七章 王家勲章の行方
お
その王者に視線を集めるように、丘の周囲には放射状に街路がのびる。石造りの建物が、街路と街路の
王城へ続く八つの巨大な街路には、石が
砂糖菓子品評会は、八つの街路の一つ。最も
王都の人々は、お祭り好きだ。
王家の人々が姿を見せるという理由だけで、広場には民衆がひしめいていた。
民衆の視線の先にあるのは、王家の席に座る、王と
王家の席の前には、白い布がかけられた
どれもこれも、
ただし今は、
それぞれの砂糖菓子の背後には、それを作った職人たちが
立派な毛皮のベストを身につけた、ジョナスの姿もある。
砂糖菓子品評会は、ダウニング
老臣は職人たちが整列し、また、王家の人々が着席したことを確認した。
観衆の一部が、どよめく。
何事かと
「危ない!!」
「馬車を止めろ」
彼女の背後には、彼女を守るように、
少女は、ダウニング伯爵のいるテントの前に駆け寄ろうとした。
「
衛士の一人が、少女の腕を
腕を解放された少女に向かって、
「行け!」
青年が
少女のあとを追わせまいと、
人々はそこで、やっと気がついた。青年の背には、美しい羽が一枚ある。
「あの娘に、手を出すな!」
「おまえ、……
全力で走っていた少女は、ダウニング伯爵のいるテントの真っ正面で、足がもつれた。そのまま体勢を
しかしそれでも顔だけをあげて、息をきらしながら必死に叫んだ。
「砂糖菓子品評会開催は、まだ宣言されていないとお見受けしました。ならばまだ、参加は可能なはず。わたしも参加いたします。砂糖菓子職人。名はアン・ハルフォード。出身は、
テントから飛び出した衛士たちが、転んだままのアンを押さえつけ
「貴様、不敬である!!」
目を丸くしているダウニング伯爵の背後から、陽気な笑い声があがった。
「来ないと思ってたら、これはこれは、なかなか派手にご登場だな!! おまえさんはまったく、
聞き覚えのある声に、アンは目を見開いた。
ダウニング伯爵の背後から、一人の青年貴族が姿を現した。銀色の
それを身にまとっているのは、野性味のある茶色の
「ヒュー!?」
「マーキュリー。知っている娘か?」
ダウニング伯爵が、ヒューに
──マーキュリー?
アンはヒューの顔ばかりを見ていた。
──ヒュー・マーキュリー!? マーキュリー
「はい。その娘は確かに、ただの砂糖
するとダウニング伯爵は、槍を構える衛士たちに向かって手をあげた。
「よい、そなたらは控えろ。この娘は、参加希望者だ」
シャルを取り囲んでいた衛士も、アンを押さえつけていた衛士も、命令に従い後ろにさがる。
アンは起きあがると、その場に
ダウニング伯爵は、アンに目を移すと
「見れば年若い。その若さで、参加の口上。よく心得ていたな。
「母に。わたしの母は、銀砂糖師でした」
「なるほど。参加の口上は、作法通り。しかし参加には、手順があるのを知っているか?」
「はい。参加の口上をダウニング伯爵に述べ、しかるのちに、銀砂糖子爵が、国王陛下のお目
「そうだ。その手順は、昨日終わっている。しかもすでに、国王陛下は臨席されて、今しも品評会は始まろうとしている。今からそなたの技量を
「できるだけはやく、課題はこなします。だから、お願いです!」
必死の様子に心を動かされたらしく、ダウニング伯爵は、ヒューに相談するかのように彼に向きなおった。
「どうする、マーキュリー」
「今から、課題をさせる時間はありません」
にべもなかった。アンは
しかしヒューは、にやりと笑って続けた。
「しかし、ダウニング伯爵。幸運なことに、この娘の技量は、わたしが先日、試しております。国王陛下のお目汚しには、ならないと存じます」
その言葉に、顔をあげた。目が合うと、ヒューは軽くウインクした。
ダウニング伯爵は、
「よかろう。銀砂糖子爵が認めるならば、参加を許可しよう」
そして砂糖菓子が並ぶ卓を指さした。
「では
「はい。ありがとうございます」
立ちあがると、ぺこりと礼をして、
広場の中央へ進み出たアンに、観衆と、参加の砂糖菓子職人の
参加する砂糖菓子職人たちは、
しかしアンときたら、体に合わないだぶだぶの男物の服を着て、
あれはいったい、何者だ? 好奇の視線が、そう
アンが並ぶように命じられたのは、
ジョナスは
となりにアンが立つと、強がるようにせせら笑った。
「やあ、アン。僕の服、よく似合うじゃない。それはそうと、砂糖菓子はあるの?」
