第33話 尚人
「伊利亜ジュニア、結婚してくれるか?」
早朝の教室。
私がジュニアに求婚をすると、ジュニアは私から離れて怒声を放った。
「俺はジュニアじゃない!」
「彩弓! これは伊利亜で、ジュニアじゃないよ」
尚人は懸命に訴えるが——そんなはずはないだろう。猫耳が愛らしいワカメ頭の少年は、騎士の姿をしていないだけで、どう見てもジュニアだった。
「そんなバカな! どう見たって伊利亜ジュニアじゃないか」
「いや、彩弓。どう見たって伊利亜だよ」
「余計なことは言わないでって言ってるでしょ?」
ツッコミを入れる健に、ルアが怖い顔を向ける。
「ルアちゃん怖い。だいぶキャラ変わったよね」
「ほら、見てよ彩弓」
尚人はジュニアの頭から猫耳をとりのぞいた。
すると現れたのは、伊利亜だった。
「なんてことだ! 伊利亜ジュニアの正体は伊利亜だったのか?」
「いや、そうだったら面白いけど、無理があるよ」
健は苦笑する。
伊利亜の方は呆然としていたが、私はそんな伊利亜に熱い視線を送った。
「伊利亜ジュニア……耳がなくても私の愛は変わらないからな」
それから私は廊下で伊利亜ジュニアを見かけては、求婚をしていた。
「伊利亜ジュニア! 私の愛を受け取ってくれ!」
「猫耳を持って追いかけてくるな!」
「伊利亜ジュニア~、この可愛いやつめ!」
足の速さなら自信があるので、私はジュニアを非常階段の踊り場まで追い詰めると、伊利亜に抱きついた。
「ほら、捕まえた」
「離せ、うっとうしい」
「ジュニア、今日は一緒にうちに帰ろうな?」
「俺はジュニアじゃないって言ってるだろ」
ジュニアが私を押しのける中、後ろからパタパタと足音をたてて健がやってくる。
「彩弓……伊利亜を追いかけるのはやめなよ。学校中の噂になってるよ」
「たとえ噂になろうとも、私の愛は変わらん」
私がジュニアをぎゅうっと抱きしめると、ジュニアは少し戸惑った顔をする。
そしてそれを見ていた尚人が、殺気を放ちながら笑顔で声をかけてきた。
「ねぇ、彩弓」
「なんだ? 怖い顔をして」
「ジュニアと同じぬいぐるみを取り寄せたから、今週一緒にショッピングモールに行かない?」
「なんだと……? だがジュニアはすでにいるからな」
「じゃあ、新しいジュニアは捨てちゃうの? あんなに彩弓に会いたがっているのに」
「むむ……そうなのか? 私も新しいジュニアに会いたいな」
私は
「おい、伊利亜ジュニア。新しいジュニアを迎えに行ってもいいか?」
「知るかよ」
「わかった。お前も弟に会いたいよな。よし、迎えに行こう!」
私が新しいジュニアを迎えると決めると、尚人はほっと胸を撫で下ろした。
「良かった。これで新しいジュニアも喜ぶよ」
そんな尚人を見て、健は呆れた顔をする。
「尚人って、意外とやるよね……って、ルアちゃんはいいの? 尚人のこと」
「尚人くんのことは好きだけど……暴走する姿を見てから、ちょっと考えるようになったの」
「なるほど」
「考えてみれば、
手を合わせて頬を染めるルアに、健は若干ひいている様子だった。
「甚十さんが大人……? まあいいや、お幸せに」
***
——翌休日。
学校近くの駅改札に制服でやってきた私は、尚人の姿を発見して手をあげる。
一人で立っていた尚人は、水色のサマーニットにクラッシュデニムという装いだった。
「む? 今日はお前だけなのか? 尚人」
「そうだよ。今日は俺に譲ってもらったんだ」
「譲る? 何を譲ってもらったんだ?」
「彩弓のことだよ。嫉妬で暴走しても困るから、たまにはデートしてくればいいって」
「デートすれば暴走しないのか?」
「そうだね。彩弓がずーっと一緒にいてくれれば、暴走はしないよ」
「困ったな。私にはもう伊利亜ジュニアという伴侶がいるんだ。ずっと一緒にいるのは難しいぞ」
