第24話 スカーレットの事情
エレノアに与えられた部屋は貴族令嬢ヴェイリスの中で、最も広く家具も洗練されたものが揃っている。
そんな部屋の一つは寝室、一室はシステムキッチンに変わっており、もう一部屋でエレノアはスカーレット・クーパー侯爵令嬢と向かい合う。
噂に聞く刃傷事件もあり、カミラは表情には出さないものの、警戒を怠らない。
今のエレノアは攻撃魔法は使えないのだ。
いざとなれば、自身が盾になってもカミラはエレノアを庇う気でいる。
そんなカミラの心を知ってか知らずか、エレノアはにこやかにスカーレットに紅茶を勧めた。
「カミラが入れてくれた紅茶は美味しいんですよ。菓子は私が作った物です。お口に合えばいいのですが」
「……えぇ、以前マーサにくださったものですね。うちの者たちがお世話になったようで、ありがとうございます」
「いえ、私も一緒に過ごせて楽しかったんですのよ」
その言葉にマーサがパッと表情を明るくするのを、ペトゥラがたしなめる。
スカーレットの表情は優れないが、マーサたちのことに関しても否定的な響きはない。貴族的な意味合いで礼を言っているわけではないようだ。
どうやら、噂と異なる人物であるのはスカーレットも同様なのではと思うエレノアだが、そんな気持ちを察したのか、カミラが目で合図する。
貴族同士の関係では気を抜いてはいけないのだ。
「突然、お会いしたいと申し上げたのに、お時間を作ってくださってありがとうございます。実はどうしても……コールマンさまにお伝えしなければならないことがありまして」
悲痛な表情でスカーレットはペトゥラに合図する。側に控えていたペトゥラが差し出したのは一通の手紙だ。
「こちらに目を通して頂けますか?」
「……私が目を通してもよろしいんですの?」
スカーレット宛のこの手紙を本当に読んでもいいのか、エレノアは確認する。
こくりとスカーレットは頷き、ペトゥラもまた同意を示した。言われた通りにエレノアは封を開け、文に目を通していく。
読み進めるエレノアの形の良い眉がひそめられ、スカーレットは身を竦める。
そこに書かれていたのは、エレノアの作る「公爵令嬢のマドレーヌ」が貴族たちに購入を控えられた原因である。
「――つまり、あなたの元婚約者のお家があなたを困らせるために、『聖なる甘味』の販売を妨害しているということであっているかしら」
エレノアは強く言ったわけではないのだが、スカーレットはびくりと肩を震わせる。その姿は偽りのようには思えない。
強気に見える顔立ちのスカーレットだが、その緑の瞳は涙に濡れていた。
「……えぇ、わたくしのせいなのです。元婚約者であるローガンさまはわたくしが刃を向けた方、謹慎処分になった今でもお許しになってないのです。それゆえ、聖リディール正道院でもわたくしが居場所がなくなるよう、圧力をかけているようなのです」
ペトゥラとエヴェリンは主人のスカーレットの言葉に、いたたまれないのか視線を下に向ける。マーサは気付いていなかったのだろう。不安そうにペトゥラとエレノア、スカーレットの表情を見る。
カミラから大体の話は聞いていたが、その裏にかつての婚約者が関係していたとは予測出来ずにいた。謹慎中であるスカーレットを正道院という閉ざされた場で、孤立させようという思いは執念に近い。
「わたくしがあのような行為に至った理由はローガンさまにあるのです」
その言葉を聞いたエレノアは眉をひそめる。
エレノアは魔法を行使しようとしてこの正道院に来た。それは自らの責任であり、カミラを中傷した彼らだけのものではないと考えている。
そんなエレノアの思いに気付いたのか、慌ててペトゥラが声を上げる。
「違うのです! 本当にスカーレットさまは悪くはないのです! あの男は…… ローガンは始めからクーパー侯爵家を陥れる目的だったのです……!」
「ペトゥラ、コールマンさまの前よ。声を荒げてはいけないわ」
「申し訳ありません。ですが、ですがペトゥラはお嬢さまが苦しむ姿をこれ以上見るのは辛うございます」
いつもマーサをたしなめる立場のペトゥラはほろほろと涙を溢す。
使用人としての立場を守るペトゥラが感情をあらわにする、それだけの事情があるのだとエレノアにも伝わる。
悲痛な面持ちの二人にエレノアは、スカーレットの事件の詳細を彼女自身から聞く必要があると、改めて彼女に向き合うのだった。
「きっかけは叔父の借金でした。領地を父の代わりに治めていた叔父が多額の借金を作り、その肩代わりを父がしたのです。それが間違いでした。叔父は土地の権利なども手放し、それを取り戻そうと更に借金を重ねて……そんなとき、父に声をかけたのがローガンさまのお父上です」
「それがあなたとローガンさまの婚約に繋がるのね」
「えぇ、その通りです。わたくしには体の弱い弟がおります。ですので負債のために資金を援助し、家を継いでくださるローガンさまの存在はありがたいものでした」
記憶を辿るエレノアだが、ヒギンス伯爵家は新興貴族である。歴史も信頼も篤いクーパー侯爵家とでは家格の差があるのだ。
だが、スカーレットの婚約にそのような事情があるならば、腑に落ちる。