アンはキッと、ジョナスを
「おかげさまで。この服は役に立ったわ。わたしのことはご心配なく、砂糖菓子はある」
「じゃあ、早く卓に並べなよ。どこにあるの?」
「ここよ」
アンは前に進み出ると、白い卓の上に、布をかけた小さな固まりを置いた。
それを目にした観衆や、砂糖菓子職人のあいだから、
ジョナスも、ぷっと吹きだした。
「ま、時間的に、できてせいぜいその程度だね。君の度胸には感心するよ、アン。そんな子供のおやつみたいな大きさの作品で、参加するなんて」
アンは正面の王家のテントを見つめたまま、答えた。
「あなたにも感心するわ、ジョナス。
「なんのことか、わからないね」
「銀砂糖子爵。ヒューの目を、
ほんの少し、ジョナスの表情が引きつる。しかしすぐに、口もとを
「参加申しこみの時に、ヒューが銀砂糖子爵だと知って
「わかってないはずないわ」
「どうかな」
アンの作品が置かれたのを見届けたダウニング
「ここに砂糖菓子品評会を開催する。国で最もすぐれた砂糖菓子職人には、銀砂糖師の
品評会を取り仕切る役人が、職人たちに指示を出す。
「皆のもの。国王陛下に、砂糖菓子をご覧いただくのだ」
その言葉と同時に、
並ぶきらびやかな砂糖菓子に、観衆からため息が漏れる。
国王は座の
と、王の視線が止まった。身を乗り出す。
その視線は、ジョナスとアンの方を向いていた。
──まさか、お目にとまった!?
アンの
王はダウニング伯爵を手招きすると、その耳元に何事か囁いた。
ダウニング伯爵は頷き、アンとジョナスに向かっていった。
「そこの二人の職人。ジョナス・アンダー。ならびに、アン・ハルフォード。砂糖菓子を持って、国王陛下の
ジョナスとアンの視線が、
観衆は首を
「あっちの立派なのは、
「さあ、ここからじゃよく見えねぇ」
ジョナスは
アンは背後にいるシャルに、頷いた。
「行ってくる」
シャルは頷き返してくれた。
アンはそっと手に包むようにして、砂糖菓子を持つと、国王の御前へ行った。台の上に砂糖菓子を置くと、跪く。
国王はゆったりと立ちあがると、台の上に置かれた砂糖菓子を
「不思議だな。ここへ来てみろ、マーキュリー」
低い声が、銀砂糖子爵に呼びかける。呼ばれたヒューは、王の
「どちらも、同じ職人の手でつくられたもののように、作品の
その言葉に、ジョナスがぎくりと身をすくませる。ヒューの目が光る。
「陛下は、どちらがお好みですか?」
ヒューの問いに、国王の目が細まる。国王は小さな
「余は、こちらが好きだ。今にも
「はい」
「余はこの砂糖菓子が一番だと思う。どうか。この職人が、銀砂糖師にふさわしいと思う」
アンは顔を伏せつつも、まさか、まさかと、鼓動が高鳴る。
しかし。
「その砂糖菓子は、本当に
国王の背後から、
「ですが国王陛下。祝祭の
「それは、そうだな……」
しばしの
「決めた」
国王は口を開いた。
「余は、決めた。こちらの職人が、銀砂糖師にふさわしいとしよう。こちら、名は?」
ダウニング伯爵が、告げた。
「ジョナス・アンダーにございます」
「では、余は宣言する。余はジョナス・アンダーの持参した砂糖菓子に、王家
観衆がどよめく。
ジョナスが顔をあげた気配に、アンは力が抜ける。
──当然か。
「では、アン・ハルフォードはさがりなさい。ジョナス・アンダーはここに残りなさい。衛士たちが、アンダーの精製した銀砂糖三
「はい」
興奮に
その顔をちらりと見てから、アンは今一度王家の人々にお
ジョナスの三樽の銀砂糖が、国王の前に運ばれてくる。
アンがそれに背を向けた
「な、なんだ!? これ!?」
国王の御前にふさわしくない、
アンは思わずふり向いた。
ジョナスの目の前に運ばれた樽の一つから、ぴょんと勢いよく飛び出たものがある。それを目にして、ジョナスも国王も、ダウニング伯爵も、目を丸くした。
飛び出したのは、
アンは息を
「これはどういうことだ、アンダー!?」
驚きから覚めたダウニング伯爵は、ミスリルが飛び出した樽を覗きこみ、
「銀砂糖がひと樽分。そっくり、ないではないか!」
「そ、そんな
うろたえるジョナスにかわって、国王の御前にひれ
「ああああああ!! お許しください国王陛下の
おいおいおいおい、
アンは、ぽかんとした。
──なんでミスリルが、ここに? なにしてるの!?
