47、大好きな、お母様
霞幽は真実を教えてくれた。
一度目の人生は世の中が大変なことになってしまったのだ、と。
新王朝派は妖狐に滅ぼされ、妖狐は紫玉公主に倒され、紫玉公主は紫玄皇子に呪われ。
霞幽は人間でなくなり、二度目の人生で未来を変えた……というお話だった。
一部始終を語ってもらってから、紺紺は言葉を探した。
「……」
紫玉公主とは自分のことだが、一度目の人生の記憶がない紺紺には、他人事のように思われた。
一回だけそれらしき悪夢を見たことがあるといえばあるが、あれだけで「今聞いた一度目の人生の紫玉公主は、まさに私。ああっ、辛い人生だった!」とは、思ったりはしない。
どちらかといえば、「一度目の人生の私って、そういう人だったんだぁ……」的な、見知らぬ他人の話を聞く感覚に近かった。
紺紺に記憶がないように、霞幽は感情がないという。
だから、幸せにすると誓った紫玉公主を殺すという発想も「殺すのもありでは」と本気で検討できるのだ――紺紺は納得した。
あと、間違いなく霞幽は夫婦の情なども失わっていると思うが、「一度目の人生では夫婦だったの? びっくり!」という衝撃はあった。
感じたこと、思ったことがたくさんある。ありすぎて頭の中で感情の暴風雨みたいになっている。この荒れ狂ってごちゃごちゃした感情を「大変だったんですね」みたいな一言で済ませることはできない……!
……ちなみに、夫婦ってどんな感じなんだろう。
好きだったのかな……?
「紺紺さん。今、『話が長いな』って思っているのかな?」
「『大変だったんだなぁ、好きだったのかな?』って思ってたんです」
「大変だったし、好きだったと思うよ」
「!」
好きだったって!
「わああぁぁっ」
謎の高揚感と頬の紅潮を持て余していると、霞幽は「君くらいの年頃の子は、国家の存亡より恋愛の方が一大事か」と天文を読むような冷静さで呟いた。
「むっ、その反応……ひとりで興奮してるみたいで恥ずかしくなってきました」
「紺紺さん、私は記憶はあっても感情がないのだ。君も記憶がないだろう。他人事と変わらないよ。深呼吸して」
霞幽は「話を聞いてくれてありがとう」と無表情に礼を告げ、後宮の地図を広げた。さ、冷めてる。
「過去を踏まえて、これからの話をしよう」
声は淡々としていた。
じっと見つめていると「地図を見なさい」と促された。冷たい。
「君は紫玉公主とは違う。私も、一度目の人生の自分とは違う。この国も隣国も、もはや一度目とは別ものなのだ。……順調ではないか?」
紺紺は頷いた。
霞幽という青年は、ひとりでずっと頑張ってきたのだ。そして、それは実を結ぼうとしている。
「さて、紺紺さん。妖狐をどうするか、改めて考えようじゃないか……何をしているんだい?」
青年の頭に手を伸ばそうとしていると、
「がんばったんですね、って労いをして差し上げようかと思いまして」
「まさか君、一度目の人生の紫玉公主みたいにご主人様気取りで私の頭を撫でるつもりだったのかい」
「いえ、どちらかといえば、内助の功みたいな方向性で……」
「今の君と私は夫婦ではないが?」
霞幽がそっと
あれ? 警戒されてる?
「ご主人様気取りのつもりではなかったのですが、親愛の表明みたいな感じで……私は頑張ったときに撫でてもらうと嬉しい方なので」
言い訳すると、霞幽は「わかった」と言い、逆に紺紺の頭に手を置いて撫でた。
「紺紺さん」
「なんでしょうか、霞ふにゅっ」
油断していると、頬がふにっと揉まれる。
「やはり、私のことは先見の公子と呼びなさい。なんとなく名前呼びの関係を許すと危険な気がしたので」
「そ、そんな!」
* * *
夜。後宮に潜む妖狐は、
御花園には、龍穴がある。
龍脈が集まり地表に大地の気が吹き出す場所――龍穴は、妖狐に活力をくれる。心を癒し、落ち着かせてくれる。
ゆえに、妖狐は御花園によく忍び込んでいた。
先日の毒殺未遂事件により、妖狐は自分の復讐すべき相手をはっきりと狙い定めた。
『黒貴妃』
妖狐に狙われると確信した黒家は、妃に護衛をつけていた。
皇帝の九術師のひとり、水鏡老師だ。
数日前の夜、龍穴に呪具を埋める老師を見た妖狐は唖然とした。
水鏡老師が、諸葛老師――見覚えがある地仙だったからだ。
『妖狐め。龍穴から大地の気をもらい、わしの守りを破り、
妖狐に気付いた諸葛老師は、そう言って龍穴に近付くのを邪魔した。
しかし、どうやら今夜はいないようだ。妖狐は安心し、そろりそろりと龍穴に近付いた。
妖狐は、名を
大昔は天界の
西王母はある時、
『地上に生きる人間たちは、よく笑い、よく助け合っている。
けれど、よく悲しみ、よく罵り合ってもいる。
感謝や喜びの祈りよりも、不満や悲しみの祈りの方が多く捧げられている。
彼らは、そのままでよいのだろうか。
つくりなおしたほうが、他の生き物や、彼ら自身のためになるのではないだろうか。
地上に降りて、人の心をその身をもって測ってまいれ。
そなたは最初、汚れなき
人と交わるうち、人間のようになっていく。
人間の心が冷たく攻撃的であるほど、そなたの心は暴虐に染められていくであろう。
人間の心が温かく優しいほど、そなたの心は慈愛に満ちていくであろう。
そなたの心が暴虐に傾き切った時、人間たちは己自身の醜さによって滅ぼされることだろう』
ああ――自分は、人間という生き物が存続するか絶滅するかを決める試験薬なのだ。
妖狐は、人間を憎む心と愛する心の狭間で苦しんだ。苦しむ心によみがえるのは、「人間が自分に何をしたか」という恨めしい記憶ばかりだ。
『あなたがずっと欲しかった』
十年前、
『御子を産む前に毒殺したかったが、間に合わず妃は出産してしまった。それも男児だ。急いで殺さねばならないし、寵愛も奪って地位を確立せねばならない』
私欲に塗れ、出産直後の母子暗殺を企む他国の
『先王は妖狐に誘惑され、堕落した
与えられた情報を鵜呑みにし、先王を批難する民衆……。
恨めしい。腹立たしい。
心の中には、嫌悪感があった。失望があった。悲嘆があった。憎悪があった。正義感も燃えている。
暴虐に心が傾いていく。鎮めなければ――善性、理性が心を制御して、ゆっくりと深く呼吸する。
龍穴から吹きだす清浄な気が全身を巡り、少しずつ人のもたらす毒を清めていく。
――心地よい。安心する。生き返るようだ。
ほっとひと息ついた時、妖狐は人の気配に気づいた。
諸葛老師ではない様子で安心したが、人がいないと思って油断した。姿を見られては、大騒ぎになってしまう。
逃げようとする足が、呼びかけの一言で止まる。
真冬に綺麗な冷水を浴びて煌めく水晶のような。
あるいは、人通りの多い街道の隅で誰にも気づかれずに微風に揺れる、つぼみから咲きひらいたばかりの小さな白花のような。
純真で、汚してはならない、壊れやすい宝物――そう思わせてくれる、可憐でいたいけな声だった。
「大好きな、お母様」
「……!」
妖狐は目を見開いた。
そこには、十年前に自分が突き放して白家に預けた愛娘、『
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