第27話 検校
辰次は守田座の舞台で大道具の設置を手伝っていた。
作業が一区切りしたところで、鹿之介が休憩の声がけをした。
「おつかれ!腹、減ってんだろ?にぎり飯あるから持ってきてやるよ。待ってろ」
ようやく一息入れられると辰次はほっとした。
辰次は舞台のうえに腰をおろして劇場全体をながめた。
天井にはたくさんの
客席は一階の
(さすが天下の歌舞伎小屋守田座だな。そこいらにある芝居小屋の何倍もデカい。ここが毎日いっぱいになるってんだから、歌舞伎っつうのはすげぇなぁ)
べべん、と
舞台の中心にある一段高く
音は増えてゆき、勢いをつけて
辰次はいつの間にか男の演奏に惹きこまれていた。
「あのおっさん、すげぇな」
演奏が終わると、辰次は自然と拍手をしていた。
彼は三味線の男に近寄る。
「なぁおっさん、目、見えてないよな?」
こちらへ顔を向けた三味線男の両目には光がなく、白く濁っていた。
「そうだよ、私は
「やっぱりか。目ぇ見えないのに、そこまで上手く弾けるもんなんだな」
「そんなこと、久々にいわれたね」
小さく笑った男。
彼のとなりに辰次は腰をおろした。
「おっさんは守田座で三味線の仕事してんのか?」
「まあね。君は?」
「俺は、舞台の準備に人足りねぇって呼ばれた今日だけの裏方だ」
「なるほど。今日はやっぱりよその人間が入ってんだね……君を入れて、五人ってとこかい?」
目をまるくさせ、辰次は男の顔をみた。
「なんでわかったんだ?」
「これでも音楽屋の
「へぇ!聞くだけで、そこまでわかっちまうもんなのか!」
「人間、五感のどれかがなくなると、その他のどれかがそれを補おうとよくなるもんだ。私の場合、それが耳だったってワケさ」
辰次はあらためて男の耳と両眼を見た。
「おっさんの目、
「開いてるとおかしいかい?」
「いや、ちがくてさ。最近知り合っためくらの女は、ずっと目を閉じてるから、そうゆうのが普通なのかなって思ってたんだ」
「めくらの人にとってかい?」
「ああ」
「その人は、ひょっとして最初は見えてたんじゃないかい?」
「え?」
「めくらには二種類いる。生まれつき見えない者と、後から見えなくなった者。後者は、若い時に病を患って目が見えなくなったってやつで、そういう人は目を閉じがちだ。見えなくなっちまった目を人に見られたくないらしいよ」
「見えないのに、そんなの気にするのか?」
「一度見えていた人間は、人の目がどういうものかよく知っているからね。自分の顔を他人がどんな顔をしてみるのか、考えただけで嫌になると、私の仲間はそういっていたね」
辰次はふと自分の過去を思い出す。
人から目つきが恐ろしいと怖がられ、怯えられる顔をされ、幼なかった頃の辰次は傷ついた。
「まぁたしかに、それは嫌だよな……おっさんは、目を開けてるってことは生まれつき見えなかったってことか?」
「そうだよ。私は生まれた時から目が見えなかった。でも両親が、小さい頃から三味線の師匠をつけてくれてね。一芸ありゃ、目が見えなくても食ってけると考えたわけだ。おかげさまで、このとおり」
べべん、と三味線を男はひと鳴らしした。
「君は、音楽が好きかい?」
「んー、どうだろ?あんま、好きだとはっきり思ったことないけど……でも、さっきのおっさんの三味線は好きだって思ったな。なんてゆうか、こう音が直接ドンってくるっていうか」
無骨な男の手を辰次はみた。
バチを持つ彼の手は使い込まれたように小さな傷やたこがあった。
「だれよりも強く生きてる。そうゆう音って感じだった」
「嬉しいこと、いってくれるね」
男が、バチでひとつひとつの音をよく響かせるように鳴らしはじめた。
「お礼に面白いこと教えてあげるよ。音にはね、色と形があるんだ」
「色に形?」
「
「音でそんなことできンのか?」
「それが私たち音楽屋ってもんだ。そして、これが上手くできるめくらは、
「検校?」
「盲目に与えられる、お国から認められた正式な位だよ」
