第29話 突然の来訪者

 

 グレースから建国記念の祈祷の場で、神や王族に捧げる菓子に、『研修士たちのマドレーヌ』が選ばれたということを告げられた貴族用調理場は歓声に沸いた。

 リリーは涙ぐみ、その涙を拭うマーサもまたぐしぐしと瞼をこする。豪快で物怖じしなさそうなアレッタも「なんてことだい……」と小さく呟いたきり、口を開けたままだ。

 高位貴族であるエレノアやスカーレット以上に、皆の驚きと喜びは大きいようだ。

 指導する立場のグレースも皆の喜ぶ姿にぽろぽろと涙を流している。

 そんな皆の様子にエレノアとスカーレットは視線を交わし、微笑み合う。

 エレノアが今回作る上で、イライザから伝えられた言葉を口にする。

 

「正道院長はいつもと同じように作るように、そうおっしゃっていました」

「いつも以上に、じゃあないのかい? ほら、特別な装飾をしたり、味を変えたり何かしら特別なことをしたほうがいいんじゃあないかい?」


 驚いた様子のアレッタに、グレースは正道院長イライザの考えを伝える。


「いえ。皆さんがいつもお作りになっているマドレーヌが認められたのです。ですから正道院長はいつもと同じように、そうお考えになったのだと思います」


 その言葉を聞いたアレッタも、他の調理人も平民研修士ラディリスたちも、皆納得したように頷く。それと同時にどこか照れくさそうで嬉しそうでもある。

 これは彼女たちの日頃の努力や姿勢、それらが評価され、認められたということ。「聖なる甘味」を貴族だけのものではなく、街の人々のものにしたのは日々、調理に当たる彼女たちの成果なのだ。


「皆で協力して、いつも通り美味しくって笑顔になれる『聖なる甘味』を作りましょう!」

「はい! よろしくお願いします」


 厨房には意気揚々とした皆の声が響く。

 窓から見える青空と同じように、清々しく澄んだ思いでエレノアはそんな彼女たちの姿を見つめるのだった。



*****



 それから数日後、エレノアたちは献上する菓子を作り、その様子をイライザも見守った。

 いつも通りの気持ちで丁寧に焼き上げた菓子の出来栄えに、皆満足げだ。

 均等に綺麗に焼きあがったマドレーヌは粗熱をとったのち、包装して王都の正道院へと運ばれる。最も大きな正道院であり、建国記念の祈祷がそこで行われるためである。


「配送なさる方はいらっしゃっているのですか?」


 そう尋ねるエレノアに正道院長のイライザは自信ありげに頷く。

 

「えぇ、こちらに向かっておいでです。とても信頼のおける方で無事に運んでいただけることはまちがいありません。お会いしたら、あなた方も納得して頂けますよ」


 正道院長であるイライザがここまで言うのだ。信仰会の上層部か、その依頼を受けた者が任務を任されたのだろうとエレノアは判断する。

 皆がいるこの場では口に出来ないが、ヒギンス伯爵家からの妨害が起こることを考慮し、それに備える必要がある。

 だが、イライザの言葉からその恐れもいらないのだと考えられた。


「本日中に、こちらに到着するご予定なので、エレノア研修士もご挨拶をなさってくださいね」

「えぇ、それはもちろん……」


 そう言ったものの、エレノアは少し驚く。

 貴族研修士は面会する者は限られ、時間なども制限されている。

 本来、謹慎目的で正道院に預けられたこともあるが、同時に貴族である令嬢たちを周囲の者から守る意味もある。

 「聖なる甘味」の復活にエレノアが深くかかわっていることもあるが、それでも外部の者との面会を正道院長であるイライザが伝えるのは意外である。

 それだけ、信仰会内で重要な人物なのであろうかと、エレノアは少し身構えるのだった。




 聖リディール正道院の正門前に、エレノアが見慣れた馬車から降り立ったのは、馬車以上によく見慣れた人物だ。

 優雅にこちらに歩みを進めるその人物の姿に、エレノアたちを遠巻きに見つめていた者たちから、小さな歓声が上がるのを正道院長イライザが咳払いで諫める。

 エレノアは驚きで目を瞠りながら、こちらへと近付くその人の姿を見つめる。


「……お兄さま、カイルお兄さまなの?」

「そうだよ、エレノア。たった一人の僕の妹! 君を驚かせたくって今日ここに来ることを正道院長には伏せて貰ったんだ。驚いたかい?」

「えぇ、とても。とても驚いているわ、お兄さま」


 エレノアに会えた喜びからか、カイルの瞳には涙が浮かぶ。

 驚くエレノアだが、そこまで日が経っていないにもかかわらず、兄の喜びようは数年会っていないかのようだ。

 馬車の前で護衛の者たちもどこか申し訳なさそうにしている。

 それでも兄カイルは嬉しそうにエレノアを見つめ、相好を崩す。そんな兄の様子が嬉しくも微笑ましく、エレノアはくすくすと笑う。

 

