第21話 猩猩鹿

 それは奇妙な魔物モンスターだった。

 いや、魔物モンスターが奇妙でなかった試しなどないのだが、それでもやはり目の前のコイツはとりわけ異質だと思う。


 体は鹿のように見えるが、サイズが異常に大きい。

 海外でときおり話題に上がるヘラジカのような巨躯。

 そして、それを支えるのは鱗のびっしり生えた太い鳥の脚。

 頭部は平べったくなった猿の頭のように見えるが、額から枝分かれした鹿の角が生えている。


 なるほど、十撫が説明に窮した気持ちがわかった。

 これは、見たほうが早い。


「なんなの、コイツ……!」

「わからない! 俺も見たことが無いヤツだ」


 注意深くマチェットを構えたまま、一歩前に出る。

 それに反応したのか、猿頭の鹿が「アッアッアッ」と奇妙な鳴き声を上げ始めた。


「注意、して!」


 十撫の声と同時に、猿頭の鹿がこちらに前足を上げて距離を詰めてくる。

 受け……は、まずいな。


「くっ」


 咄嗟に後ろに跳躍した俺の鼻先を、鋭い角が掠める。

 勢いそのままに振り下ろされた一撃は、参拝路の石畳を砕いて散らせた。


「なんてパワーだ……!」

「アッアッアッ!」

「うっさいわね!」


 両手でバトルアクスを振りかぶった亜希が、果敢に巨鹿に踏み込む。

 亜希のパワーが存分にのった一撃が胴体に直撃し、猿頭の魔物モンスターが小さく悲鳴を上げる。


「攻撃は通る! さっきみたいに怖くない! いけるわッ!」

「油断するな、亜希」


 マチェットを横薙ぎに振って、奇怪な魔物を牽制する。

 こちらの存在感をそれなりに出しておかなければ、傷をつけた亜希に攻撃が集中する可能性がある。


「離れて」


 背後からの声に、横へと跳躍する。

 今回、俺達はしっかりと連携について話し合い、役割分担も決めてきた。

 俺と亜希は前衛、そして十撫は後衛だ。


「……〝起動チェック〟」


 腰のホルダーから抜き取ったカードを提示して、キーワードを口にする十撫。

 カードが黒ずんで崩れ去ると同時に、バレーボールほどの火の玉が発射されて猿頭の鹿を焼いた。


「いいぞ、十撫」

「ん。これは、わたし向き、かも」


 十撫が使用したのは、俺が前回の探索でザルナグに使用した【スクロール】だ。

 カードなのに巻物スクロールとはこれ如何に、と思ったが……海外展開するときにこの名前の方がウケがいいらしい。


「アッアッアッ! アッアッアッ!」


 悲鳴なのか鳴き声なのかわからない声をあげながら化物が後退する。

 図体通り、かなりタフな生き物らしい。


「得体のしれない奴だ、十分に警戒しながら戦うぞ!」

「おっけー!」


 返事をする亜希に、小さくうなずいて返す。

 年下の女の子にこれを感じるのはどうかと思うが、重装備の彼女はなんだか頼もしい。

 全身鎧のようにプロテクターを装着している姿は、思った以上に安心感がある。


「十撫は適宜フォローを頼む」

「ん。まかせて。【スクロール】はまだ、ある」


 今回、藤一郎の計らいで十枚以上の【スクロール】が提供されている。

 安いツールではないが、実地試験も兼ねている。

 出し惜しみする必要もないだろう。

 あとは、どう攻めるかだ。


 そんな事を考えた矢先、対峙していた魔物モンスターの雰囲気が突然変わった。


「アッアッアッ……アアアアアアーーーーーーーッ!!!!」


 高周波の叫び声のような咆哮を上げる巨鹿。

 それと同時に、重たい恐怖の気配が俺達に叩きつけられた。


「くッ……!?」

「アッアッアッ! アッアッアッ!」


 頭をぐるぐると振りながら、隠そうとしない殺意を振りまく猿頭の魔物モンスター


「あ……あぁ……」

「亜希、しっかりしろ!」


 尻餅をついてしまった亜希が、呆然自失といった状態で後退ることもできていない。

 十撫にしても、似たような状況。ペタンと座り込んで立ち上がれなさそうだ。


「チィ……! こいよ、化物! 俺が相手だ!」


 プロテクターとマチェットを叩き合わせて、音を立てる。

 多くの魔物はこうした挑発行為に敏感だ。

 まずは亜希たちから、ヤツの興味を逸らさなくてはならない。


「アッアッアッ!」

「くぅ──ッ」


 軽く振られた角をマチェットでいなすが、避けきれずに枝分かれした突起のいくつかが俺をかすめる。

 熱感と、やや遅れて痛みが走り……参拝路に血がぱたぱたと散った。


 さっきとはまるで違う。

 パワーもスピードも。そして、殺意も。

 それでも、俺が耐えなくては立て直すこともできない。


「アッアッアッーー! アー!」


 猿の顔が、笑ったように見えた。

 いや、事実として嗤ったのだろう。

 俺が、まったく脅威でないと理解したに違いない。


 巨大な体躯をくるりと翻して、座り込んだままの亜希に向き直る猿頭の鹿。

 それを見た亜希が、小さく悲鳴を上げて怯えた表情を見せる。


「アッアッアッ! アッアッアッ!」


 鳴き声のトーンが高い。本当に嗤っているのか、コイツ。


「や、やだ……!」

「アッアッアッ」


 亜希の声が俺に届く。獣の声も。

 ゆっくりと近づいていく猿頭の魔物モンスターを見て、俺は……俺は、ふと考えてしまった。

 これほどの強力な魔物モンスターというのは、どんな味がするのだろう、と。

 人の恐怖を存分に吸ったこの鹿のような魔物モンスターは、さぞうまいに違いない。


 亜希が襲われているというのに、そんな人でなしな思考が湧き上がってくる。

 それと同時に、あの『渇望』と『飢餓感』が、俺の身体を徐々に満たす。


「アッアッアッ……アッヴ──!?」


 気が付くと、俺は鹿の首にマチェットを刺し入れるようにして、飛びかかっていた。

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