第4話 プロローグ 狸穴

《ありがとう、対価を渡してくれ》

 この声——

 一瞬、境は心臓が握られたかのような感覚に襲われた。

 イヤホンの受信先を変えて、思わず確認。

「今の聞こえたか?」

《ええ、後で声紋分析もする。新井重工の社員と、敵の『アセット』——》

「いや、懐かしい方の声だ」

 音声遅延分の時間が過ぎて、《……ええ》という台詞が届いた。境は既に受信先を変更してMGVの音声に神経を尖らせていた。

 覚えのある体格、歩き方、眼鏡……

 境は思わずスコープで直接確認を取りたくなった。が、冷静に考えれば見たところで人物は特定できない。境は端末上でMGVを慎重に前進させる。次第にマイクで拾える音声が鮮明になってきた。しかしMGVの方を向かないので、人相を正面から割り出すのは困難だった。

《それと、ゲートの見張りに無線が繋がりません》

《そろそろかな》

《え?》

 作業員が釈然としないまま報告を終えると、リーダー格の隣に異様な出で立ちの人物が現れた。まるで陰から黒い物体がぬるりと這い出てきたような雰囲気であり、境は思わず液晶を凝視する。

 自分と同じように、赤外線を遮断する衣服に身を包んでいるのか。

 その人物は境と同じように、頭部を何かで覆っていた。ただそれだけではない。身体全体が亡霊のように周囲の闇と同化していた。人間らしさを感じられない所作。肉食獣が虎視眈々と、足の裏で地面を探りながら進むような歩き方。そんな空気を醸し出しながら、リーダーの男に随伴している。周囲の足音もマイクで拾ってはいる。だが、本人は発していなかった。映像だけに映り込んだ亡霊のように佇んでいる。

 何か特殊なブーツでも履いているのかも知れない。背格好もかなり大きい。明らかに日本人の平均身長を大きく上回っている。

 別の作業員が登山で使うようなバックパックをどこからか運んできた。それを国内有数の重工業の社員であるスーツの男に投げ渡す。男はバックパックを開き、長方形の物体を何個か数え始めた。

 恐らく梱包された札束か、何らかの報酬なのだろう。

《暗号資産や送金は信用できないからな——まあ、高飛びの準備はしてきた。船か、航空機か?》

 やはり亡命か。装置を手土産に、第三国へと渡るつもりか。確かに情報では独身者なので、家族の心配は必要ないのだろう。しかし、彼は開発に携わった技術者ではなく、施設管理を任されている身分のはずだが……

《ありがとう。まずは休憩してくれ》

 リーダーの言葉に、不気味な人物が動いた。一瞬、映像が飛んでしまったのかと境は勘違いした。次の瞬間、社員は亡霊のような巨人に背後から後傾気味に首を絞められていた。完璧な裸絞め。スーツの男はほとんど暴れることなく、ぐったりとしてしまった。男の脚より太い巨人の上腕が巻き付き、頸動脈が締め付けられ、脳に酸素が行かずに失神してしまったのだろう。社員は低身長なのか、体格差があり過ぎて身体が浮いていた。

 まるで大人が子供を捻り潰しているような光景。

 近くで待機している作業員があっけらかんと言った。

《殺していいんすか?》

《味方になってもスパイは信用できないからね。一度疑われたら永遠にレッテルを貼られるんだ。事実かどうかは抜きにしてね》

 そこからは作業のように進行した。どこかで処分するのか、作業員二名が人形のようになった男を奥の方まで運び始める。境はそこで気が付いた。社員が小さかったのではない。巨人の亡者が二メートル近くあったのだ。

 地面から見上げるような視点だから分からなかった。もし近距離で対処することになった場合、飛び道具なしではフィジカルで圧倒されてしまうだろう。

《重要な『アセット』は全て国外へと移した。『ゾーン』を新規層と一緒に拠点にできたのも、お前のおかげだ》

 リーダー格は不気味な人物に顔を向けた。境は液晶をタッチし、リーダー格の顔にピントを合わせる。

 そこには、同年代の見知った男の顔が映っていた。

 MGVの映像を通すと、被写界深度とコントラストは失われる。しかし、境には関係なかった。そして懐かしい感覚に襲われたからこそ、境は不思議と冷静さを保てた。

「篠原(しのはら)だ。相手は最低でも一五人はいる」

《そう……こっちでも確認するけど、後は任せる。チームを待たなくても、拘束のための突入許可が出ている》

 アセット——情報提供者や諜報に関する重要な要素を示す、「資産」という隠語。しかし、「ゾーン」とはどういう意味だろうか?

 境は聞き漏らさないように、MGVをジリジリと前進させる。

《俺のことは気にしなくて良い、好きにしてくれ。残っている彼らは、どのみち——》

 突然、巨人がMGVの方向に正対。液晶を覗く境を見据えるように凝視。境は思わず眉をひそめた。MGVに向かって何か投擲動作をおこない——

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