そして気がつく。
泣きわめくミスリルのお
──もしかしてミスリル。樽いっぱいの銀砂糖を、食べた……?
ミスリルがなぜ、ジョナスが持参した銀砂糖の樽の中にいたのかは、わからない。
けれどこんな芝居をしている理由は、一つしか思い当たらなかった。
アンのために、してくれたのだ。
作品をとられたアンのために、しかえしをしてくれようとしているのだ。
「これは、
ジョナスは立ちあがると、王の御前だということも忘れたらしく、大声で
「この労働妖精は、ここにいる、この職人! アン・ハルフォードの
あんまりな言いがかりに、
「来い!! この、
「痛っ!!」
悲鳴をあげたアンを見て、ミスリルが顔色を変え、ばっと
「卑怯者はどっちだ!? アンを放せよ、この
泣いている芝居をやめて、
するとジョナスが、勝ち誇ったようにミスリルを指さした。
「ほら、ご覧ください!! この女とこの妖精は、最初から知り合いだ。まずこのふざけた妖精は、
「そんなことは、させないわ!」
ジョナスの言葉にかっとして、
アンは、王家のテントに向きなおった。
ミスリルを殺せと言われ、ここまで卑怯な
「確かに、あの子はわたしと知り合いの妖精です。こんなことをしたのも、わたしのためにです。その理由が、あります。この人、ジョナス・アンダーが、自分の作品だと
「僕が盗みをしたなんて、
「このうえさらに、噓をつくの!?」
「
アンとジョナスは、激しく
観衆も、そして王家の面々も、ダウニング
いったい、噓つきはどちらだ、と。
ただヒューだけが、
「では、はっきりさせましょうか? 国王陛下」
顔をしかめて、二人の様子を
「この作品を、どちらが作ったのか。これを作った職人が、銀砂糖師だ。ならば、それを見きわめましょう」
「ほう。見きわめる方法があるのか? マーキュリー。あるならば、やってみるがいい」
「はい。では」
ヒューは、
「医者宿の夜と、同じことをしてもらうぜ。ただし、今回はお題がある」
国王の
「国王陛下が選ばれた、この作品。ここに小さな
「わかりました。やります」
望むところだった。アンはすぐさま
「いいか? ジョナス」
問われて、ジョナスはかろうじて頷いた。
アンとジョナスは、テーブルに並んで立った。
周囲からは、観衆の
銀砂糖を目の前に、アンは軽く目を閉じた。
背中に、温かな視線を感じる。なんとなくそれが、シャルの視線だとわかった。
──蝶を作ろう。シャルに喜んでもらえるような、とびきり
「はじめ!」
声とともに、アンは目を開けた。銀砂糖に、冷水を加える。
練って、銀砂糖の
──もっと練ろう。艶やかな羽が欲しい。そう、シャルの羽みたいな、美しい羽を作りたい。
銀砂糖を手にすると、となりで、がちゃがちゃと不器用な音を立てるジョナスのことが、不思議と気にならなくなった。
ジョナスの額には、
アンは指を動かした。
──もっと、綺麗に。
シャルが見ている。そのことで、ひどく安心した。だから、無心になれた。
「もう、いい」
ヒューの声に、アンははっとした。
顔をあげると、いつのまにか、目の前にヒューが立っていた。そしてそのとなりに、テントを出た国王も、また立っていた。
国王は、二人の職人の手元をじっと見ていた。
ジョナスが、手を
「アンダーの蝶は、お話にならない」
ヒューが言った。
ジョナスが今まで練りあげていた砂糖
しかし。この蝶は、けして飛ばないだろうと思わせた。あきらかに、国王に選ばれた作品よりも技量が
次にヒューは、アンの手元を見た。
「ハルフォードの蝶は……陛下が選ばれた作品の蝶と、似ている。でも
アンは、自分の手元を見た。
