだ。

「背が小さいと、なにをするにも投げて済ますから、コントロールが良くなるのよ!」ほんとかよ。

 ドヤ顔で言う桃香に、一樹は笑いかけた。

「さすがは桃香!」

 叫び、周りの部下どもを張りたおし、桃香を背負って逃げる。



「子供に戻りましたよ。これで儀式が出来ます。捕らえますか?」

 部下一号が聞いても、親分は鼻を押さえて、「はら、はらを、らんとかひろおお!」とわめくばかり。仕方なく銃を出す部下一。

「子供を渡さんと、二人とも射殺する」とねらう。「本気だぞ」と足もとに一発。

 一樹は歯がみしたが、いきなり桃香が降りて彼の前に立ち、両腕を広げてかばうので、驚いた。

「ば、バカ、なにするんだ!」

「いいわ、いけにえになってあげるから、彼は撃たないで」

「分かった」

「……ここは、こうするよりないでしょ」

 横目で言われたが、母としての命令に聞こえて、黙るしかなかった。


「絶対に助けるから」

 そう言う一樹から離れて部下一に捕まると、鼻に山のようにシップしたペテロギウスが隣に来て、彼に銃を向けた。

「これでいい。では死んでもらおうか、英雄」

「撃たないって言ったじゃん!」

 暴れる桃香を押さえる部下一。

 あざ笑うペテロギウス。

「どうせキサマは邪魔だ。ここで消えてもらう。女が死ぬところを見なくてすむから、いいだろ。まったく俺は優しいな」


「……どうせ失敗するぞ」

「なにっ、どういうことだ?!」と顔色が変わる。

「バカのすることは、すべて失敗に終わる。ソースは俺」

「ガキのくせに、そういうニヒルな言いぐさが気に食わんのだ。とっとと死ね!」

 彼は引き金をひいた。


 が、同時にどこかで別のそれが引かれていた。悪党の銃は、どこからか撃たれた弾丸で弾き飛ばされ、てんでの方向を撃って、くるくると地に落ちた。

 全員がふりむいたその先には、グラサンに撫でつけた短髪、黒の背広に身を固めた男が岩場のうえに立っていて、銃を向けていた。

 桃香の顔が輝いた。

「スレインさん!」


 元ブリグストンズ・マフィア、ボンゴレ・ファミリーのリーダーであるスレインは、ギャングらしく口もとをつりあげて笑った。

 一樹は彼を見ると、ほっとして言った。

「おそいぞ!」

「すみません、カズキさま。つい悪人ぶって市民を威かくしたりして、なかなか町に入る気がしませんでした」

「ふつうに入ればいいだろうが」

「そうか、その手があったか! 気がつかなかった!」と、さわやかな笑顔で感動する。今さらだが、大丈夫かこの世界の人。


「ボンゴレの落ちこぼれどもか! 撃て! 撃てええ!」

 教祖の叫びと共に射撃部隊が岩場の陰からぞろぞろ出てきたが、スレインの背後からもほかの四人が出て、撃ちあいになった。

 多勢に無勢と思いきや、ボンゴレの一人はガトリング砲を持っていた。マシンガンの原型で、丸いハンドルをくるくる回せば弾が連発で出る。部隊のほとんどが打ち負かされ、教祖はおめあての桃香を探したが、とうに一樹に抱きあげられて近くの岩盤の裏に逃げこんでいた。

 そこで自分の周りを部下で固めさせ、地面に魔方陣を描いた敷物をしいてその前に座り、地獄の門・開門の儀式を始めた。魔方陣の上に点々と立てた蝋燭に火をともし、数珠をこすって呪文を唱える。陣のまんなかに白い光が現れ、徐々に大きくなると、彼は周りに怒鳴った。

「この中に子供をぶっこむのだ! さあ早くしろ!」



「カズキさま、桃香さまを安全なところへ」

 ボンゴレの一人が来て彼女を抱きあげたので、「たのむ」と言いかけて、目が見ひらいた。服が黒いから騙されただけで、そいつは部下一だったのだ。白装束は裏返すとまっくろなので、背広に似ている。あわてて追ったが、陣の前の衛兵の銃撃で容易に近づけない。


 スレインたちが応戦する中、教祖は桃香を見て高らかに笑った。

「よくやった! 早くこいつを捧げて――ややっ、キサマ、誰だっ?!」

 白装束の誰かが桃香を抱えて逃げようとするので、フードを上げて顔を見た。

 一樹だった。

 とたんに教祖に飛びかかり、喉もとにナイフを突きつけ、「桃香を放さないと、こいつを殺すぞ!」と叫ぶ。


 だが教祖は不適な笑いを崩さない。

「なんだ、どういうつもりだ」

「ふふふ、これでよい。なにも生贄を陣の中へ放りこまなくとも、その前に立たせておけば、放たれるオーラを取り込んで門がひらかれるのだ。今のようにな!」

「なんだと?!」

 見れば、陣の上の光は一個の家屋ほどに膨れて立ちあがり、その奥から不気味な咆哮がわんわんと響いてきた。地獄に住む無数の死者たちが、この世へ通じる道を見つけて、こちらに迫っているのである。出てこられたら、少なくともこの世界、チルアウトゾーンは破滅である。