「……とりあえず彩弓、ショッピングモールに行こうか」
「ああ」
「おお! 本当に伊利亜ジュニアがいる!」
雑貨店のワゴンを見て興奮する私に、尚人は微笑む。
「取り寄せたついでに、たくさん再入荷したみたいだね。はい、これが彩弓のジュニアだよ」
尚人はレジで受け取った紙袋を私にくれた。中には、騎士猫のぬいぐるみが入っていた。
私は思わず嬉しくなって、ぬいぐるみを高く持ち上げる。
「新しいジュニア、今日からよろしくな」
「……彩弓、他のぬいぐるみも見る?」
「ああ、そうだな。コンテストに向けて、たくさんのぬいぐるみを見ておかないと」
「コンテスト? コンテストって何?」
「ぬいぐるみを作ってコンテストに出す予定なんだ。出すと言っても写真だけだが」
「なら、俺がその写真をとるよ。いいカメラがあるんだ」
「おお! それは助かる。正直、写真を撮るのは苦手なんだ」
「まかせてよ。俺が可愛く撮ってあげるから」
「頼もしいな。じゃあ、伊利亜ジュニアの写真も撮ってくれないか?」
「それは嫌」
「なぜだ?」
「俺は伊利亜の写真は撮りたくないよ」
「尚人は伊利亜が嫌いなのか?」
「そうかもね。彩弓を独り占めする伊利亜は嫌い」
「困ったな……騎士団が仲良くないと、私は悲しいぞ」
「でもいつかはバラバラになる時がくると思うよ」
「どうしてだ?」
「だって、皆彩弓のことが好きだから……彩弓が誰か一人を選べば、他の騎士は傷つくし、一緒にはいられなくなるよ」
「私が誰か一人を選ぶ? 皆、私の伴侶になりたいのか?」
「そうだよ」
「なんと! そういうことだったのか……」
尚人の言葉で、ようやく
私が伊利亜ジュニアを想うように、皆も私のことを想っていると知って、衝撃だった。
「私が誰か一人を選べば、バラバラになる……のか。だったら、私は誰も選べないじゃないか」
「どうして?」
「私は騎士団がバラバラになるのが嫌だからだ」
「彩弓はずるいよ。皆を好きにさせといて、誰も選ばないなんて」
騎士団がバラバラになると聞いて、私はジュニアを失くした時以上に、胸が痛くなった。私が誰かを選んでも、選ばなくても、バラバラになってしまうというのなら、どうすればいいのだろうか。
人生で最も深いため息を落としていると、尚人はぬいぐるみのワゴンを漁り始めた。
「できれば、伊利亜だけじゃなくて……俺のぬいぐるみもあればいいのに」
「尚人の?」
「そう、俺に似たぬいぐるみを彩弓のそばに置いておきたいんだ」
「これなんかどうだ?」
私が犬のぬいぐるみを渡すと、尚人は低く唸りながら手に取る。
「うーん。似てる気はするけど、パッと見でわかるくらい似てるほうがいいな。伊利亜ジュニアみたいに」
「そうか……だったら、私が作ろうか?」
「え?」
「コンテスト用のぬいぐるみだが、尚人をモデルに作っていいか?」
「彩弓の手で作ってくれるの?」
「ああ。尚人だったら、そうだな……クマ……いや、トラがいいな」
「トラ?」
「トラの尚人にしよう。だったら、見本用に尚人の写真を撮ってもいいか?」
「俺の写真なら、いくらでも撮ってよ」
***
「あら彩弓。今日はなんだか眠そうね」
教室で居眠りをしていると、ルアが声をかけたきた。
ここが学校だということを思い出した私は、慌てて首を横に振って目を覚ます。
「ああ、ちょっと寝不足でな。ぬいぐるみ製作が思うようにいかないんだ」
「コンテストに出品するって言ってたものね。どのくらいできたの?」
「半分くらいか? 写真に撮ってあるから、見るか?」
「見せて」
私がスマホの写真を探していると、ルアが目を瞬かせる。
「ねぇ、いつの間に尚人くんと仲良くなったの?」
「なんのことだ?」
