相応の相手

「……ねえ、これ本当に意味あるのかしら?」


 四月二四日。英雄達への指導回数が一〇回目となったところで、そろそろルーチンワークになってきたスライム相手の戦闘訓練を終わらせたエルが、ぽつりとそんなことを呟いた。


「何だエル、不満か?」


「不満よ! だってこれ、もう飽きちゃったもの!」


「ちょっとエル!? すみません剣一さん」


 剣一の言葉にエルが遠慮なくそう言うと、英雄が慌てて頭を下げる。だがそれに対する剣一の答えは苦笑だ。


「いや、気にしなくっていいよ。確かに単調な訓練だしな。それに英雄達だとこれ以上スライム組み手をやってもあんま意味ないだろうし。


 実は英雄もそう思ってたんじゃないか?」


「うっ……まあ、はい」


「ははは、だよな」


 言いづらそうに言う英雄に、剣一が笑う。実際英雄達は極めて優秀で、もはやスライムの五匹や一〇匹と戦闘ごっこ・・・・・をしたところで、得られるものはほとんどないだろう。


「あの、剣一様? そうなると他の冒険者の方は、どうやってスキルレベルをあげているのでしょうか?」


「あー、それな。昔はこのくらいになると、もっと下まで降りたんだよ。


 第四階層にはノイジーバットとジャイアントラットっていう、まあ見たまんまでかいコウモリとネズミの魔物が出るんだ。こいつらはスライムと違ってちゃんとこっちを怪我させる攻撃をしてくるから、まずはそこで肩慣らしだな。


 で、それに慣れたらいよいよ第五階層だ。あそこはゴブリンが出るから、そこなら『本物の戦闘』ができる」


 ゴブリンは、身長一二〇センチくらいの緑色の魔物だ。人間っぽい見た目ながらも長い耳と鋭い牙を持ち、手には棍棒を装備している。その技術は拙いものの、殺意の籠もった一撃は当然ながら人を死に至らしめる威力のあるものだ。


 第三階層までなら怪我もしないが、第四階層では負傷の危険があり、第五階層では死の危険が生じる。その意味ではこの第五階層こそが本当のダンジョンの始まりであり、ダンジョンで戦っていけるかどうかを見極める分水嶺であった。


「昔は……って言うほど昔じゃないけど、法改正前は第五階層こそがスキルレベル一と二を分ける場所だったんだ。ゴブリン相手に戦闘を繰り返して、レベルをあげたら六階層以降に潜るって感じだったんだけど……」


「今は第三階層までしか入れないんですよね」


「そうなんだよ。だからどうしたもんかと思ってなぁ」


 スキルというのは、より困難な状況で使い続けることで効率よく成長する。たとえば料理スキルなら自宅で自炊するだけでも一応は成長するが、お店でお客さんのために料理をする方がより速くレベルがあがる。


 なので戦闘系のスキルも当然強敵と本気で戦う方がレベルがあがりやすいわけだが、それは逆に言うと何の脅威でもないスライムとどれだけ戦い続けても、スキルレベルがなかなかあがらないということでもある。


「ほんっと、面倒な法律ね……どうにかならないのかしら?」


「お父様にお願いして……いえ、流石に憲法を今日明日で変えるのは無理ですね」


「そもそも酷い事件があってからの法改正だからね。僕達を守るためのものだっていうのはわかるけど、こうなるとちょっと困っちゃうよね」


「祐二……俺の親友が『あの事件の影響で過剰な規制をしてるけど、この状態だと新人が育たなくなるのは目に見えてるから、多分二、三年くらいでもう少し条件が緩くなった改正法が出るんじゃないかな?』って言ってたけど……それを待つわけにもいかないよな」


 今から三年となれば、英雄達が今の剣一より一つ年上になるということだ。一番スキルが伸びる時期を三年も無駄にするだけでもゾッとしないのに、加えて待ったところで事態が好転するかも不明となれば、我慢などできるはずもない。


「ねえケンイチ、アンタ前はもっと深くまで潜ってたんでしょ? 何かこう、いい感じの抜け道とかないの? 人目につかないようにこっそり奥に進めるような」


「エル様? 法律は守らないといけませんよ?」


「だって! 大人しく守ってたら、アタシ達ここでずーっとスライムと戦ってることになるのよ!? ヒジリもヒデオも、そっちの方がいいの!?」


「それは……確かに困りますけれど」


「そう、だね。確かに僕達は、できるだけ速く強くならなくちゃだもんね。剣一さん、無理を承知で聞きますけど、何かいい方法はありませんか?」


「そう言われてもなぁ……」


 ダンジョン入り口と違って、内部には通行ゲートがあるわけでも、監視員がいるわけでもない。なのでただ下層に行くだけなら、普通に歩いて階段を降りればいいだけだ。そこでチラッと雰囲気を見て帰るくらいならどうとでも誤魔化せる。


