ハガキ 風の物語
伊諾 愛彩
序
君がいらないものなら
僕が貰ってあげよう
たくさん愛してあげよう
素敵な魔法をかけてあげよう
だから、笑って
自分を愛してあげて
僕は、そんな君が見たいんだ
郵便書簡というらしい。リーズナブルに送れる便箋、シールで止めてあって、開封したら元に戻らなくなる、よくダイレクトメールで使われている、葉書。雁湖《かりうみ
》学院の母体となっているのは、ギュフという自然派ブランドの会社だったから、この形で発送することは慣れていたんだろうけれども、合格通知をこれで送ってくる? 今でもそれが踏襲されているから、ミスとかそうでもないらしい。それが、ギュフのCEO、
招待状
その葉書の一番上にはそう書かれていて、それが、私たちの物語の始まりだった。
真生は東京の自宅である高層マンションに居た。バカと偉い人は高いところが好きという言葉もあるが、好みの問題ではなく、セキュリティなどの面での利点を考えて、真生は、最上階に居を構えた。幸いなことに、彼には高所恐怖症ではなくて、部屋から地上を眺めては、「人が蟻のようだ」とどこかの悪人が呟いた言葉を嘯いていた。
「あな、嬉し 若人集いし 北の地に 我も行かむと 荷を整える」
真剣にオンライン会議に参加していると思いきや、心はそこにあらずという感じで、傍らに居た若い男性社員が、真生の腕をつねった。真生のフォローをするのはこの男性社員と、金髪の美人秘書。二人は、真生がギュフが新しく作る雁湖学院という学校に夢中になっていることを知っていたから、彼の態度を必要以上に咎めることはしなかった。カメラからは見えない位置で、真生は受験合格者の入学試験に対するコメント文の作成と、その最後に記すサインを内職していたのだった。
椥紗は、郵便書簡に書かれていたコメントを読んで、より、雁湖学院に行くことが待ち遠しいと思った。コメントは打ち込まれたものだが、最後に書かれた椎野真生の直筆サインは、間違いなく本物だったから。
「それは、見えるところに置いといて」
「ここでいい?」
「うん」
写真立てに入れられた葉書は、輝いているように見えた。まさしく、椥紗の人生が変わる世界への招待状だったのだ。
随分昔の話になる。椎野真生は、北の大地のとある場所に辿り着いたときに、その場所に運命的なものを感じた。その場所は、長い間水底にあったらしく、集落から離れている不毛の土地だったが、そこに特別なものを感じた。河川計画の変更、気候変動、その土地がそうなっている理由には、様々な要因があるだろうが、特別な何かはないけれども、植物が生い茂り、鳥や動物の鳴き声が聞こえる豊かな土地、そこが、雁湖と呼ばれた場所だった。
ずっと真生が思い焦がれていた土地に再び真生がやってきたのは、二年ほど前のこと、若い男性社員と、金髪の美人秘書を伴っての訪問だった。
「どう思う? ピクシー君」
ピクシーという愛称で呼ばれたのは、若い男性社員である。
「私が反対意見を言っても、聞き入れてくれないのは明白じゃないですか」
こういう言い方をするときのピクシーは、必ず真生の目的を果たしてくれる。
「ここだな。ここから、ギュフは変わる」
「それまた思いつきですか?」
「随分前から決めてた。ピクシーとメイの顔見て、実行に移そうって思った」
ピクシーはため息をついて、金髪の美女、メイは微笑んだ。真生は、このど田舎に拠点を移す。東京ではなく、ここを中心としてビジネスを動かすと言い出したのだ。自然派ブランドとして立ち上げ、全国展開させたギュフのビジネスは、プレリュードに過ぎないと考えていた。大きな街で成功しても、それが社会全体の利益になるには不十分だ。ピクシーは真生の壮大すぎるビジョンに惹かれて、頼み込んでカバン持ちにさせてもらった。まだ、ギュフが小さな店でしかなかったころの話だ。真生を追いかけている間に、いつの間にか、ギュフの社員になり、今は、片腕を任されている。随分な時間が経ったように思うが、真生がピクシーの名前を覚えているのかどうかは未だ分からない。
「ここは荒地ですよ。本当にいいんですか?」
「荒地じゃないと、売ってもらえないでしょ。はい、契約交渉お願い」
「はぁ。これにどれだけ振り回されてきたか……」
若手実業家、椎野真生はCEOでありながら、ブランド、ギュフの広告塔でもある。ヨーロッパとのハーフという端正な顔とすらっとした体型で、モデルとして何ら遜色のない働きをする。真生自身が、ブランドの服を着てメディアの前に出る事が、ブランドのイメージを高める。たとえ彼が、CEOとしての地味な仕事ができなくとも、お釣りが出るほどのことをしているのだが、それを補うのが、主にピクシーの仕事なのである。
「顔がいいって、得ですね」
「そうだね。前世か何かでいいことをして、徳を詰んだ結果かもね」
真生のリーダーシップで成功したといえば、聞こえがいいが、一度決めたことを絶対に変えないというのは独裁的でもある。ピクシーはそれにも気付いていて、嗜めることのあるのだけれども、真生は頑固で自分の意志を貫く。しかし、不思議なことにそれが大体いい方向に動く。
「大きな場所が欲しいんだ。約束もあるしね」
「約束?」
「個人的な約束だよ。聞き流してくれ」
「……最近流行りの、SDGsとかそういうのの会合で何か言われたんですか?」
「ああ、そういえば、そういうのもあったね」
ギュフのコンセプトは、流行しているSDGsに則ったもので、その理念に則っていることをPRするとか、広報を主にそういう点を押し出している。良く知られている企業が、理念を押し出すのは、企業イメージを上げる点でも、また、SDGsを推進する政府にとっても利のあることだ。
真生は世間がギュフや自分自身のことをどんな風に考えていようと、どうでも良いと考えていた。企業のイメージは、真生自身が意識せずとも、組織の人間が良くなるように振舞うに決まっている。むしろ、組織の人間を守ることが、リーダーの役目だと考えていた。ギュフに好意を持ち、その発展を助けたいという人間を組織に迎え入れる事が重要で、その好意に報いるための方法を考えているのである。ギュフは組織の人間の好意の総体に過ぎない。
「次は一体何をする気なんですか?」
「そうだな。学校、まずは、高校を作る。ギュフの社会貢献活動として、学校に合わない生徒たちの救済とかしたいんだけど、どうかな?」
「どうかな。ではなくて、それでやるんでしょ」
ピクシーとは対照的に真生はニコニコと笑っている。
「君が優秀だから実現できるんだ。ありがとう」
「その笑顔でどれだけたぶらかしてるんですか」
真生の瞳は彼の在り方を示すがごとく透き通っていて力強く、他人を惹きつける。それはテレビやネット、雑誌といったメディアを通してもその魅力は褪せることがなかった。
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