53、清明節、午の刻、暗殺射手

 午の刻(昼12時)。


 どうも貴賓席に紺兵隊が見える。気のせいだろうか?

 しかも、王が座る席に石苞がいるような。よく似た別人? 

 そういえば、石苞は騎馬民族の出自だし、よく似た親戚?

 

 気になるなあ、と思いつつ、紺紺は侍女として咸白宮かんはくきゅうの席で給仕に勤しんだ。

 

「お茶をお淹れしますね」 

 

 両手で持った青花陶器の急須を傾けて白茶を注ぐと、湯気と一緒に甘い香りがふわっと漂う。

 

「あなたも休憩なさいな」

「はい、ありがとうございます。侍女用の席でいただく予定です」

「水分不足はいけませんから、今ひとくち飲んでおきなさい」

「はい」

 

 彰鈴妃は、優しい女主人だ。

 お茶をひとくち啜ると、ほっとする心地がした。

 

 お茶の良いところは、この自然を感じさせてくれる優しい香りだと紺紺は思う。香りを含んだ湯気は暖かいし、口の中に広がる味は綺麗な感じがする。

 口の中を清めてくれるような感覚があって、美味しくて体にいいものを飲んでいるな、と思うのだ。

 

「そういえば、延禧宮えんききゅうの侍女が焼きものを届けてくれましたわよ。荷置き場にありますわ。自分の分を持ってお行きなさい」

「あっ、ありがとうございます」


 以前つくった青花陶器の茶杯が完成している。

 職人作と違って形が歪んでいる部分も目立つが、ちゃんとお茶が飲めそうな完成品だ。


「わあぁっ、すごい。ちゃんと茶杯だ」

 紺紺は目を輝かせた。


「二つ作りましたのね。どなたとお茶を楽しまれるご予定なのかしら」

「ええと、一緒に楽しむというよりは、お世話になっている方に日頃の感謝の気持ちをこめて贈ろうかなと思っています」

「まあ、素敵。では、わたくしも感謝の気持ちを贈りましょうか。いらっしゃいな」 

 

 彰鈴シャオリン妃はお姉さんな温度感で微笑み、真珠の花が枝先でぷらぷら揺れるような装飾の花釵かんざしを紺紺の髪に挿してくれた。

 真珠の花釵は、ちょっと懐かしい感じがする。そういえば公主だった頃、似たような花釵を母の手で髪に挿してもらったことがあった。懐かしい。


「魔除けにもなる花釵かんざしを贈るのは好意の証ですの。真珠は白家を象徴する宝石ですから、あなたがわたくしの庇護下にいる大切な子だという周囲への表明になりますわね」

「ありがとうございます。大切にします」

  

 情の厚い妃だ。

 紺紺はもったいない言葉にかしこまりつつ、完成した茶杯を抱えて珠簾の外に出た。


「わたくしのお家は、あまり穏やかなお家ではありませんでしたの。お兄様がとにかく変で……ねえ、お聞きになりました? お兄様ったら、天仙だなんて嘘をついたみたい……微妙に真実味があるのがいやですわ……本当なのかしら」


 彰鈴妃は現実逃避するように視線を演舞台に向けた。


「平穏が一番。お兄様のことは考えないのが一番ですわ。でもあのお兄様ときたら、わたくしが考えないようにしようとしても目立って話題になるものですから……あっ、鳥がいっぱい……」

 

 演舞台では皇帝の九術師が入れ替わり立ち代わり術芸を披露している。

 

 半分くらいは、見かけ騙しの手品みたいなものだ。

 一番派手なのは宝石商人の術で、無数の鳥を自由自在に操り、輪くぐりをさせたりしている。

 本人の外見も目立つ。

 長い白髪を結わえずに垂らし、目元を布で隠していていて謎めいた雰囲気なので、彰鈴シャオリン妃は珠簾の内側から興味津々の視線を注いでいる。


「傾城様はまだみたいね。やっぱり、真打ち登場! みたいに最後を飾るのかしら……まあ、出ていらしたわ! やだ、お兄様が一緒じゃない……」

 

 ワァッと歓声があがって見てみると、先見の公子が狐のお面をかぶった『傾城』を両腕で抱き上げている。

 「その時間、私は舞台にいるのが難しそうなのですが」と相談した結果、用意してくれた偽者だ。普段からお面をつけていたのが役に立った。


 抱き上げられた傾城がいかにも何かしますよ、という雰囲気で両手を空に掲げる。

 紺紺はその動作にあわせて狐火を放った。

 

「わあああああぁっ」


 いかにも傾城が出しました、という雰囲気で、二人の周囲に狐火が燃え上がる。

 狐火はふわっと天に昇って行き、高い場所でぱあっと花の形にひらいて咲く。

 ――花火だ。

 

