人は見た目で、そうではないと、男が知った色々な現実

木桜春雨

第1話 人は見た目で、そうではないと、男が知った色々な現実

 女はパソコンに向かってキーボードを必死に打っていた、あまり根を詰めてはよくないのだが、集中すると数時間、ぶっ続けでモニターに向かってしまうのはいつものことだ。

 以前はコンタクトを使う事もあったが、パソコン仕事の最中は眼鏡になってしまった。

 昔なら無理だったが、今では眼鏡も店に行けばすぐに作ってもらえる、しかも値段もリーズナブルだ。

 不意にキーボードを打っていた指が止まった。

 お腹、空いたなあ、壁の時計を見ると昼を過ぎている、作るのは面倒だと思い近所のコンビニに出かけた。

 

 ドリンクの棚からコーラを取り、何かお腹を足しになるものをと思ったが、殆どの棚が空だ。

 だが、メロンパンを見つけた、それも期間限定のクリームたっぷりというやつだ、これはおやつにしようと思い、レジに向かう。

 ホットスナックのコーナーをちらりと見た後、店員にカレーパンを一つと頼んだ。

 「今、揚げたてですよ、普通のと辛いのがありますが」

 「あっ、普通ので」

 女性店員は、こっちは激辛、かなり辛いですとにっこりと笑った。

 自分の好みかを把握されているなあ、ここ数日、通っているから無理もないと思ってしまい、女は店を出た。

 

 家に帰るまで我慢できない、建物の壁に体を預けるようにして、カレーパンを袋から取り出し、かぶりついた。

 ついでにコーラの蓋も気をつけながら開けて一口、飲み込むと、ああっ生き返ったと思ってしまう。

 これであと少し頑張れると思ってしまう、今日は残りを書き上げたら風呂に入って寝よう、入浴剤は最近、買った、とっておきのやつだ。

 自転車に乗った学生が次々と店に入ってくる、それに混じってスーツ姿の男性が一人、自分の前を通り過ぎようとした瞬間、女はあっと声をもらした。

 男が足を止めて振り返る、やはりと思った女は思わず声をかけた。

 「猫は元気ですか」

一瞬、不思議そうな表情になった相手だが、じっと女の顔を見てああと頷いた。

 

 数日前、男はコンビニの前で一匹の猫と会った。

 いや、その言い方は正しくないだろう。

 店から出たとき、足下にすり寄ってきたのだ、何かくれると思ったのかもしれない。

 痩せて毛並みもよくない、思わずあんパンの皮の部分だけを少しちぎって差し出すと躊躇うことなく食べる。

 よほど空腹だったのかもしれない。

 「あんた、連れて帰るのかい」

 そのとき店から出てきた老婆が声をかけてきた。

 「そんなことするから居着くんだよ」

 まるで、自分が悪いことをしているような気がして男は立ち去ろうとした。

 それなのに猫はついてきた、追い払おう、ついて来られたら面倒だと思った。

 だが、大声を出したり、蹴飛ばしたり、そんなことはしたくない、今の自分にはできなかった。

 


 そうか、あのとき、この女性もいたのかもしれない。

 男はコンビニに入るとパンと飲み物を手に取り、どうするかなあと頭の中で考えた。

 女性に言われて猫の事を思い出したのだ。

 いつまでもも部屋の中に閉じ込めておくわけにはいかない、それに今朝、大家から言われてしまったのだ。

 もしかしたら薄々、感づいているのではないかもしれない、このまま内緒というわけにはいかないだろう。

 猫がいるとわかったら飼うのはやめてほしい、もしくは自分が出て行ってくれと言われるかもしれない。

 鳥、魚、ハムスターぐらいなら大家も許してくれるだろう、だが、猫や犬ともなると簡単にはいかないだろう。

 余裕があればペット可のアパート、マンションとかに住んで猫の一匹ぐらい飼えるだろう。

 だが、今は自分も余裕はないのだ。

 それなのに野良猫を自分の部屋に連れてきてしまった。

 だが、問題はそれだけではない。

 パンとコーヒーを買い店に出る、先ほど声をかけてきた女性は食べ終わったのかパンの入った袋をバッグに入れてコーラを飲み終わったようだ。

 男は意を決して声をかけた、駄目で元々だと。

 「猫を飼う気はないかい」


 ふかふかのベッドで丸くなっている猫の姿を見ると男は、ほっとした、良かったと心の底から思ってしまう。

 あのときは、断られても不思議はないと思っていた。

 猫を飼わないかと声をかけても少ない知り合いからは皆、断られてしまった。

 仕事をやめたばかりの自分では、たかが猫一匹という問題ではない

 部屋までついてきた、その日の夜中になって吐き戻したことに驚いて翌朝、動物病院に連れて行ったのだ。

 そのとき、妊娠していますよと言われたのだ。

 大事なことを黙っているわけにはいかなかった。

 自分のアパートでは飼えない、それで引き取り手を探しているんだか、猫は妊娠していると、断られても仕方ないと思いながらも言ってしまった。

 だが、今、その猫はふかふかのベッドで眠っている。

 いや、猫だけではない、男も一緒に住んでいるのだ。

 