美しい蝶がいた。
国王に選ばれた作品に、ひっそりととまっている蝶よりも、はるかに
国王は
「どういうことだ、マーキュリー」
「わかりません。結局、陛下が選ばれた作品を、どちらが作ったのやら」
二人が作った蝶を、国王は見比べた。
「余が選んだ作品をどちらの職人が作ったのか、余には、明白に見えるが?」
「では、ハルフォードの蝶と、陛下が選ばれた作品の蝶。陛下は、どちらがお好みですか?」
「それは当然、ハルフォードの蝶だ。余が選んだ作品よりも、もっと……」
そこで国王は、なにかに気がついたようにはっとした顔をした。そして、
「なるほど。おなじではないと、そういうことか」
「ええ。だから、どちらが作ったとは、断言できません」
その言葉に、ジョナスは最後の活路を
「ぼ、僕は、静かに一人で作業しないと、うまく作れないんです!! ですから、静かな場所で一人、時間をかけて作らせてもらえれば、陛下が選んでくださったのと同じものを、作ることができます。本当です。
もしこの場で、ジョナスが他人の作品を、自分が作ったものとして出品したのだと判明すれば、国王を
「見苦しいぞ、ジョナス」
ヒューの言葉に、ジョナスはいっそう声を高くする。
「でも僕は、噓をついてない!! 僕が噓をついている
「噓はついていないと?」
静かに。国王が問うた。その重々しい
震えながら、ジョナスはその場にひれ
「神かけて、噓は言っていません」
続けて、国王はアンを見る。
「そなたは、噓を言っていないか? ハルフォード」
「はい」
「どちらも噓をついていないとなると、これは、もはや、余にはわからぬ。証拠がないものは、断罪も出来ぬ。栄光も
「はっ」
呼ばれた老臣が、王のそばによる。
「今年の銀砂糖師は、
さっと国王は、きびすを返した。そして戸惑っている王家の人々や家臣達を
観衆は顔を見合わせた。
「どういうことだ?」
「王家
「選びなおしは? しないのか」
「だって、王様がいっちまった……」
「選びようがねぇよ」
国王は、作品を選んだ。しかるのちに、退席した。
しかし、作品を作った人間が誰なのか、わからないまま。
前代
今年の砂糖菓子品評会では、結局、銀砂糖師に選ばれる人間はいないということだ。
国王の処置に、
ざわめき、顔を見合わせていた砂糖菓子職人たちだったが、国王が品評会を再開する気配がないとわかると、
観衆もざわざわと
ダウニング伯爵が、ゆっくりとアンのそばにやってきた。
「アン・ハルフォード。王妃様から、お言葉である」
はっとふり返ると、老臣は
「来年は、祝祭にふさわしい砂糖菓子を持って来るように、と。楽しみにしているとの
その言葉の意味を
「はい。……はい! 必ず。必ず参ります」
「ところで、ハルフォード。その
六百クレス。金貨六枚。
「申し訳ありません。ダウニング伯爵様。これはある人にあげると、約束してしまったものなんです」
「六百クレスじゃよ」
「……すみません」
「そうか。残念じゃが。まあ、そのくらい変わり者でなければ、その砂糖菓子は作れまいよな。ところでマーキュリー。アンダーの
「お任せください伯爵」
「では、ハルフォード。来年、また」
さわやかな
ざわめきの中に取り残されたアンとジョナスを、腰に手を当ててヒューが見おろした。
「さて、と。アン。こうなっちまったけど、どうするよ。ジョナスの処遇は、俺に一任されたわけだし」
「ジョナスに、何か言いたいことはないか? 俺になにかして欲しいことはないか? 俺は、国王陛下みたいに
へたりこんだままのジョナスの体が、びくりとする。顔をあげずに、体を
