第22話 正道院のカリカリラスク 3


 エレノアが作ったラスクは正式に正道院で販売することとなった。

 祈祷舎近くの一室で、マドレーヌと共に今日から販売されている。

 マドレーヌより量があり安価なこと、そしてパンという形であることが買い求めやすいのか、今日はこちらを皆が買っていく。

 試食を入口の前で行い、ドアは閉じずに出入りを自由にしておく。これらはエレノアの案だが、その成果は大きい。

 年齢も職業も様々な人々が入りやすい空間を作っているのだ。


「あちらで試食を頂いて……研修士さま、甘い方を頂けますか?」

「はい。では、こちらの赤い紐の方ですね」


 麻袋に包んだラスクは砂糖とバターのものは赤い紐、バターとバジルの塩味の方は紺色の紐と、違いが一目でわかるようにした。これもエレノアの案である。

 調理以外でもエレノアの意見は反映され、効果を出している。未だ商品数は少ないものの、聖なる甘味の復活は人々の関心を引き、多くの人が正道院に足を運ぶようになった。

 そんな変化やこの場での人々との会話は、平民研修士の意欲を高めているようで、始めは緊張していた平民研修士ラディリスたちも笑顔が増えてきた。

 聖なる甘味の復活は、正道院にとっても街の人々にとっても、良い結果をもたらしていた。


「グレースさま、あちらの子がお話したいことがあるそうで……」

「あら、なんでしょう」


 菓子作りの中心的役割を担うグレースに、一人のラディリスが声をかけてきた。

 彼女が指し示す方にはまだ幼い少女がラスクの袋を持って待っている。


「どうかしましたか?」

「さっきね、このパンを買って貰ったの」

「まぁ、それはありがとうございます」


 真面目なグレースは誰であろうとも丁重な態度を崩さない。それが例え、小さな子どもであろうとだ。


「このパン、甘くってザクザクで、バターの味がしてすっごく美味しいね!」


 礼を言われた少女は嬉しそうに笑うと、試食したラスクの感想をグレースに伝える。グレースも率直な感想に微笑みを浮かべる。


「でね、これはどんな人が作っているの?」

「私たち、皆で作っていますが、考えた方は別にいらっしゃいます」

「お姉さんたちが作ってるのね! 考えた人はどんな人? ここにはいないの?」


 そう言われてグレースはエレノアの姿を思い浮かべる。

 高位貴族でありながら、菓子作りに精通し、商売の案も思いつく。謹慎のためにここに来たとは思えない穏やかで柔軟さを持った少女である。


「そう……ですね。心清らかでお美しく寛容な御方です。ここにはいらっしゃらないのですが、何かお伝えしておきますか?」

「会えないのか……じゃあ、ありがとうって伝えてね! これ、皆で食べるの!」

「はい、お伝えしておきますね」


 まだまだ嬉しそうに話しかけようとする少女を、彼女の母親らしき女性が慌てて止めに来る。くすくすと笑ってグレースは少女と母親を見送る。

 祈祷舎から出てくる人々、そしてこの部屋で販売するラディリスたちの姿をエレノアにも見せられたら。人々の笑顔を見つめながら、グレースはそんな思いに駆られるのだった。



*****



 貴族用の厨房では幾つもの麻袋の中に、ラスクが詰められていく。

 紐の色を間違えないように、気を付けながら二手に分かれて作業は進む。

 そんな様子をエレノアは眺めながら、グレースやアレッタに今後の販売していくもの見通しを尋ねた。


「それでは今後は、正道院で作ったジャムや果実酒も販売していくのね」

「はい。マドレーヌやラスクなどの聖なる甘味もそうですが、正道院で作っているものを販売していく方針です」

「それは素敵な試みね! この正道院にとっても、訪れる人にとっても新たな楽しみになるでしょうね」


 様々な種類の食材を置くことで、これから一層、正道院に訪れる人々が増えるだろう。この聖リディール正道院で、自分たちで育て、作ったものを加工し、販売していく。まさに理想的なスローライフの在り方だ。


「あたしらからも礼を言わせておくれ。本当に助かったよ、お嬢さん」

「あら、私としても既に形になっているものを加工する。そんな案が浮かんだのはパンがたくさんあったからですわ。ふふ、偶然に感謝ですわね」

「……ありがとうございます。コールマン公爵令嬢」


 アレッタもグレースも、気を遣わせないようにエレノアがそう言ったのだと思っているが、紛れもなく彼女の本心である。

 菓子作りを好きなために、つい一から何かを作ってしまおうとするエレノアには価格を抑え、軽食を兼ねるラスクは余ったパンを見るまで思いつかなかったのだ。 

 

「あ、そうです。今日は可愛いお客さまに、コールマンさまへの言付けを頼まれていました」

「まぁ、どんなお話かしら?」

「それがですね……」


 昼下がりの厨房で、貴族研修士ヴェイリスであるエレノアと平民研修士ラディリスであるグレース、そして調理人や菓子作りをするラディリスたちが、同じ場所で同じ時間を過ごす。これは今までになかったことだ。