 観客の視線が天に注がれて、拍手が湧きあがる。盛り上がっている……。


「待って。お兄様は何もしていないじゃない? さぼっていますわよ!」


 彰鈴妃が真実を指摘している。なんだかんだ言って、さすが妹、よく見ているなぁ。


 紺紺は感心しつつ、皿を尚食局の宮女に渡して自分用の席についた。

 新鮮な魚の切り身や季節の野菜が入ったスープに、煮込み豚肉と干し貝柱、甘辛の海老炒めといった料理が侍女団の昼食として許されていて、どれもとても美味しい。


「えへへ。私が作った茶杯、かわいいなあ」


 茶杯を卓上に置いて鑑賞しながら昼食をいただいていて、紺紺は沐沐に差し入れをもらっていたことを思い出して箱を出した。 

 差し入れの箱をあけると、桃饅頭があった。

 そして、桃饅頭をもちあげると、その下に紙があった。


「ん?」


 そこに書いてあった文字を見て、紺紺は目を見開いた。


『傾城へ。萌萌モンモン雨春ユイシュン小蘭シャオラン、三人の宮女の命が惜しければ、この手紙のことは誰にも言わず、指定する場所にひとりで来なさい』


「えっ……」

  

 これは、お友だち三人を攫った犯人からの呼び出しだ。

 しかも、紺紺が傾城だと知っている。素性を知っている者の犯行ということになる。


 と、見ていたら、視界の隅でチカッと何かが光るのが見えた。「なんだろう?」と視線をずらして、紺紺は目を疑った。


「あっ……?」


 反対側の観覧席……貴賓席の後方にある、木の上だ。

 

 そこに、覆面の男が潜んでいる。

 矢をつがえている。腕を引き、限界まで弓のつるを引き絞り、射ろうとしている。

 暗殺者だ。

 でも、みんな華やかな演舞台に気を取られて、気付いてない。

 こんな時のための警備なのに、警備の人員は予定していたより少ないように見えた。

 理由はすぐにわかった。

 先ほどの東宮の毒殺未遂で、人手がそちらに持って行かれているからだ。

 

 矢じりは、彰鈴妃の珠簾を狙っているように見える。このままだと……。


「……だめ!」

 

 紺紺は反射的に近くにあったものを投げた。

 覆面の官吏が矢を放ったのは、ほぼ同時だった。


 空中をひゅんっと矢が翔ける。

 放物線を描いて飛んだ茶杯は、幸運にも矢の軌道上に絶妙なタイミングで飛び込んだ。



 ――パリンッ!

 

 放り投げた茶杯は空中で矢と衝突し、パリンと割れて、矢ともどもに地に落ちた。


「キャッ、何⁉︎」

「矢ですわ!」

「キャーーーッ!」


 周囲は騒然となった。


 演舞は一度中断され、すぐに暗殺者が取り押さえられた。


「神聖な式典が汚された……」

「皇帝陛下のご威光に傷が……」


 動揺している場内に、紺紺の耳にはわざと不安を煽ったり、皇帝への不信を囁く者たちがいるのがわかった。


 仕組まれているんだ。

 なんとかしないと……、でも、今は「茶杯を投げたのはお前か?」と事情聴取されていて、動けそうにない。


 紺紺が茶杯の破片をかき集めて「咄嗟に手が動いたんですぅ」と言い繕っていると、皇帝の声が響いた。のんびりしていて、騒ぐ皆を笑うような、イタズラでも仕掛けたような口調で。


「落ち着くがよい。これも余興のうちであるぞ」


 めええ、と羊が鳴き声を上げる。めえこだ。

 場違いに緊張感をそぐ鳴き声と威風堂々とした皇帝に、注目が集まる。


「主上、何をなさって……?」


 官吏が驚いた様子で問いかけたのは、皇帝が短刀で羊のめえこの毛をざっくりと刈ったからだ。


「毛刈りである。このめえこは、実は天から遣わされた瑞獣……獬豸カイチである。ちなみに、最近後宮で噂になっていた妖狐も天からの遣いで、我々がちゃんと善政を敷いているか監督していた九尾の狐であった」


 瑞獣とは、瑞兆として姿を現すとされる何らかの特異な特徴を持つ動物のことだ。

 獬豸カイチは、人の善悪を理解し、悪人を角で突く一角の羊である。

 九尾の狐は、善良な王を守ってくれるが、徳のない君主の場合は、革命を促す凶獣と言われている。


 紺紺にはわかった。これは、皇帝による「場をおさめるための作り話」だ。


「朕は獬豸カイチの毛刈りを許されるほど懐かれておる。九尾の狐も過保護にて、後宮にやってきて妃になりすまして朕を守ろうとしていたのだが、度を越していたので遠慮したのだな……だが、狐も遠くから朕を見守っていてくれているぞ」


 皇帝はそう言って羊のめえこを珠簾の向こうに隠した。

 たぶん、「角がありませんが?」とつっこみされるのを避けたのだろう。


「さて、ただいまの騒ぎは、当然ながら朕の想定通りの騒ぎである。朕が手配した演出なのだ! 遠方より矢を放ち、それを茶杯で迎え打つ――見事であろう? 我が国は侍女の末端ですら、このように主君を守る技を身につけているのだと、他国の客人に披露してみたのだ! わっはっは!」

 

 全部嘘だ、と紺紺にはわかる。

 皇帝は、「問題なんて何も起きてない!」ということにしたいらしい。


 朕の式典は順調だもん、絶対にこの式典を「失敗」とは言わせないもん――そんな意図が透けてみえる。透け透けのすけこさんだ。


 しかし、「そんなのは言い訳だ、作り話だ」と思っても、至高の皇帝の言明に異論を唱えられる者は早々いない。


「さあ! 式典を続けようではないか!」

 

 皇帝の声は、「何が何でもこの式典を最後までやり通す!」という強い意志に満ちていた。

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