いつの間にかヒューの背後には、サリムの姿がある。
アンは首をふった。
「ヒュー……銀砂糖子爵様には、感謝してます。参加を後押ししてくださった」
「おいおい、そんなに改まるなよ。ヒューでいいぜ」
ぽんと頭を
「本当に、感謝してる。ヒュー。ありがとう。ジョナスのことは、もういい。言いたいことはない。言いたいことはないけど……」
打ちのめされた様子のジョナスは、
言いたいことはない。しかし。胸にたまったものは、いっぱいある。
「立って。ジョナス」
静かに
「立って」
再度言うと、ジョナスは顔を
アンは、彼の
「ジョナス!! わたしを見て!!」
はっとジョナスが顔をあげた
ジョナスがびっくりして体をすくめているのを、
「ああ、すっきりした! 一発、ぶん
「適切な処置だ!」
ヒューは、げらげらと大笑いした。背後で、サリムがくすりと笑う。
「よし、じゃあ、解散だ!!」
ヒューの言葉に、アンはぺこりと彼にお
ジョナスは、ひっぱたかれた頰に手を当てて、その場に取り残され立ちつくしていた。
そのジョナスの足もとに、ちょこちょこと
人が入り乱れる広場の中で、アンは黒い瞳を
少し
アンは自分の砂糖
「シャル。ありがとう。今年の銀砂糖師には、なれなかった。けれど、来年またここに来る。ママを天国へ送るのには、間に合わなかったけど。でもママには、今のわたしの、
あれほど今年の銀砂糖師になることにこだわっていたのに、その思いが
あれは母親
それを自覚すると、心はすっきりと晴れ
やっとエマの死を、受けいれることができた気がした。
なぜなら今、目の前に、黒い瞳があるから。
この砂糖菓子を渡して、シャルが目の前から去ったとしても。彼が一度、アンのために帰ってきてくれた事実は、消えない。この世のどこかに、
そしてアンは本当の自分の未来を、これから追いかけることができる。銀砂糖師になる未来。
それは母親の
──わたしは、銀砂糖師になりたい。何年かかってもいいから……。
新たな決意が心に生まれた。
──ママを
「やる気が出てきたの。シャルのおかげ。ありがとう。約束通り、この砂糖菓子はシャルのものだから。返すね」
彼が去る寂しさが、胸をしめつける。しかしやっと生まれてきた本物の希望にすがり、無理に
差し出された砂糖菓子を、シャルは見つめた。しかしすぐに、ぷいとそっぽを向いた。
「まずそうだ」
「はぁ!?」
目をむいたアンに、シャルは言った。
「砂糖菓子は、つくられた形が良ければ、味もいい。できそこないは、味も今ひとつだ。俺は銀砂糖師が作った、特別にうまい砂糖菓子が欲しい」
「な、なによ、それ。これじゃ不満だって言うの?」
「不満だ」
「じゃ、これ以外にどうしろって!?」
この
シャルの
するとシャルは、さらりと言った。
「来年のこの日に、もらう。それまでは必要ない。おまえが銀砂糖師になるまで、
アンは目をぱちくりさせた。
「え……? 一緒に?」
「悪いか」
「悪くは……ない。ぜんぜん。でも、……どうして?」
どうして、と問われたシャルは、むっとして、なんと言うべきか考えあぐねているように見えた。しかし。しばらくすると彼は、降参したようにふっと表情をやわらげた。
答えのかわりに、彼はアンの右手を手に取った。そして。
「アン」
シャルは優しく、アンの指に口づけた。
それは、なにかを
口づけの意味は、わからない。けれど、どうしようもないほど、どきどきした。
シャルが、アンを見つめる。
──綺麗な瞳。
生まれて初めて感じる、わきあがるような
それは、
その時。
「おい、見たか!! 俺の一世一代の、名演技!」
