零日目 最終面接 金原視点



 零日目 最終面接 金原視点



 電話で言われた通りの時間に駅を降り、電話で言われた通りの道順で路地を進むと、電話で言われた通りの雑居ビルがあった。


「ここか」


 その雑居ビルは見るからに古く、ビルの入口にあるテナント紹介を見ると、全部で五階まであるはずなのに一階の中華料理屋と二階の雀荘しか書かれていなかった。


 何も入っていないはずの五階に呼ばれたのはどういうことなのだろう。


 エレベータが無かったため、階段を使って五階へと上った。肺が痛い。日頃の運動不足を痛感する。息切れが治まるまでの間、五階の通路から外の景色を眺めた。


 鉄塔、電柱、電車、車、家家家、雑居ビル。


 コメントのしようがないつまらない風景だ。


 息切れが治まったので、電話で言われた通りに一番奥の扉へと向かい、呼び鈴を鳴らした。


『はい』


 女性の声だった。若そうな声に聞こえたが、中年かもしれない。自信はない。


「あの、バイトの件で」


『中へどうぞ』


 話の最中にドアのロックとチェーンロックを外す音が聞こえた。

 此処まで来てから思ったが、アルバイトの概要など嘘っぱちで、反社会的勢力の危ない仕事を任せられるのではないかと今更ながらに不安になった。


 だが、七泊八日で五十万円という破格の仕事を今更引き返すわけにもいかない。


 ミュージシャンになると親の反対を押し切って大学を中退したものの、オーディションに尽く落ち続け、動画配信も目を背けたくなるほどに再生数が伸びず「俺達には無理だわ」とグループは解散。

 就活というものをして来なかったため、どうすれば良いのか分からず、とりあえず目先の金欲しさで始めたアルバイトでどうにか食いつないでいるのが現状だ。


 この歳になるまで理解していなかったのだが、アルバイトで何とか食いつなぐような生活を送っていると、職探しをするような金銭的余裕も時間的余裕も中々取れない。


 現状を打開するには金がいる。そのために働くと現状を打開するための時間が欲しくなる。


 最悪の循環だ。


 とにかく、今の僕は金に困っている。金が欲しい。それも出来るだけ早くまとまった金が。


 日本中に自分のような人間は大勢いるようで、噂ではものすごい数の応募者が集まっていたそうだ。そんな中で、運良くその枠を勝ち取ったのだ。


 もうどうでも良い。人殺しだの強盗でも無ければやってやる。半ばヤケクソ気味な覚悟を胸にドアを開けた。




 部屋の中は至って質素だった。テーブルと椅子、殆ど空っぽの本棚。これなら引っ越しは楽そうだ。


「お待ちしておりました。さぁ、どうぞ。座ってください」


 スーツ姿の女性が椅子に座るよう促した。年齢は、分からない。あまり歳が離れているようには見えないが、纏っている雰囲気はベテランそのものだった。


「はい、どうも。失礼します」


 椅子に座るとギィイと音が鳴った。


「既に熟読されているとは思いますが、もう一度こちらをご覧ください」


 女性は文字がビッシリと書かれた用紙を二枚並べた。


 それは、今回のアルバイトの概要及び注意事項が纏められたものだった。


 正直な話、ちゃんと読んでいない。七泊八日の共同生活実験で、外との連絡が一切取れないということしか読んでいない。


「確認のためにもう一度最初から説明します」


 女性はコホンと咳払いをしてから、指をさしながら説明を始めた。



1.この仕事は、とある研究のために七泊八日の日程で、とある施設で共同生活を送り、その様子をモニタリングするものです。以下、共同生活実験のことを本件と記す。


2.本件中は外部との連絡は一切取れません。例外は一切存在しません。


3.本件に参加した場合、途中で辞退することは出来ません。


4.本件には私物の持ち込みは禁止します。


5.本件中に利用する建物の床、壁、天井、扉、設置されている物の意図的な破壊行為を禁止します。


6.本件中、館内放送があった場合は必ず館内放送に耳を傾け、指示事項があれば必ず従ってください。


7.禁止行為及び我々の指示に従わない場合、貴重な実験を妨害したとして違約金五百万円の支払いを命じます。支払いに応じない、もしくは支払い能力が無い場合はその後について保証することは出来ません。



