つき落つる
鯱丸
序章「昔語りの前語り」
独白、夕。
十六歳の夏、生まれて初めて旅をした。
それは居場所を守るためであり、犯した罪を償うためであり、けれども罪を重ねるための旅でもあった。そして結局、「責任を取るため」というひと言に集約できる。
だって、あの子が独りぼっちになったのも、あいつが俺を殺そうとしたのも、ヤツがすべてを踏みにじってでも進もうとしたのも、全部が俺のせいだったから。
犯した罪とその罰を切っ掛けとして走りはじめ、大人と子供の境界線を飛び越えようとして、願ったものとその末をまっすぐ見つめ、すべてを背負うと決めた。
俺のせいで始まった物語を、俺の手で終わらせると決めたんだ。
でも、そんな俺に対して、いつかの夜に男が言った。
『御前の言う責任についてだが……私が思うに、それは子供には背負えないものだ。魚が空を飛ぶように、鳥が大地を駆けるように、あるいは桜が冬まで咲き続けるように、本来の在り方を外れた行いであり、己が能力を超えた行いであるだろうよ』
言外に「お前には無理だ」なんて言う彼だけれど、そんな彼の嫌味ったらしい口調にもすっかり慣れていたので、特別怒ることもない。ただ少し口を尖らせるだけ。
『もちろんそうかもしれないけどさ、空を飛ぶ魚だっているし、足の速い鳥だっている。桜は……わかんないけど、本当は儚さの象徴として扱われることにご立腹かもしれないだろ?』
俺の下手くそな反論に男は一瞬だけ目を丸くしていたが、すぐに呆れた様子の溜息をわざとらしく零し、大げさに肩もすくめてみせた。
『つまるところ御前は子供のまま責任を果たすような……そんな例外に成りたいというわけか。空を飛ぶ魚。地を駆ける鳥。決して散らない桜花。そんな特別な存在に』
例外。特別。そんな言葉が俺の中に確かに突き刺さって、そして深く根を張ったのだと実感した。だから俺は深く考え込むこともせず、とにかく首をぶんぶん振った。
すると男はじっと俺の眼を覗き込み、その覚悟を問いかけた。
『きっと、その道は険しいぞ?』
『……できるかどうかはべつとして、願うこと自体は悪いことじゃないだろ?』
本当は、「望むところだ」なんて格好良く返すべきだったのだろう。でも、そんな勇気はなかったんだ。およそ覚悟というものが、苦痛や恐怖によって簡単にかき消されてしまうことを俺は旅を通じて知っていたから。
曖昧な返答に対し、男は深い溜息交じりの『未熟なり』を零して非難する。けれどもすぐに頬を緩めて微笑んでくれた。彼が笑うのを見るのはこれが初めてだったから俺は心底驚いて、口をパクパクさせることしかできなかった。
『ならば私は──否、俺は。俺は、月に誓おう』
唐突に男は立ち上がり、バリトンボイスを響かせる。その声は闇を切り裂き、夜を蹴散らす道標──まるで、月明かりのように柔らかく、そして優しかった。
『白日は、進む御前の背中を見つめよう。そして夜直は、休む御前の先を照らそう。俺はこの先、幾たびつき落ち陽昇ろうとも、瓜丈高の末期を見届けよう』
例によって彼の言葉は妙に古めかしく、それゆえに俺には理解できなかった。
けれど、それは単なる激励というだけではなかったように思えた。
だからこそ、俺は決めた。
難解な言葉に込められた意図を、意思を、願いを。
長い長い十六歳の旅が終わった今、長い長い夜に紐解こう。
遥か昔、彼が事の終わりにそうしたように──
──俺もまた、俺の物語をここに記そう。
もちろん俺には、彼のような固い決意も、あるいは悲壮な覚悟もなかったけれど、それでもすべての始発点だけはおんなじだった。
物語の始まりは、どうしようもないバカなガキと、どうしようもない罪を犯した少女が出逢うところから。書き始めはどうしようか、なんて、考えるまでもない。
彼の遺した物語になぞらえて、こうすると決めていたんだ。
──いまはむかし、鳴海高というものありけり。
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