「だってスマホの写真……尚人くんだらけじゃない」
「ああ、それはモデルをしてもらってるんだ」
「モデル?」
「コンテスト用のぬいぐるみのモデルだ」
「ふうん……尚人くんも侮れないわね」
「なんの話だ?」
「彩弓が最終的に誰を選ぶのかが知りたいのよ」
「選ぶというのは……もしや将来の伴侶のことか?」
「わかってるじゃない」
「私は誰も選ばない」
「え? どうして? 彩弓なら選び放題でしょ?」
「誰かを選べば、騎士団がバラバラになってしまうなら、私は誰も選ばない」
「……そんなことでバラバラになるなんて、あなたたちの絆って、そんな簡単なものなの?」
「わからない。私は皆と一緒にいたいが……皆がどう思っているのかは、わからない」
「彩弓は少しだけ大人になったのね」
「何がだ?」
「今までは誰のアプローチを受けてもまるで他人ごとのようだったけど、ようやくわかったのね?」
「なんとなく、だが……」
「彩弓?」
「……ぐう」
「誰も選ばないなんて、そんなの無理だと思うわよ」
***
『彩弓から電話くれるなんて珍しいね』
スマホから聞こえる尚人の声は、嬉しそうだった。
休日の朝から自室で縫製に励んでいた私は、トラのぬいぐるみを手に取りながら告げる。
試行錯誤を重ねて完成したぬいぐるみは、思いのほか良い出来だった。
「やっとぬいぐるみが完成したんだ。だから今から外で会わないか?」
『いいよ。五分で出るから』
「わかった。じゃあ、私もすぐに向かう」
「よう、尚人」
「彩弓」
尚人と会う頃には、陽が高く上がっていた。
騎士団のメンバーに見つからない場所がいいという尚人の希望で、灯台の足元にやってきた私は、さっそくトラのぬいぐるみを披露した。
すると、尚人はぬいぐるみを持ち上げて、これ以上もないくらい嬉しそうな顔をする。
「ぬいぐるみ、本当に俺に似てるね」
「わかるか?」
「ああ、よく特徴をとらえてると思う。すごいね、彩弓は」
「よし、じゃあこれの写真を撮ってくれ」
「わかった」
尚人は自前のカメラをカバンから取り出すと、ぬいぐるみをベンチに置いて、真剣な顔でシャッター切った。
今日は晴れているだけに、良い写真が取れただろう。仕上がりを考えるだけでワクワクしていた。
「ふう、こんなもんかな?」
「現像代は払うから、言ってくれ」
「いいよ、別に」
「そうはいかない。こういうことはキチンとしたいんだ」
「じゃあ、お金の代わりに別のものでもいい?」
「ああ、なんでも言ってくれ」
私が言い終えた瞬間、目の前に影ができて、唇を塞がれた。
驚いて見開いていると、尚人はそっと唇を離していった。
「彩弓は
「い、一度だ……いや、二度だったか?」
「本当に?」
「どうしてそんなことを聞くんだ?」
「同じ回数だけしようと思って」
「やめてくれ……これ以上、伊利亜に怒られたくない」
「どうしてそこで伊利亜が出てくるの?」
「あいつはこういうことをすると、いつも怒るんだ。自分を大切にしろとか言って」
「彩弓は嫌だった?」
「嫌……というほどでは」
「嫌じゃないなら、俺を選んでよ、彩弓」
「……ダメだ」
「どうして?」
「私は誰も選ばないと決めたんだ」
「選ばないなんて、無理に決まってる」
「無理だろうが、なんだろうが。騎士団がバラバラになるのは嫌だ」
「それじゃあ、俺はずっと彩弓のことを想い続けるよ。彩弓が俺を選んでくれるまで」
「……それでもし、私が死ぬまで誰も選ばなかったらどうするつもりなんだ?」
「彩弓が俺のことを見てくれるまで、何年でも何十年でも待つからね」
爽やかな風が吹く初夏の海が香る中、尚人はそう言って優しく笑った。
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