「何か質問事項はありますか?」


 ちゃんと読んでいなかったこともあり、色々と疑問が湧いてきた。


「共同生活する建物は何処にあるんですか?」


「言えません」


 いきなり出鼻を挫かれた。理由は分からないが、教える気は一ミリも無いということだろう。

 質問を変える他無かった。


「例えば体調不良とかになったらどうするんです? 救急車を呼ぶような体調不良の時は?」


「我々が用意した薬でどうにもならないようでしたら自然回復を待つ他ありません。たとえ救急搬送が必要な場合でも救急車は呼びません」


「え、何で」


「納得いただけないのでしたら、他にも応募者はいるので辞退していただいても構いません」


 あまりにも理不尽なルールであっても「嫌なら辞退しろ」で一蹴する気なのか。


 まぁ、持病があるわけじゃないし、そこまで気になっているわけでもない。


「あぁ、分かりました。大丈夫です」


「そうですか」


 女性は肝が座っているのか感情を失くしているのか淡々と応える。薄気味悪いほどに淡々と。


「私物の持ち込み禁止って、服はどうするの?」


「このあと採寸致します。初日に日数分と予備を含めてお渡しします。また、生活中に足りない物があればその都度提供致します」


「剃刀だとか歯ブラシは? 備え付け?」


「そういったものは備え付けです。例を上げるとキリが無いので割愛しますが、とにかく「アレが欲しい」という要望があれば基本的にご用意致します。ただし、外部との通信が行える物や危険な物は提供出来ません。例えば携帯電話や包丁等ですね」


 それは当然だろう。


 共同生活に頭のおかしい奴がいて、日本刀だの拳銃だの提供されたらたちまちデスゲームの始まりだ。


「まぁ、当たり前といえば当たり前ですけど、床や壁を壊すなというのは?」


「そのままの意味です」


「お皿を落として割っちゃったみたいなのは?」


「皿や衣類のような備品は禁止対象ではありません。ですが、度が過ぎれば我々の方で検討します」


 此処はそこまで気になるわけではない。ただ、確認のために訊いたまでだ。


「館内放送って寝てて聞いてなかったも許されないんですか?」


「館内放送の時はそれなりに大きな音でお知らせしますので、気が付かないということは考えにくいと思います。それでも寝ている人がいれば我々が起こしに行きます」


「ん? 共同生活に貴方もいるのですか?」


「私もおりますし、他の者もおります。食事の準備や清掃、その他雑用は我々にお任せください」


 女性は機械のように感情を感じさせないお辞儀をした。


「はぁ、そうなんですか」


「他に何かご質問は?」


「その建物とやらにはどうやって行くんです? 場所も分からないのに」


「後日、本日のように我々の指定する場所に来ていただきます。後は我々がお連れします。その時は出来るだけ荷物を少なくして来ていただければ大丈夫です。案内はこのあとメール致します」


 まぁ、こんなものだろう。特に聞きたいことが無くなった僕は「他に気になることは特にありません」と答えた。




 その後、採寸を行い、肌着や服の好みを用紙に記入した。ちゃんとは見なかったが、肌着や服の参考画像の中に女性物も混じっていた。

 七泊八日の共同生活などという怪しいアルバイトに女性も来るのだろうか。


「本日は以上でございます。それでは最後になります」


 そう言いながら女性は封筒を何枚か並べた。中の見えないよくある茶封筒。あまりにも薄っぺらいために中身が入っているのかは分からない。


「一つ選んでください」


「はぁ」


 僕は適当に一つ選んだ。


「中をご確認ください」


 言われた通りに封筒の中を確認すると、紙が一枚入っていた。


『金原』とだけ書かれた紙が入っていた。


「何ですかコレ」


「今後、共同生活が終わるまでの間は貴方のことを『金原(きんばら)』様とお呼びします。金原様は共同生活の間は金原と名乗ってください」


「え、僕の名前は」


「金原と名乗ってください」


 女性が僕の言葉を封じるように被せて言った。


「これはプライバシー保護のためとトラブル防止の為の処置です。偽名と思うと気分が悪いかもしれません。あだ名だと思ってください」


「トラブル防止?」


「実験に支障をきたす恐れがあるモノ全てを含めてトラブル防止と呼んでおります」


 まぁ、七泊八日で五十万円だなんて怪しいアルバイトに応募するような人は、僕のようにお金に困っている人が多いのだろう。色々な事情を抱えている人の方が多いはずなのだから、万が一にもそういう事が友人や家族にバレたくないという人がいてもおかしくない。


