7、わっしょい、わっしょい(2)

 隣に猫が座っている。雪のような白い猫だった。


「隣、お邪魔します」

「紺紺さん、いらっしゃい」

 

 呟くと、猫は首をかしげて紺紺コンコンを見上げた。

 可愛い。

 ところで今、聞いたことのない青年の声がしたような。

 

「? ? ? ?」

  

 紺紺は周囲を確認した。猫しかいない。


「気のせいかな」

 

 耳がいいから、遠くの会話が聞こえたのかもしれない。「新婚さん、いらっしゃい」と言ってたのかも。


 紺紺は気を取り直し、お面を外して焼きとうきびを齧った。甘じょっぱいタレが美味しい。

 もぐもぐしていると、隣にいた猫が前足をちょこんと膝にのせてくる。

 焼きとうきびが欲しいのかな? と見ていると。


「紺紺さん。刺激的な情報を教えてあげよう。実は、この会場は彼らの決着と同時に炎上するんだ」

「ぶはっ、ごほっ、ごほっ」


 猫が喋った! 

 紺紺は青年声の正体に気付いてせた。

 

「おや。大丈夫かい」

「ね、ね、猫が」

「都会の猫は喋るんだ。……というのは冗談で、私のことは式神のようなものだと思ってくれたらいいよ」


 猫はおっとりしていた。

 でも、その話は、全然安心できない内容だった。

 

「この会場には、仕掛けが施されているよ。腕相撲をする方卓つくえの裏には陰陽太極図いんようたいきょくずが描かれていて、四方の床下には四卦よんけを描いた符紙ふしが埋められているんだ」


 陰陽太極図いんようたいきょくずとは、黒と白のまざりあう円を描いたもの。四卦よんけとは、天地火風をあらわす線を描いたもの。 

 簡単に言えば、円の周りに四卦よんけを配置して土俵の上を「自然な状態よりも燃えやすくなる」ように仕掛けている、というのである。


「誰がそんな仕掛けをしたの? 危ない」

「世の中には、悪党がたくさんいるのでね。……あそこに射手がいるだろう。認識阻害の術をかけられているので、誰も気にしていないが」


 猫は余裕のある口調で言って、視線を観客席に向ける。


 視線の先には、矢を持っている覆面の男がいた。

 言われて見れば、とてもあやしい。周囲の人や警備兵が不審がらないのもおかしい。


「あの覆面射手が、火矢を撃つ。矢は、石苞さんの近くにある樽に命中する。樽の中には油が入っていて、引火して燃え上がる……」

「わあ……大変!」


 勝負を中止させた方がいいのでは? と思って腰を浮かした紺紺の耳に、観客のお爺ちゃんのわくわく声が聞こえた。


「わしも若い頃はのう、婆ちゃんにいいところ見せたくてのう。勝ったら告白しようと思ったんじゃが、負けてのう。筋肉を鍛えて翌年また戦ってのう。また負けてのう。また翌年……」

 

 負けてばっかり。でも婆ちゃんと結ばれたってことは最後は勝ったんだろうか。

 気になる。

 だが、お爺ちゃんは「わしの話はいいか。余計なことじゃったな」と話すのをやめてしまった。

 

「最近は熱病も流行っているし、婆ちゃんの元に逝く日も近い気がするんじゃあ。こうして思い出の大会を鑑賞するのも、今年が最期かもしれんのう」


 とても切ないことを言っている! 

 中止しにくい!


 背に汗をかいていると、勝負は始まってしまった。

 

「さあ~~それでは勝負開始しますよ、いいですかぁ。勝負開始!」


 司会役の合図で、石苞とちんおじさんが「ふんぬ!」「ぬんっ!」と腕に力をこめる。互いに腕力を競い合い、相手の腕を倒したら勝ちだ。


「ぬおおおおおお」

 

 筋肉が力こぶとなって盛り上がり。

 汗が額から滴り落ち。


「ぬぐううううううう!」


 押し合い、へし合い、手に汗握る激闘!


「わあああああああ‼」

 

 会場は熱気に包まれている。


 「この熱さが好きなんじゃあ!」と泣き笑いみたいな顔で喜んでいるお爺ちゃんがいる。

 守りたい、あの笑顔――そう思わせてくれるいい笑顔だ。


「ぬぐぐぐ……うーん、しまった。爺さんの話の続きが気になっていまいち集中できない。ひっく」

 

 石苞は押されていた。あと、絶対酔っぱらってる。頼りになりそうにない。頑張って石苞。もっと集中して。

 そして、熱狂の土俵へと覆面射手が矢を向けている~~‼


「みんなを守らなきゃ!」


 と、紺紺が拳を握ると、猫はもふもふの前足でポンポンと拳を叩いた。肉球がふにっとしてる。


「紺紺さんは良い子に育ったねえ。ハオリーハイすばらしい


 褒めてくれている。でも、落ち着きすぎな感じがする。


「猫さん、のんびりしてる場合じゃないと思う。会場が火の海になって、みんなが火傷したり死んじゃったりするかもしれないんだよ」

「そうなったら、そういう運命だったんだと思うのがいいんじゃないかな」


 猫は天からお忍びでふらりとやってきた仙人なのだろうか、と思ってしまうような、浮世離れした雰囲気だ。

 「もしも現場が火の海になって大勢が死んでもあまり気にしないよ。たいしたことないよ」という温度感。


「でも、あなたは私に情報を教えてくれたよ。それは、運命を変えるためじゃないの?」

「そうかもしれない」


 自分でもよくわからない、というような、不思議な言い方。

 まるで、ずっと道に迷っている迷子みたい。


「猫さん、教えてくれてありがとうね。私がなんとかするから見てて」

 

 紺紺は食べ終えたとうきびの芯をぎゅっと握った。

 手がべたべたするけど、そんなことを気にしている場合じゃない。

 

 この芯を使って、会場を守るんだ。



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