第1話 婚約破棄を問い詰められています

「で、殿下。どうしてここに……!?」


 驚く私の腕を掴み、壁際に私を追いやった。

 私を囲い込むようにして殿下の腕が壁にくっつき、そして殿下と私の顔がどんどん近くなっていく。


「私がそう簡単に君を逃がすと思うかい?」


 殿下、目が笑っていませんが……。

 私の顎にその細く長い指を当ててくいっと持ち上げると、吐息がかかるほどの距離で私に囁いた。


「婚約破棄をしようなんて、私は許さないよ」

「へ……?」


 殿下はコートのポケットから手紙を取り出し、私の目の前でひらひらとして見せた。

 それは今朝方に確かに私が殿下にあてて書いた手紙だった。


「まあ、ここで言うのもなんだし、続きは部屋で聞こうか」

「え?」


 そう言って殿下は手紙の後ろに隠してあった切符をちらりと見せて笑った。

 まるで手品のような美しい手さばきに見惚れてしまった。

 殿下に誘われるまま列車の個室へと向かって歩く。


「で、殿下、その……」

「大丈夫だよ。アリスと同室の部屋を取ったから」

「え!?」


 豪華列車の部屋はグレードによって分かれている。

 一等車両は個室で家族でも入れるような大きな一区画がまるごと一室となっている。

 私が取った部屋は二等車両で半相部屋になっており、ベッド部分のみが鍵つきの完全プライベート空間となっていた。

 ベッドから降りた座席の部分は向かい合わせのソファがあり、生活に必要なものは車両の共同スペースある。


「で、でも! 女性しか取れないはずじゃ……」


 安全面を考慮して女性は同じ女性と同室になるようになっている。

 どうして殿下が私と同じ部屋を取れたのだろうか。


「変装してきた。帽子を深くかぶってね、それで口紅を塗ってサングラスをかけて」

「まさか、名前も偽名で……?」


 殿下は私の言葉に「正解」というように微笑んだ。


 そんな話をしたら、予約した部屋に着いた。


「207号室……」


 私は自分の切符に刻印された部屋番号と照らし合わせて間違いないことを確認した。

 スライド式のドアを開けると、そこには大きな窓がある。


「わあ! 綺麗~!!」


 こんなにも早く動くんだ、という感動に胸がわくわくしてくる。

 景色がどんどん移り変わっていき、王都の街の建物がたくさん見えた。


「殿下っ! 列車ってこんなにも早いのですね!」


 私は興奮して嬉しそうな声をあげてしまった。

 そんな様子を見て殿下は優しそうに見守りながら告げる。


「ふふ、君は相変わらず好奇心旺盛だね」

「す、すみません……つい……」

「いや、可愛いよ。そんなアリスが私は好きだからね」

「で、殿下……」


 不意の殿下の甘い言葉に、私は目を逸らしてしまう。

 私はごまかすように話題を変えた。


「そうです、殿下! なぜここに!?」


 その言葉に場の空気が一変した。

 何かまずいことをいってしまっただろうかと私はびくりとしてしまう。

 すると、殿下がゆっくりと口を開いた。


「アリスは私が嫌いになったのかい?」

「へ?」

「婚約破棄なんて、一体どうしてそんなことをしようと思ったんだい?」


 列車に乗り込んだときに詰め寄られたときと同じで、殿下の目は笑っていない。

 明らかに怒っていると思ったが、私はなぜ自分が婚約破棄と責められているのかわからなかった。


「で、殿下。あの……私は婚約破棄をした覚えはないのですが……」

「は……?」

「あのー私の手紙を読んでくださって、それで婚約破棄のお話になったのですか?」

「ああ」

「あのー誰と誰が婚約破棄を?」

「アリスと私だが」


 どうやら婚約破棄は間違いなく殿下と私の婚約のことらしい。

 ああ、もしかして、殿下との結婚式をもうすぐに控えた子爵令嬢ごときが殿下に「待っていてほしい」ということ自体も処罰ものかもしれない。


「もしや私は殿下への不敬罪で婚約破棄されることに決まりましたでしょうか?」

「私が君を婚約破棄する? そんなことあるわけないだろう」


 私が婚約破棄されるのでもないらしい。

 私は思い切って殿下に尋ねてみる。


「もしかして、殿下は私が婚約破棄したと思ったのですか?」

「ああ、そうだが。違うのか」

「殿下、なぜそう思われたのです?」


 どこをどう読んだかはわからないが、私が殿下に婚約破棄を言い渡したように思ったらしい。

 そんなことを私からしようものなら、私はこの国で生きていけないだろう……。


 私は一つ息を吐くと、殿下の手に自らの手を重ねた。


「殿下、私があなたから離れることはありません。私は手紙に書いた通り、母の死の真相と父の治療薬の手がかりを探したいのです」

「アリス……」

「結婚式には戻ります。だから待っていてほしい、と……申し出をさせていただいたのですが」


 殿下は言い澱んだ私の頬に手を添えて、自らと視線が合うように私の顔を向けた。


「ふふ、残念だ。私は勘違いで君についてきてしまったようだ」


 彼は本当に勘違いで来たのだろうか。

 そう思っていると、ふとテーブルの上にあるメッセージカードを見つけた。



『この度はクルーズトレイン クレセント号にご乗車くださりありがとうございます。

 本列車はトワネット国~エルランド国を旅する列車です。

 最初の到着駅はセラード国 バラージュ街になります』



 セラード国──。


 お母様が地図に印をつけていた場所だ。


「これがミレーヌ様の手帳か?」

「はい。ここに印がついています」


 殿下は地図上にある線路をなぞると、じっと見つめている。


「殿下?」

「この印の街に王族御用達の宝飾店がある。しかも、それは魔術師が店主の店だ」

「え!?」


 魔術師ってことは魔女のお母様の手がかりを何か知っているかもしれない。


「確か、名前はイルゼといったはずだ」

「イルゼ、さん……」


 聞いたことのない名前だった。

 殿下はソファに腰かけると、足を組んで考え込んだ。


 そうして顔をあげると、私にこう告げた。


「イルゼはミレーヌ様の弟子だったはずだ」


 殿下と話をしているうちにいつの間にか王都を抜けていた──。

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