「はぁ、まぁ、分かりました」


「これで本当に終わりでございます。それではまた」


「はい、よろしくお願いします」


 早く出て行けという強烈なオーラに僕は追い出された。


 面接も兼ねていたのだろうか。

 まぁ、そんなことはどうでも良い。


 今最も重要なのは居酒屋とコンビニのバイトのシフトと共同生活のアルバイトが被らないようにする方法を考えよう。どちらも気軽に休みを増やせるほどの信頼関係は築けていない。

 僕はエレベーターが無いことを思い出し、渋々階段へと向かった。




 一週間後。

 思っていたよりもこの日が来るのは早かった。


 夜の八時という集合するにしては遅い時間に呼び出された僕は、電話で指定された場所に向かった。そこには一台のマイクロバスが停まっていた。横のガラスは全てカーテンが閉められており誰が乗っているのかは分からない。


「金原様。こちらです」


 スーツ姿の女性が話しかけてきたが、一週間前に会った女性ではなかった。


「へ? あ、はい」


 偽名のことをすっかり忘れていた僕は反応が遅れた。


「金原様。足元にお気をつけてバスの中へどうぞ」


「はい、分かりました」


 マイクロバスには運転手しかいなかった。自分が一番乗りなのだろうか。それとも、マイクロバスでの移動は自分だけなのだろうか?


「金原様。こちらの席へ」


 案内されるがままに椅子に座った僕に、女性は錠剤と水の入ったコップを手渡した。


「これをお飲みください」


「え、何ですかコレ」


「睡眠薬です。移動時間がだいぶ長いのと、コレから行く先が何処なのか分からないようにするための処置です。さぁ、お飲みください」


 拒否権が無さそうだったので、僕は勇気を振り絞って錠剤を口に含み、水を一気に流し込んだ。


「それではアイマスクを付けますよ」


 アイマスクはVRゴーグルのような見た目をしていた。留め具が何個もあり、パッと見た限りでは一度着けたら自力で取れないかもしれない。

 女性が慣れた手つきでアイマスクという名のVRゴーグルのようなモノを僕の頭に取り付けた。当然、僕の視界は奪われた。


「それでは耳栓を付けますね。アイマスクも耳栓も私が外しますので、金原様ご自身で外すような事はしないでください。それと、万が一お手洗いに行きたくなっても途中で停車することは出来ません。手を上げていただければ私が責任を持って”処理”致します。それでは背もたれを倒しますね」


 背もたれが良い感じの角度まで倒れた後に鼻と耳元に柔らかい感触が伝わり、耳に何かを入れられた。


 視覚と聴覚を奪われた。だが、鼻先に触れたあの感触はきっと女性の。


 いや、きっと手が当たったのだろう。この状況で変な事を考えて身体の一部が元気になっているのを見られたら恥ずかしい。

 僕は平静を装い、大きく深呼吸をした。


 しばらくすると、エンジンが掛かったような振動とゆっくりとマイクロバスが動き出す感覚があった。


 これから何処へ行くのだろう。


 最初の内は車が止まったり曲がったりするのを感じながらどの辺りにいるのか想像していたが、次第に眠くなってきた。

 そういえば一週間の休みを入れた分、昨日と今日にシフトを詰め込まれたせいで全然休めていなかった。なんなら今日もバイト終わりに荷物を自宅に置いてそのまま来たぐらいだ。


 視覚と聴覚が封じられたこともあり、僕の意識はどんどん薄らいで、ブレーカーが切れたように突然意識を失った。

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