お清め

 思いの強さが窺える忍耐力に、俺はスッと目を細めた。

と同時に、眉尻を下げる。


「とはいえ、ちょっとやり過ぎたな。これだけ現世に干渉し、おまけに呪詛まで食らったとなれば……もうあの世には戻れない。このまま悪霊化……もしくは妖化して、現世に留まるしかないだろう────一生」


「なっ……!?」


「後者はまだいいが、前者なら終わることのない苦しみに喘ぐ羽目になるだろうな」


 悪霊は謂わば、負の感情を具現化した存在。

ひたすら誰かを恨んだり、妬んだり、憎んだりする性質を持っている。

生身の人間であれば、脳の仕組みや休息によってそういった感情を発散出来るが、を持たない幽霊はそうも行かないから。

ずっとずっと……もはや自分が何を恨み、妬み、憎んでいるのかも分からなくなるほど長く、負の感情を抱く。

だから、幽霊死後の魂は一刻も早くあの世へ送らなければならないのだ。


 『幽霊にとって、現世ここはある意味地獄だからな』と考えていると、氷室悟史がこちらへ身を乗り出す。


「ねぇ、何とか出来ないの!?」


 必死の形相で詰め寄ってくる氷室悟史に、俺は────


「出来る」


 ────と、間髪容れずに答えた。

すると、氷室悟史は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で固まる。


「えっ?あっ、出来るんだ……」


「ああ、そのために俺が指名されたんだよ。これは水の気・・・を持つ俺にしか、出来ないことだからな」


「水の気……?」


 思わずといった様子で聞き返してくる氷室悟史に、俺は『まず、そこからか』と溜め息を零す。


「あのな、この世のものではない事象へ干渉出来る力……霊力だったり、妖力だったりには火水土風いずれかの気……まあ、ゲームやアニメで言う属性と思ってくれていい。とにかく、そういうのが宿るんだ。で、その種類によって得意分野だったり出来ることだったりは変わってくる訳」


 ジャケットの内ポケットに手を入れつつ、俺は『あれ?酒、どこに行ったっけ?』と首を傾げる。


「その中でも、水の気は何かを清める力に優れている。悪を善に、黒を白に、悪霊を普通の幽霊に塗り替える・・・・・力があるんだ。だから────」


「────母さんの体……幽霊?を清めれば、あの世に戻れるって訳だね」


「……そういうこと」


 『何で俺のセリフを取っていくんだよ……』と思いつつも、一先ず相槌を打つ。

と同時に、懐から小瓶のような……ライターのようなものを取り出した。

万年筆よりやや太めで黒いソレを手に持ち、俺はてっぺんに親指を掛ける。

そして少し横に動かすと、スライド式の蓋が僅かに開いた。


「さて、早速お清めを始めますか」


 誰に言うでもなくそう呟くと、俺は超ミニ水筒ボトルの中身を────酒を、幽霊に向かって振り掛ける。

すると、彼女の体を蝕んでいた呪詛は少し弱まった。

が、まだ足りない。

『さすがに携帯用の分じゃ、足りないか』と思いつつ、俺は仕方なく言霊を使用する。


「我は水の加護を授かりし、冬月とうげつの遣い。命の源を司る者。全てを清め、癒し、塗り替える力を今ここに────彼の者に課せられた咎を、毒を、重りを全て改めたまえ」


 うぅ……何度言っても慣れないな、この厨二病全開の呪文は。

マジで超恥ずかしい……。


 『こっちは二十五歳のいい大人なのに』と辟易しながら、再びボトルを振った。

と同時に、また酒が飛び散り、幽霊の体を清める。

今回は言霊を活用したからか、効力が凄まじく呪詛を完全に祓えた。


「これでもう大丈夫です。光の方向へ歩いていってください。きっと、あの世に行ける筈です」


 すっかり身綺麗になった幽霊を見上げ、俺は『今までお疲れ様でした』と改めて労いの言葉を掛ける。

すると、彼女は深々と頭を下げた。


「私はもうあの世に戻れないと思っていました。本当にありがとうございます」


「いえいえ。こっちはただ仕事をこなしただけなんで」


 『お礼を言われるようなことじゃない』と主張し、俺は小さく手を振る。

その隣で、氷室悟史は困惑を露わにしていた。


「ねぇ、母さんは何を……」


「悟史、真人さんと組を頼むわね。私はもう行かなくちゃ。ヤンチャも、程々にね」


 そう言って、黒髪ロングの女性は氷室悟史の頭を優しく撫でると────最後にもう一度組長の顔を見てから消えた。

いや、天に昇ったと言った方がいいか。


 なんにせよ、これで一件落着。

あとは部屋と組長を清めるだけ。


 『まだ若干呪詛の名残りが残っているからな』と思い、俺は懐から御札を取り出す。

────と、ここで氷室悟史が前髪を掻き上げた。


「ヤンチャも程々に、ね。母さんらしいセリフだな」

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