元気な声とともに、ミスリル・リッド・ポッドが、ぴょんぴょん
ミスリルはひときわ大きく
アンは、申し訳なさと
「ミスリル!」
思わずミスリルを引っつかみ、ぎゅっと
「ごめんね! ごめんね、ミスリル、ごめんね。あなたが銀砂糖を食べたなんて、一瞬でも、疑って。わたしが
「おおおお、俺は、ミスリル・リッド・ポッドだ。りゃ、略すなよ。とにかく、許すも許さないも。アンのためじゃなきゃ、俺はこんな
ミスリルは真っ赤になりながらも、アンの手から離れると、鼻の下を
「でもわたしは、一瞬でも、あなたを疑った」
「へん。人間なんて、馬鹿者ぞろいだからな。アンが馬鹿なのも、織りこみずみだ。アンがあんな
ものすごく失礼なことを言いながらも、胸を張る。
「あいつの悪だくみに気がついて、俺は、あいつをとっちめてやろうと考えたんだ。悪い
わはははは、と笑うが、
「樽いっぱい銀砂糖を喰うと……さすがに、
妖精の食事の方法を考えると、どこから、どんなものを吐くのか見当がつかない。しかし、とんでもないところから、とんでもないものを吐かれそうで、アンは身を引いて
「ま、俺はあんまり役に立たなかったけど……てか、アンを
「そんなことないよ。ありがとう。でも、どうやってジョナスがわたしの砂糖菓子を
「俺はずっと、アンの馬車の中にいたけど」
「え?」
「ミスリル・リッド・ポッドは、銀砂糖を盗んだと疑われた後、おまえの馬車の荷台に
「そ、そういう意味……」
ジョナスはミスリルが隠れていたアンの馬車を
ミスリル・リッド・ポッドは、へんと鼻を鳴らす。
「忘れたか。俺は恩返しのためには、意地でもアンについていく。
「でも今回ジョナスをとっちめてくれただけで、
「まだまだ! 俺の恩返しは、こんなもんじゃない! もっと
「あ、ははは……。壮大な恩返し……?」
それは、いかなるものやら。なんとなく、
シャルがぽつりという。
「ありがた
「ないな、あいにく。おまえこそ、なんでアンと一緒にいるんだよ。ルイストンに到着したんだから、アンは情け深くもおまえを自由にしてくれたはずだろう。どこへでも、自由にいける身分だろうが。なんでここにいるんだよ!?」
「俺はかかしに、もらうものがある」
また、かかしと呼んだ。アンはがっかりした。
──さっき、アンって呼ばれたと思ったのは、まさか、わたしの
「とことん失礼な奴だな、シャル・フェン・シャル! いくらアンが、どっからひいき目に見ても、かかしにそっくりとはいえ、かかし、かかしと呼ぶな!」
「かかしをかかしと言って、何が悪い」
「なっ、おまえ!! かかし、かかしと連呼するなよ!」
「かかしを連呼してるのは、おまえだ」
「とにかく! 事実でも、言っていいことと悪いことが、世の中にはあるんだ! かかしなんて、かかしなんて!! そっくりすぎて、笑えないだろうが!!」
力なく、アンは笑う。
「あなたたち……、二人とも失礼なんだってこと、いい加減自覚してくれる?」
すると二人の妖精は、はたと気がついたように言い争いをやめて、お
──今年、銀砂糖師になれなかった。でもまた来年来るようにと、
無理やり恩返ししたがる、
すくなくともこれからは、ひとりぼっちじゃないと知る。
──わたしは、一人じゃない。いつかは、銀砂糖師になれるかもしれない。未来がある。これは最高。
アンは、
「ま、いいか。かかしでも、カラスでも。わたし、あなたたちのために、砂糖菓子を作る。
空は高く
王都の広場には、たくさんの砂糖菓子の、甘い
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