「それが、どうしてあのようなことに?」
エレノアの問いに、スカーレットの口元には自嘲の笑みが浮かび、ペトゥラは悲し気に目を伏せた。
「――そもそもがあの方々の策略、叔父の借金も彼らが手を回したことだったのです。そのことに気付いたのは事件の数日前、言い合いになったときにローガンさまが口になさって……始めは信じませんでした。きっと感情的になった上の嘘だと……そう思うくらいに信頼していたんですね、わたくし」
膝の上のハンカチをぎゅっと握りながら、スカーレットは話を続ける。思い出すのも辛いことではあるのだが、本当のことを告げなければ、現状を理解してもらうのは困難だと知っているのだ。
スカーレットがローガンを思うばかりに起きた事件、世間ではそう思われている。それを吹聴しているのは他でもないヒギンス家であろう。
「彼の言葉を聞き流すことが出来ず、もう一度尋ねたんです。そのときに笑われて――彼からすれば滑稽だったのでしょうね。それでも、わたくしは婚姻を受け入れるしかなかった。こうなっては仕方ないことだと。でも、弟ルーカスのことは別です」
スカーレットの緑の瞳に強い意志が宿る。
仕組まれた婚姻を受け入れたはずのスカーレットが、それでも許せないことが事件へと向かわせたのだろう。
口を挟まず、ただじっとエレノアはスカーレットの話に耳を傾ける。
「ルーカスは我が家の長男。たとえ体が弱くとも、彼らにしてみれば家督を継ぎかねない危険な存在なのです。そのため、婚姻後まだ幼い弟を遠縁に静養に出そうと、彼らは秘密裏に話を進めていたのです。病弱なあの子には都市での治療が必要なのに……だから、だからわたくしは……」
スカーレットの震える手を横からペトゥラが包み込み、エレノアを見て首を振る。エレノアもスカーレットの姿に、これ以上話すのは困難だろうと頷く。
ペトゥラは安堵の表情を浮かべ、スカーレットの背中に触れた。優しく労わるその姿からは彼女たちの信頼関係が見える。
「発言をお許しください」
「どうしたの? カミラ」
「その婚約者さまは実際にどれほどの怪我をなさったのですか?」
エレノアの後ろに控えていたカミラが気になったのは、伝わっている事件の内容とスカーレットから受ける印象の違和感だ。
感情的になったスカーレットがナイフを持ち出したとして、このように動揺する繊細な気性、ましてや刃を向けても傷を付けられるようには思えないのだ。
震える声でスカーレットが話し出すのを、ペトゥラたちが不安げに見つめる。
「わたくしはナイフを持って……ローガンさまは笑って近付いて来られました。『そんな震える手で刺せるわけがないだろう』と。わたくしは自分でしてしまったことも、ローガンさまの変わりようも怖くて……そのとき、ローガンさまがお顔をナイフの前に置かれたので、咄嗟にナイフを背けたのです! ……ですが、そのときに頬を切ってしまって……」
エレノアは深いため息をつく。どうやら、事件の内容が聞いていたものとは大幅に異なる。
事件をきっかけに婚約はなくなったものの、ヒギンス家に多額の負債があるクーパー家は、強く抗議することも出来ず、刃傷事件としてスカーレットはこの聖リディール正道院へと送られたらしい。
負債だけではなく家の事情や弟の将来もあるため、スカーレットは全て相手の言い分を受け入れたのだろう。
繊細な彼女は全てを自分の責任にすることで、少しでも家と家族を守ろうとしたのだ。
「あなたも私も、してしまったことやその罪を変えることは出来ないわ」
「えぇ、コールマンさまのおっしゃるとおりです。わたくしのせいで皆さまにご迷惑をかけ……本当に申し訳ありません」
スカーレットの言葉は小さく、多くのことを諦めているかの様子だ。
正道院とエレノアにまで迷惑をかけたと、彼女は自身を責めているのだろう。
だが、エレノアはそうは思わない。
「誤解しないでね。決まってしまったことは変えられないわ。でも、これからの状況を、何もしないで見過ごすのは違うのではないかしら?」
「……おっしゃるとおりです。本当に――」
「謝罪は不要よ」
やはり謝罪は受け入れて貰えないのだと思うスカーレットだが、エレノアはそんな彼女の手を取る。目の前で微笑むエレノアを、スカーレットは戸惑いながら見つめる。
この場に謝罪に訪れたスカーレットなのだが、エレノアはにこやかに笑みを浮かべ、彼女にある提案をする。
「クーパー侯爵令嬢、私に協力して頂けないかしら?」
「……協力?」
スカーレットの緑の瞳が戸惑いで揺れる。
なぜかエレノアは微笑んで、スカーレットに協力を求める。
この正道院に来て、スカーレットはペトゥラたち以外とは距離を取っていた。
周囲から距離を置かれるだけではなく、スカーレット自身も人とのかかわりに恐れを抱いていたのだ。
触れた手の温かさ、そして注がれる眼差しの優しさに、スカーレットの瞳からはぽろぽろと涙が零れていく。
そんなスカーレットの姿に、ずっと側で見守ってきたペトゥラたちも必死で涙を堪えるのだった。
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