第59話 奇襲
劉備は長安城を包囲せず、南側に兵力を集中させた。
寡少な兵力で包囲しても、簡単に突破されるので、無意味である。
攻撃側が防御側よりも兵力が少ないという珍しい籠城戦が始まった。
魏延は南側城壁に向かって二十台の投石車をずらりと並べ、巨石を次々と投じた。
石が城壁にぶつかり、すさまじい音を響かせる。
的が大きいので、百発百中。
頑丈な城壁は簡単には壊れないが、ひび割れは生じた。
「投石車なら、こちらにもある」と曹操は言った。
彼はかつて袁紹と争った官渡の戦いで、投石車を用いたことがある。
曹操は投石車を城壁の上に乗せて、投石合戦をした。
魏延は車を分散させた。
彼は馬鹿でかい城壁にぶつければよく、曹操は車に石を命中させなくてはならない。
曹操の分が悪かった。
「誰か突撃し、敵の投石車を破壊せよ」
曹操が諸将の前で言うと、漢中郡で負けた張郃が手を挙げた。
「私に名誉挽回の機会をください」
「よかろう。二万の兵を率いて、敵の車を壊せ。敵主力とは戦わなくてよい。もし劉備が前線に出てくるようなら、城から全軍を突撃させる」
張郃は南門から出撃し、投石車に接近した。
彼の前に立ちふさがったのは、馬忠が指揮する連弩隊であった。
小型連弩は射程距離は短いが、矢を十連発できる新兵器である。連弩隊は一万人いて、理論上は十万の兵と戦える。
馬忠隊とぶつかった張郃隊はばたばたと倒れていった。
城壁の上からそのようすを見ていた曹操は色を失った。
「なにが起こっているのだ?」
「敵軍が矢を連発しているように見えます……」
魏王の隣にいた賈詡も唖然としていた。
張郃隊は全滅に近い損害をこうむった。指揮官は戦死し、還ってこなかった。
「私はなにと戦っているのだ? かつての劉備軍ではない……」
曹操は赤壁の悪夢を思い出した。
彼は大軍を有していながら、消極的になり、打って出ようとはしなくなった。
劉備軍は投石をつづけた。
城壁を完全に破壊するには、数か月かかりそうだった。
劉備は城を遠望しながら、軍師に話しかけた。
「魏延、このままでは、睨み合いがつづくばかりだが……」
「城を強引に攻めるほどの兵力はありません。秘策が成功するのを待ちましょう」
「趙雲、頼むぞ……」と劉備はつぶやいた。
他の戦線も停滞していた。
関羽は兵力を増した襄陽城を攻めあぐね、城を陥落させることができなかった。
孫権も合肥城を落とせず、前進できなかった。
大兵力同士が睨み合って均衡し、動きが取れない。
趙雲率いる一万の騎兵隊が動いたのは、そんなときだった。
217年夏、趙雲は戦力の空白地帯を縫うようにして進軍し、皇帝がいる中国の首都、許を奇襲した。
許都は荊州南陽郡の隣、豫州潁川郡にある。
さすがの魏の兵力も三戦線に出て払底し、許都の守備は空同然になっていた。
趙雲軍は許都を占領した。
関羽は軍を半分に分けて、襄陽城の包囲を黄忠に任せ、自らは許都へ赴き、占領を盤石のものにした。
関羽は献帝に拝謁した。
「皇帝陛下、われらは陛下を害する者ではありません。漢に忠誠を誓う者です。私は劉備の臣、関羽と申します」
「そなたには会ったことがある。劉皇叔の義弟であろう、美髭公よ」
「憶えていてくださったのですね。光栄です」
「朕は皇叔やそなたを忘れたことはない」
献帝は長い間、関羽を見つめていた。
そして、決然とした声で言った。
「もう傀儡ではいたくない。曹操を討て!」
事態を曹操に報告したのは、許都から脱出した司馬懿だった。曹操の参謀のひとり。
「魏王殿下、許都は関羽に奪われました」
「なんだと? 襄陽城は落ちたのか?」
「城は保っております。許は趙雲の騎兵隊に急襲されたのです。守備兵力は少なく、抗することはできませんでした。その後、関羽がやってきました」
「なんということだ。献帝陛下は……」
「いまごろは関羽とお会いされていることでしょう」
「皇帝が敵の手に落ちた……」
曹操は愕然とした。
「劉備と関羽をすみやかに討ち果たし、皇帝陛下を奪い返さなくては、われらが逆賊になってしまいます」
「だが、わが軍は劉備の面妖な兵器に悩まされているのだ」
曹操は司馬懿に、連弩によって張郃隊が全滅させられたことを説明した。
「矢を連射する兵器……それが一万ほども?」
司馬懿は考え込んだ。
「盾兵を三万揃えてはいかがでしょうか。盾で連射弓兵を抑え込み、対決するのです」
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