青いギターを弾く彼女には、敵わない

夜野十字

前編

  舞台上の咲月を見つめながら、俺はなんとも言えない、達成感のようなものを感じていた。


「みんなー! 今日は来てくれてありがとうー!」


 きゃあと、一部の観客から歓声が上がる。咲月の友人たち及び熱狂的な一部ファンが、ペンライトをこれでもかというほどに振って、感動を共有していた。


 今、舞台上で輝く咲月と、かつての、まだギターを始めて間もなかった頃の彼女が重なる。

 ギターを引く手付きも、所作も、歌声も、最初とはまったく異なる。


 けれど、演奏するときの、楽しそうで芯のある澄んだ瞳だけは、何も変わっていなかった。



「ギターを、諒の家で弾きたいんだけど」


 そう言って、咲月が俺の家を尋ねてきたのは、梅雨真っ盛りの六月頃、雨の日。実に数ヶ月前のことだった。


 あまりにも唐突なその願いに、当時の俺はまあ驚いた。だが、俺をより驚かせたのは、尋ねてきた咲月の風体だった。


 白いパーカーに、紺のスウェットといったラフな服装。若干クセ毛のある髪は後ろで一つに括られているが、それも邪魔だから括ったというように簡素で、正直に言うと雑だった。荷物はビニールで包まれたギターケースを肩に背負っているのみで、他には何も持っていなかった。


 そう、俺が驚いたのはここである。


 咲月は、傘を持っていなかったのだ。ギターケースはしっかりと雨対策がなされていたのに対して、咲月は何の対策も施していなかった。


 幸いにも雨は小降りだったため、びしょ濡れということはなかったが、それでも濡れていることに代わりはない。服が透けていなかったことは不幸中の僥幸かもしれない。おかげで下手な気遣いをせずに済んだから。


「とにかく、早く上がれよ。何か拭く物持ってくる」

「あ……。うん、ありがと」


 咲月は一瞬呆けたような顔をしたが、またすぐに素っ気ない感じに戻った。普段はもう少し愛想が良いのに。何があったのだろうか。


 タオルを手渡し、代わりにギターケースを受け取る。咲月に断りを入れてから、ケースにかかっていたビニールを剥がし、ハンドタオルでビニールにくるまれていなかった箇所を拭う。


 しっかりと梱包されていたお陰で、楽器本体に問題はなさそうだった。


 それでひとまず安心していると、控えめに肩をつつかれた。見ると、咲月が濡れたタオルを差し出しながら気まずそうな顔をしている。


 咲月と俺はなんだかんだ十年来の付き合いである、いわゆる幼なじみという関係だ。故に、ある程度のことなら目線だけのやり取りで分かる。


 このときもすぐに咲月が何を言わんとしているか分かった。同時に、俺は俺自身の気の利かなさも痛感した。


「……悪い、着替えのこと考えてなかった」

「っ! い、いや別に――」


 フルフルと首をふる咲月。しかし、積極的に否定しないことが、俺の先程の言葉を暗に肯定していた。


 ひとまずタオルを洗濯機に放り込み、すぐ俺は洋服棚の前に駆け寄った。もちろん、咲月の服

のサイズなんて知らないし、こんな事態を事前に想定できたはずもなく。仕方がないので俺は適当に目についた服を持ってその場を離れた。


「ありがと……」

「着替えるときはそこの洗面所を使ってくれ。濡れた服は、まあ、追々考えるとして」


 コクっと咲月が頷いたのを見て、俺はさっと洗面所に背を向け、ギターケース片手にリビングへと向かった。

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