第22話 関羽の葛藤

「おれは曹操を裏切った形になった。おれとしては徐州を取り返しただけなんだが、あいつはそうは思ってくれないだろう。必ず戦いになる」

 劉備は下邳城の一室に幕僚を集めて言った。

 彼のこのときの幕僚とは、関羽、張飛、簡雍、麋竺、糜芳、孫乾である。

 武将や文官がいるだけで、軍師と呼べるような人はいない。

 曹操の配下には、荀彧、荀攸、郭嘉、程昱、賈詡といった知謀の士が揃っている。

 悲しい現実であった。


「どう戦えばいいかなあ。誰か助言してくれよ」

「曹操の最大の敵は、袁紹です。彼と同盟を結べば、曹操に対抗できるのではないでしょうか」

 そう言ったのは、孫乾だった。もっともだ、と劉備は思った。

「孫乾、冀州へ行ってくれ。袁紹殿と交渉し、同盟を締結しよう。対曹操連合軍をつくるんだ」

「承知しました」


「あとはどうする? 同盟が整う前に曹操が攻めてくるかもしれん」

「正々堂々と戦うのみです」と関羽が言った。

「そうだな。ちっとばかり心もとないが……」

 曹操は司隷、豫州、兗州の三州を有する大勢力。華北四州を版図とする袁紹に次ぐ大物である。徐州兵だけでは、勝算は乏しい。

「関羽、張飛、兵を鍛えておいてくれ」

「任せてください!」

 張飛は張り切っていた。劉備が一州の主に返り咲いたことが、うれしくてならない。


 軍議が終わると、張飛は早速練兵に取りかかった。

 彼の訓練はきびしい。体力のない兵が死ぬこともある。

 訓練で死ぬような兵は、戦争では真っ先に殺されるのだ、と張飛は考えていた。きびしい訓練を課すことが、強い軍隊をつくり、結局は死傷者を減らすことになる。それが彼の信念だった。


「曹操は北方の袁紹を怖れているはずだ。そう簡単に徐州には出兵できない」

 劉備はそう期待していた。

 だが、曹操は鬱憤を晴らすように徐州各地を荒らしながら、五万の兵を連れて南下してきた。

 大虐殺というほどではないが、人殺しや放火をしている。

「くそっ、曹操め。徐州がそんなに憎いのか」


 劉備は二万五千の兵を率いて出撃した。

 関羽に五千の兵を預け、下邳城の守備を任せた。

 城には劉備の妻がいる。この頃、麋夫人の他に甘夫人がいた。

 甘夫人は小沛で知り合った清楚な女性で、貧しく、筵売りをしていた。

 劉備は少年時代を思い出して、彼女の境遇に激しく同情し、求婚した。


 東海郡の原野で、劉備軍と曹操軍は激突した。

 先鋒は張飛。敵の先鋒を指揮しているのは、猛将許褚だった。

 張飛と許褚は互角。

 先鋒が揉みあっているうちに、曹操率いる中軍が押し寄せてきた。大軍である。

 張飛隊は崩された。その後方にいた劉備の中軍も、曹仁、夏侯淵、楽進らの波状攻撃にさらされて、壊乱した。

 劉備は大敗した。軍はちりぢりばらばらになった。彼は単騎で逃げた。

「負けた、負けちまった。やっぱり曹操は強いなあ」

 闇雲に冀州へ向かった。もう袁紹に頼るしか、生き延びる道はない。


 曹操軍はさらに南下し、下邳城を包囲した。

「こちらは五万、城兵は五千。こんな城はすぐに落としてやる」

 曹操は苛烈に城攻めをした。

 たくさんのはしごを城壁にかけて、総攻撃をした。

 しかし、関羽が守る城は堅固で、なかなか陥落しなかった。

 彼は鬼神のごとく戦った。関羽の矢は百発百中で、徐州兵の士気は高かった。彼らは皆、曹操を憎んでいた。


 強引な攻城をやめて、曹操は兵糧攻めを行った。

 城内には食糧のたくわえは少なく、三か月で飢えが襲ってきた。

 城兵はネズミや虫を食べた。やがてそれもいなくなった。


「関羽、降伏せよ」と曹操は城外から呼びかけた。

「降伏などしない。私はとうに死ぬ覚悟ができている。全軍死ぬまで戦うつもりだ」

 関羽は城壁の上から大音声で答えた。

「貴公や兵は死んでもよかろうが、劉備殿の家族が死んでもいいのか。そなたは劉備殿から、家族を守るよう託されたのではないのか」

「それを言われるとつらいが、武運である。もはや玉砕あるのみ」

「関羽、軽々しく玉砕などと言うな。私はそなたを買っている。そなたも劉備殿の妻も、無下にはせぬ。城兵の命も取らぬ。降伏しろ。それも勇気ある選択ではないのか」

 曹操は切々と降伏勧告をした。

 関羽は迷った。

 自分など死んでもいいが、麋夫人と甘夫人は助けたい。できれば兵の命も救いたい。


「主の夫人たちを大切にしてくれるか、曹操殿?」

「おう、約束しよう」

「私はあなたの家来にはならない。いつか主のもとへ帰るつもりだ。それでもよいか?」

「かまわない。そなたを客として許都に迎えよう」と曹操は答えた。

 抜群に強く、忠義心の篤い関羽を臣下にしたい、と本心では思っている。

 許都で厚遇し、じっくりと部下にすればよかろう……。

「それならば開城しましょう」

 ついに関羽は降伏した。


 曹操は関羽を縄で縛ったりはしなかった。

 それどころか馬を並べて親しく話をしながら、許都へ凱旋した。

 関羽を配下にするための曹操の作戦は、すでに始まっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る