「桃香、こっちに来い!」

 一樹の声に魔方陣から離れようとしたが、衛兵にはばまれた。どかすように言っても、教祖はニヤついたままだ。

「殺すがいい。この世を地獄と化すことが出来れば、俺は死んでも構わん」

「くうっ」


 仕方なく衛兵たちに突っこんで桃香を助けようとしたが、やはり多勢に無勢。

 と思いきや、彼につかみかかっていた衛兵の首が、いきなり飛んだ。光からぬっと出た巨大な刃がはねたのだ。

 すぐに光の中から次々に身の毛もよだつ怪物が現れ、黒い翼で洞窟内を我が物顔に飛びまわった。全部で十匹ほど、全長十メートルはある白骨のドラゴンの半分に肉と皮をくっつけ、頭に白目むく鬼畜の形相をした人間の顔をすえつけた、完全な化け物だった。死者というより、ほとんど妖怪のようなクリーチャーで、地獄をさまよっていた人間の成れの果ての姿だった。

 勝ち誇るペテロギウス。

「あとから何百とやってくる! これで、この世界はおしまいだ!」

「そうはいかないわよ!」


 女の声に見れば、岩場の上に、はちきれそうな肉体を背広で包むエスニックな雰囲気の美女がいた。そして周りには、杖を持ち、三角帽子とカラフルなマントで正装をした奇っ怪な人々が山のように立っている。マキゾネ市長と、町の魔法使い全員だった。


「皆さん、なんとしても、あの化け物どもを封印してください!」

 市長のかけ声で、彼らはいっせいに杖から色とりどりの光を放射して骨ドラゴンの群れに浴びせた。怪物たちは小さくなったり厚みがなくなったりして、次々に地に落ちて黒い泥のように固まった。

 しかし十匹すべてを倒しても、また光の中から何匹も現れ、ついにはなんと百をこえる数になり、洞窟の天井を突き破って上の岩山を消し飛ばし、朝日がさした。いつの間にか朝になっていた。


 さわやかなはずの夜明けの空を、無数の邪悪な死者たちが狂喜乱舞してまがまがしくいろどる。魔法使いたちも力つきた。

「あれだけ時間をかけて魔力を溜めてきたのに……ダメだったようね」

 マキゾネは失望に目をふせ、肩を落とした。

 ボンゴレ・ファミリーも、たがいに困惑した顔を見合わせた。



「さあ死者どもよ、われが、お前たちを招きし、あるじである!」

 ペテロギウスは自分の杖を振るい、怪物たちに叫んだ。杖の先にすえてある水晶球が光り、怪物たちは彼の指示通り空で整列し、命令を待った。すべては思惑通り。教祖は得意の絶頂になった。

「よいかお前たち、ただ今から、このチルアウトゾーンの支配者は、この横車ペテロギウス一世である!」

「『よこぐるま』って……あいつ、やっぱ日本人か」

「いいわね。こんなときでもボケられる一樹って、好きよ」

 そこで初めて全裸だと気づいた桃香は、あわてて足もとに落ちていた白装束を身にまとった。


「で、どうするの? あいつの副官になる?」

「俺は、桃香の副官にしかならないよ、母さん」

「またボケなんかかまして――」

「ボケじゃない、本気だ」

 二人は抱きあおうとしたが、茶々が入った。ペテロギウスが彼らを指して怒鳴る。

「まず最初の命令だ! あいつらを全員殺してしまえ!」


「今日はバックれればよかったかしら。遅れてきたんだし」

 マキゾネが眉をひそめて言ったが、一樹は眉をひそめ、イケメンをさらに濃いイケメンにして言った。

「最後まで望みを捨てちゃいけません。

 ……皆さん、まだ魔法は使えませんか?」

 聞かれても、リーダー格であるガンダルポッターは、丸めがねに白ひげの顔をくもらせて首をふった。

「全員の体力が回復するまで、あと十分はかかる」

「回復した人だけでも、戦いましょう。しばらく持ちこたえれば、休んでいる人も回復するはずだから、その都度交代すれば、なんとか行けるかもしれない。

 ボンゴレさんたちも、援護をお願いします」

「もちろんです、カズキさま」とスレイン。「ペテロギウスの部下たちにも、あの化け物のおぞましさを見て、寝返った者が多くいます。一緒にドンパチしますよ」


 桃香はその光景を見て、ひそかに驚いていた。今は町のダメな人たちを相手にしているのではない。怪物の群れが襲ってくるという、どんなにマッチョな人でも恐怖におののくような事態だ。なのに、なんら恐れもせず、てきぱきと指示を出している。まるで軍師だ。

 彼のとんでもない成長ぶりに感動すると同時に、なにか寂しさも感じた。子離れされる母の心情だろうか。

 だがもちろん、今はそんなことを考えている場合ではない。


 敵は口から火を吹いたり、頭から突き出た巨大な刃で切ってきたりと、単純な攻撃をくり返してきたが、やはり数が多すぎるので、あっという間に押された。防護の魔法も端から破れ、焼け死ぬ者が何人も出た。

 一樹は桃香を脇から強く抱きしめた。

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