 が、そこで何度も戦闘をしたりすれば話は別だ。「善意の第三者」によって通報されればあっという間に目撃情報が集まり、一行はあっさり犯罪者として捕まることになるだろう。それは英雄達は勿論、剣一だって本意ではない。


 というか、むしろ指導員という立場から、剣一が一番重い罰を受けることになるのは明白。お人好しではあるし、英雄達の力になりたいと思う剣一ではあったが、彼らを、そして自分も犯罪者になってまで……とは考えていなかった。


(うーん、人目に付かずに下に降りる方法? そんなのあるならそもそも俺が使ってる…………あ)


「あっ」


「え、嘘でしょ!? まさか本当にあるの!?」


「いやいや、駄目駄目駄目!」


 ふと閃いたことに、エルが驚きの表情で食いついてくる。だが思いついた場所が場所だけに、剣一は声を荒げて激しく首を横に振る。


 今月頭に偶然見つけ、ディアに出会った転移罠の魔法陣。誰にも見つかっていないあれを使えば前人未踏の下層に行けるし、帰りも転移罠で……あんまり頻繁に剣一が通うので、見かねたディアが頑張って作ってくれた……ひとっ飛びだ。


 だが――


「確かにあそこなら人目もないし強い魔物もいるけど、あれは流石に強すぎて、今の英雄達じゃ相手にならないと思うんだよ」


「そんなのやってみなきゃわからないじゃない! それにこの二週間で、アタシ達だって随分強くなったと思うわよ? ねえヒデオ?」


「うん! 剣一さん、本当に駄目なら無理にとは言いませんけど、一度試すくらいはさせてもらえませんか?」


「そうですわ。それに万が一怪我をしても、私の魔法や回復ポーションなどもありますし。ああ、勿論それによって何が起きても、剣一様の責任を追及しないとお約束しますわ」


「ぬぬぬぬぬ…………」


 やる気と期待に満ちた三人の教え子の視線に、剣一は顔をしかめて考え込む。如何に才能に恵まれていようと、今の英雄達にあの場所のミノタウロスは荷が重すぎる。だがそれを言葉で説明しても納得してもらえそうには思えない。


「あー…………はぁ、わかった。でも約束。これから俺がやることを絶対誰にも言わないこと。あと俺の指示には絶対に従うこと。俺の側を離れないこと。あとはえーっと……」


「そんなの全部聞いてあげるわよ! ほら、決まったならさっさと行きましょ!」


 剣一としては必要最低限、だが他の三人からすると長い要求をあっさりと踏み倒し、エルが剣一の手を引っ張る。その様子に剣一は呆れと諦めの混じった苦笑を浮かべると、全員揃って第一階層を移動し、ひとつの突き当たりの場所までやってきた。


「あ、そうだ。念のため……なあ英雄、この壁をちょっと手で押してみてくれる?」


「壁をですか? わかりました……うわっ!?」


「「「えっ!?」」」


 英雄が壁を押すと、英雄の姿が壁の中に吸い込まれるようにして消える。その事実に剣一と聖達が違う意味の驚きの声をあげるも、すぐに英雄が再び壁のなかからニュッと頭を出した。


「びっくりした……これどうなってるんだろ?」


「まさか幻影魔法? 嘘、アタシ全然気づけなかったんだけど!?」


「なるほど、これはまさに秘密の出入り口ですわね……それで剣一様、この向こうには何が?」


「あ、ああ。ずっと下の階層に跳べる転移罠があるんだけど……」


「そういうことですか。それでは――」


「みんなで一緒に行きましょ! ほらケンイチ、早く!」


「お、おぅ……あれぇ?」


 まずは聖が静かに壁の向こうに消え、次いではしゃぐエルもまたあっさりと幻影の壁を突破してしまった。その様子に剣一は猛烈に顔をしかめる。


(おいおい、話が違うじゃねーか! こりゃあとでディアに問い詰めないと)


 新人がヒョイヒョイ通れるようでは、選別幻影の意味がない。帰ったらディアの尻に蹴りを入れると心の中でメモしつつ、剣一もまた幻影の壁を抜け、何処ともわからぬダンジョンの下層へと転移していった。

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