「なんか聞いたことあるな。
「三味線というより、めくらができる職業に限定されててね。その道を極めためくらは、検校の位をもらい、どこへ行っても優遇されるんだ」
「ふーん?剣でいう、達人の免許皆伝みたいなもんか?」
「はは、そうだね」
鹿之介が戻ってきた。
彼はおどろいたように三味線男をみた。
「
「そのいい声は、鹿之介君だね」
「こんな早くからどうしたんすか?今日の公演は午後だから、ゆっくり出てきてもいいのに」
「客席を広げたって聞いてたからね。響き方の最終調整をしたかったんだ」
「昨日もやってませんでした?菊村検校が何もそこまでやんなくても……」
目の前の男が『検校』と呼ばれ辰次は驚いた。
「おっさん、検校なのかよ!?」
「オイ!菊村検校に、おっさんとか失礼な口聞くな!」
鹿之介は目つきをキツくさせた。
「菊村検校はな、本当なら偉いお武家様のお抱え専属にだってなれるのに、山のようにくるそういう話けって、江戸三座で仕事してるすごい人なんだぞ」
「へー!大金もらって楽できる仕事より、江戸の芝居小屋で毎日忙しく弾いてる方がいいってか。おっさん、粋なことすんじゃねぇか!」
目を輝かせる辰次に、検校は小さく笑う。
「はは、そんなたいそうなもんじゃないさ。私と私の三味線は、この芝居町で生まれて育ったからね。ここには恩があるんだ。その恩を少しでも返したいだけさ。それに、聞く人間がいての音楽だ。いろんな人に私の三味線を聞いてほしいという、ただのわがままでやっているだけだよ」
鹿之介が腰をかがめ、検校の前へお茶と飯がのった盆を置いた。
「検校、朝飯食べてきました?ここにお茶とにぎり飯あるんですけど、どうっすか?」
「いただこうかな」
「どうどうぞ!辰次、お前の分もあるから。ちょっと検校のこと頼むわ」
まだ仕事があるのか、鹿之介は忙しなくどこかへと行った。
辰次はお盆からにぎり飯を取って、検校へと手渡した。
「おっさん、これ握り飯」
「ありがとう」
検校の食べる姿を辰次はなんとなくと見ていた。
両手でにぎり飯をつかんで食べ、顔中に米粒をつける検校は、お世辞にも行儀がいいとは言えなかった。
検校の片手が地を探りはじめた。
「あぶね!」
検校の手が湯呑みにぶつかる寸前、辰次は湯呑みをとった。
「お茶、こぼすとこだったぞ」
「すまないね。板間に置かれたものだったら、音がしてわかるんだけど……お盆ごと置いてかれると、どうもお茶との距離がわからない」
「へー。それじゃあ湯呑み、こうやって置いたら」
検校からやや離れた右側に辰次は湯呑みを置いた。
「どうだ?わかるか?」
「難しいね。このわたしの座っている場所、
検校がすわる高座には、赤い絨毯が敷かれていた。
「音が出ないようになってる。音がないと、流石の私もただのめくらだよ」
「ふーん……その杖、おっさんの?」
検校の真後ろにある木の杖が、辰次の目に止まった。
「すんげぇボロボロで、すぐに折れそうだな」
濃い茶色の杖は傷だらけでところどころ欠けていた。
「長く使ってるからね」
「新しいのに買い替えないのか?」
「新品ものってのは手に馴染むまで時間がかかる。変えたらしばらくはしっくりこなくて歩きづらいからね。いつも折れるまで使うんだよ」
めくら娘の杖を辰次は思い浮かべる。
「俺の知り合いのやつは、新品っぽいけどな。綺麗な
「朱塗り?色つきとは珍しいね」
「あ、やっぱそうだよな?
「そもそも
「使いづらい?」
「朱塗りってことは
辰次は言われて初めて気づいた。
朱鷺が持つ杖は
「君の知り合いが持ってんのは、見えてた若い娘さんにありがちな、見た目を気にして選ぶ杖だね」
「アイツが見た目を気にしてる……?」
辰次は首をひねった。
出会った当初、めくら娘は尼のような地味な
着物には
それが辰次には納得できなかった。
辰次の目に、朱鷺という
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