「少し、背が伸びたんじゃないか?」

「いいえ、伸びていないわ」

「さらに美しくなっている……」

「そんなに短い期間で人は変わらないものよ、お兄さま」


 そんな兄妹のやり取りは王都の家にいた頃と同じもので,見つめていたカミラも黒い瞳を潤ませる。カミラにとっても、カイル同様に兄妹の再会は感動的な出来事なのだ。


「いえ、お嬢さまは日に日にお美しさに磨きがかかり、側にいる私としてもその成長が日々の喜びでございます!」

「そうだろう、カミラ。君のようにエレノアの価値を理解し、信頼できる者を側に置いて良かったと心から思うよ」

「光栄でございます!」

「もう、お兄さまもカミラも困ったものね。……それで、どうしてお兄さまはこちらに?」


 話が別の方向へ向かいそうな予感に、エレノアはわかってはいるが確認をする。

 馬車に乗って現れた兄、何の理由も許可もなく、謹慎中の令嬢が家族に会えることはないのだ。

 兄がここに来たのは、決してエレノアに会うためではない。当人の心情は別として、あくまで表向きの理由は他にあるのだ。


「もちろん、お前が手ずから作ったという『聖なる甘味』を、無事に王都まで届けるためだよ! コールマン公爵家の家紋入りの馬車に、何か仕掛けてくる愚か者は流石にいないだろう? まぁ、いたとしても僕が炭にするけれどね。だから大丈夫だよ」

「それはそれで、大丈夫ではない気がするけれど。でも、ありがとう。お兄さまやお父さまのご尽力に感謝していますわ。私に会いに自ら訪れてくださったことも」


 エレノアを見つめ、整った顔立ちを綻ばせる兄だが、喋っている内容は物騒極まりない。

 だがそんな兄や父の愛情で、「聖なる甘味」を取り巻く状況が一変したことも、エレノアは知っている。それはコールマン公爵家の名誉のためだけではなく、エレノアを思う家族の愛情ゆえのものだ。


「……よし。それじゃあ、このまま僕と一緒に王都へと帰ろうか?」

「お兄さま?」

「冗談だよ。残念なことにね」


 少し悲し気に微笑んで、カイルはエレノアの肩に手を置いた。

 正道院長イライザやグレースを見つめ、再びカイルはエレノアに視線を移す。


「これからも私の妹をよろしく頼みます。それじゃあね、エレノア。必ず王都へと君たちが作った菓子を届けるからね」

「お兄さまもお気をつけて」

「あぁ、いつでも手紙を寄こしていいからね。どんなときでも僕も父さまも君の味方だ」


 正道院長イライザからマドレーヌが手渡され、カイルは馬車に乗る。

 遠ざかっていく馬車を見えなくなるまで見つめながら、エレノアは兄の愛情と優しさに深く感謝するのだった。

 


 

「ありがとうございます。正道院長」


 静けさを取り戻した正道院でエレノアはイライザに感謝の言葉を述べる。

 兄カイルに会えるようにと、彼女が王都のコールマン公爵家に取り次いでくれたのだろう。

 それは生真面目で頑なな彼女としては、めずらしい正道院長としてはいささか逸脱した行為でエレノアも予想外の出来事であった。

 当のイライザはいたずらが成功したようにくすりと笑う。


「兄と会う機会を作ってくださり、感謝致します」

「いえ。信頼出来て、安心して託せる御方は心当たりが他にありませんでしたから。護衛の方々に魔法を扱えるあなたのお兄さまでしたら、無事に王都までお運びくださるでしょう。……無事に神や王族の元にお届けするために必要な事です」


 正道院長イライザはエレノアの言葉にかすかな笑みを浮かべて答える。

 今回の「聖なる甘味」復活、その名誉回復もエレノアやコールマン公爵家の力なしでは成し得なかったであろう。

 カミラとバッグ二つ、それしか持たずにこの聖リディール正道院に訪れた公爵令嬢エレノア・コールマンは多くのものをこの正道院に、そして研修士や使用人にもたらした。

 そんな彼女の努力に報いることは、残念ながら難しい。

 それは正道院長と貴族研修士という立場もある。そして何より、彼女は多くを望まない気性の持ち主でもある。

 であれば、正道院に訪れたときに他の貴族研修士と違うと、グレースが興奮することもなかったはずだ。

 聖リディール正道院ではエレノアを中心に多くの物事が変わっていく。


「我々に出来ることはもうありません。あとは、そうですね。神に祈りましょう」


 その言葉に微笑むエレノアだけが、ここに訪れた当初と何も変わらずそこにいる。

 この少女は自分が起こした功績にどこまで気付いているのだろう。

 神秘的な紫の瞳を持つ公爵令嬢エレノアは、高貴でありながら親しみがあり、大人びた思考を持ちつつ、純真な少女らしさも持ち合わせる。

 ちぐはぐでありながら魅力的な貴族研修士ヴェイリスとして、エレノアが成長していくことをイライザは今後も見守っていきたいと考えるのだった。

 

  



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