 ヴェイリスとラディリスの遠い関係、それを公爵令嬢であるエレノアは自然に飛び越える。

 余りに自然過ぎて誰も気付かないうちに、エレノアは「聖なる甘味」以外の結果をもたらそうとしていた。

 

 


 エレノアたちが穏やかな午後を過ごしている中、正道院長室でイライザは深いため息を吐く。正道院長室の机に重ねられた手紙の束は、全てエレノアが作った「聖なる甘味」を求める声なのだ。

 だが、エレノアが作るにも限りがある。そもそもスミレの花の砂糖漬けはいつでも手に入るものではないし、エレノア一人で作るのは数が限られる。

 イライザは、エレノア以外の平民研修士たちが作るものをお贈りすると綴ろうと思いながら、送られてきた手紙の内容を確認していく。


「ご関心を持っていただけるのは良いことなのだけれど……あら」


 すると、ある封筒を開けると、寄付の申し出が書かれていた。

 聖なる甘味復活への応援、そして多額の寄付を申し出る内容に、イライザは安堵する。活動を評価してくれる貴族が早くもいたのだ。


「私たちの活動にご関心を持ってくださる貴族の方がいらっしゃるのね。早々にご支援を頂けるなんてありがたいことだわ」


 だが、読み進めたイライザの顔色はどんどん悪くなる。

 手紙の主はエレノア・コールマンの兄カイルからだったのだ。

 丁重にこちらに配慮をしながら、エレノアを保護してくれることへの感謝、信仰会本部への多額の寄付を行ったこと、聖なる甘味のさらなる発展を願う、その手紙の文章は表面的には何の問題もない。

 にもかかわらず、正道院長であるイライザは手紙には綴られていない、兄のエレノアへの愛情、それゆえの大きなプレッシャーを感じる。

 イライザは先程以上に深いため息をつくと、全ての手紙への返答を綴り始めるのだった。



*****


 

 その晩、エレノアの元にも兄カイルから手紙が届いた。

 兄の魔法鳥が出した手紙はかなりの厚みがある。 


「ごめんなさいね。あなたも疲れたでしょう?」

 

 そう言ってエレノアが労うと、魔法鳥は大きく羽を広げてふわりと消える。

 手紙にはまだ一か月も経っていないというのに、エレノアに会えない寂しさや案じる言葉が綴られている。エレノアが魔法鳥に託したマドレーヌを父も兄も絶賛し、また何かあればどんな菓子でも送ってほしい、エレノアの菓子と手紙が今の自分の生きる糧だと必死な思いが綴られる。


「お兄さまもお父さまも大げさだと思わない? カミラ」


 だが、エレノアの思いとは異なり、カミラは沈痛な表情である。


「いえ、至極当然のことです。幸い私は性別上の問題がなく、お側にいられますが、もしそうでなければ、どれほど毎日苦しんだか……カイルさまのお気持ちは痛い程、わかります!」

「そう……でも、幸せなことだと思うわ。それほどまでに家族は私を愛してくれるのだもの」


 そう言って受け取った手紙を大事そうにエレノアは見つめる。

 この正道院に来てから、今まで知ることのなかった主人エレノアの姿にカミラは寂しさを抱くことがあった。 

 だが、兄カイルからの手紙を大切そうに見つめるその姿は、変わることのないエレノアの心を表していた。

 まだ、自分は未熟であるとカミラは思う。

 実際にはエレノアの本質は何も変わらない。寛容で穏やか、公正で柔軟な発想を持つ令嬢のままだ。

 ただ公爵令嬢としての仮面を、いつもつける必要がなくなり、その素直な思いが表情にも行動にも表れるようになっただけなのだ。

 微笑むエレノアの姿に、カミラは今後も主人を守り、その力になろうという決意を一層強くするのだった。



*****


 

「これは……本当なの?」


 二人きりの部屋で手紙の内容に驚愕するスカーレットをペトゥラは心苦しそうな表情を浮かべる。

 受け取った魔法鳥からの手紙は深刻な内容だったのだ。

 この正道院で周囲から距離を取られていることは、スカーレットも気付いている。それは自身の罪を考えれば、仕方のないことだとスカーレットは受け入れていた。ここは貴族令嬢にとって謹慎の場であるのだ。

 だが、同時に使用人であるペトゥラたちが、肩身の狭い思いをしていないかと案じてもいた。

 しかし、今日届いた家族からの手紙はスカーレット達だけの問題ではなかった。正道院、そして周囲の研修士、特にエレノアに迷惑をかけかねない内容だったのだ。


「どうしたらいいのかしら……」

 

悲痛な表情を浮かべるスカーレットにかける言葉のないペトゥラは、ただ寄り添い、その心痛を少しでも労う事しかできないのだった。



 

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