 この古いアパートに男が引っ越してきたのは最近だ。

 大家である人間が高齢で維持と管理が大変になっていたのを女性が買い取った、だが古いといっても一棟のアパートだ一人で、ではない

 住人は皆顔見知り、中には訳ありの人間もいる。

 二階建てで全部で十二室もあるが、部屋の壁をぶち抜いて縦横無限に行き来できるようにしている。

 そして男は住人たちの食事、頼まれごと、雑務などをしているのだ。 

 「市役所と警察に行かなければいけないんだけど、一緒に来てくれると、うっ、嬉しいんだけど」

 おずおずとした口調で、その日の朝、住人の男性に声をかけられて男は頷いた。

 この若者は人と接するのが苦手らしく、緊張が激しく、ピークに達すると失神、時には過呼吸を起こすことがあるらしい。

 その為、家族は疲弊した、二十歳を過ぎたばかりだか、新社会人として会社勤めを始めた若者は社内でいじめに遭い、家出同然でふらふらとしているときに学生時代の友人に会い、このアパートのことを知ったらしい。

 「たまこちゃん、具合どう、もうすぐ、生まれっ、るよね」

 男が連れてきた猫は、たまこと名前をつけられた。

 

 役所から出ると若者はほっとした表情になる、緊張していたのだろう。

 「ありがとう、そ、その、ついてきてもらって、あの」

 青年は下げていたショルダーバッグから封筒を取り出した。

 「駄目です」

 男は慌てた首を振った、頼まれごとをするたびにわずかだが千円札を数枚、出してくるのだ。

 お礼だからというが、こんなことぐらいでと男は思ってしまう。

 大人だが、人付き合いが困難で、緊張してうまくしゃべれない、そんな社会不適格だと自虐的になっている若者の姿に男はなんともいえない気分になった。

 「じゃあ、このお金は貯金だ、子猫が生まれたときの為に」

 一瞬、若者はあっけにとられた顔になったが、次の瞬間、表情がぱあっと明るくなった。

 アパートに着くまで、にこにこと笑っている、もしかしたら子猫が生まれたときのことを想像しているのかもしれない。

 「もらい手とか探しているんでしょうか」

 若者の言葉に男は頷いた、だが思い出したように。

 「二階の人が自分の部屋で飼いたいと」

 「えっっ、誰ですか」

 「ええっと、名前は、すみません、覚えてなくて、でも写真を撮るみたいです」

 住人たちとは会えば挨拶もするし、会話もするが何をしているのか、仕事のことなどは知らないのだ。

 最近の風潮かもしれない、個人情報の漏洩、詮索しすぎるのはよくないと思ってしまうのだ。

 アパートの近くまで来たときだ、まるで、喧嘩、言い合いをしているような声が聞こえてきた。

 

 「ですからあっっ、猫を返してほしいんです」

 中年の男女が、大声で喚くような声を上げている。

 男と青年は何事かと足を止め、躊躇したのは無理もなかかった。


 「今はくっっいていますが、前足を骨折していたようですね、前足を」

 獣医の言葉を男は思い出した。

 だからだろうか、あの日、自分のアパートについてくる途中、猫は何度か立ち止まっていた。

 見かねて抱き上げてしまった、猫は部屋の中でも歩き回る事はしなかった。

 「不自然です」

 獣医の言葉の意味が、すぐにはわからなかった。

 「でも、すり寄ってきて」

 「頼らなければ駄目だと、限界だと思ったのかもしれません」

 

 

 下品な男女でしたね、夫婦だといってましたが。

 鍋から豚の薄切りをすくいタレもつけずに女は口の中に放り込んだ。 

 「自分たちの猫だから返せですか」

 「たまこさんは今」

 「二階の河水(かすい)さんのとこ、静かだし、日あたりいいからって、あの人、トイレ、ベッド、おもちゃも買ってるよ、今日なんてね、一階の土方さんと一緒にバンでホームセンターに行って、木材やロープ、とにかく色々と買ってきて、作るんだって猫タワー」

 皆の手が一瞬、止まった。

 住人は皆、普段は食事は自分の部屋で食べることが多いのだが、今夜だけは違っていた。

 「はあっ、何、それ、大工にでもなったつもり、いや」

 「河水さん、カメラで、たまこさんを撮ってた」

 「女優から変更かよ」

 「でも、どうすんのたまこさん、返さなきゃ駄目とか」

 「そのことでね、ちょっと」

 箸を止めた女性が台所から肉と野菜のおかわりを持ってきた男を見て話していいと尋ねた。


 「何、それ、わざとってこと」

 「嘘、でしょ」

 「なんで、あの二人」

 

 鍋の肉と野菜に手を出す者はいなかった。

 「怪我や骨折だとしても折れる場所が明らかに変だと獣医さん、言ってたんですよね」

 女の言葉に男は頷いた。

 「あのとき、たまこさん、変だったよ」

 アパートの中で一番若い女子高生が呟いた。

 「ねぇっ、たまこさんは、ここに、アパートにいてもいいでしょ、もうすぐ、生まれるんだよ」

 「難しいなあ、生き物だからね、本当の飼い主なら」

 「あたし、バイトする、キャットフードとか、病院代とか、新しい飼い主なんて」

 ここで飼っても、最後の言葉が出てこないのは現実を知っているからかもしれない。

 そのとき、おずおずと一人の女性が、あのーと手を上げた。

 「誰か、電話を貸してもらえますか」

 「じょうさん、どうしたの」

 「頼もうと思います、夫に」

 部屋の中が、しんと静かになった。 

  

 

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