第13話 ※過去の好きな人を今の好きな人が捻じ伏せてしまったようです


 俺たちは子猫と一頻り遊んだ後、駅前広場に戻って来ていた。

 子猫用のケースを買うつもりだったが、子猫は拒み続け、定位置は遥の制服の中になった。今はブレザーからちょこんと両手と顔を出している。


 やはり、母性か。

 おっぱいが良いのか。


 時計台の時刻は16時。


 俺たちは、このまま夕焼けスポットに向かう所だった。


 夕焼けスポットには駅前からまた十五分ほどバスに乗る必要があり、これから行く場所にはカップルしかいないことで有名で、遥も何かを察しているのか、繋いだ手を握る力が強くなっている。


 俺たちの緊張もクライマックスに向かい始めていた。

 バスの停留所にもカップルしかいない。

 

 帰宅途中の学生の羨ましそうな眼がバス停にずらりと並ぶカップルに向けられていた。


 そういえば、人形たちは無事に俺たちの代わりに授業を受けてくれただろうか。 予定通りにはいかなかったが、彼らが作ってくれたこのチャンスを潰すわけにはいかないよな。

 

 そして――、俺たちはカップルお勧めの夕焼けが眺められる橋にやって来ていたのだが――。


「さ、最悪過ぎる……」

「みゃ、みゃ……」


 ここに来るまで晴れていたのに……ザーッと大粒の雨が降り注いでいた。

 空は分厚い雲に覆われて、雷までなり始めムードのひとかけもない状況に言葉がない。


 バスを降りた他のカップル達も「こりゃないねー」と笑いながら、駅前へ向かうバスに再度乗り込んでいく。


 俺のプランではここで夕焼けを見ながら、告白をする予定だったが、遥のしゅんした顔を見たら、どうやらそれは無理みたいだ。


 ば、万策尽きたか⁉ 

 いや、まだ早い。まだ時間はある。

 まだ、ここから挽回できる手段はあるはず……。

 俺は頭の中で色々と次のプランを考えていたら――。


「まじで私に付きまとうなって言っているでしょ⁉」


「行かないでくれ、沙織! 俺は、俺は――お前を諦めてないんだよぉ!」


「私は諦めたの! てか、こんな状況でよりを戻そうとかあり得ないから! ほんとセンスなさ過ぎ!」


 橋の方からカップルらしき男女が一組。

 いや、聞こえた内容からカップルではない。

 男の方が復縁を迫ったけど失敗したといった感じだろうか。


「この前付き合っていた男にも捨てられたんだろ? ならさ、俺ともう一度やり直そう? 俺はもっといい男になるからさぁ! だから、頼むよ。俺はお前が忘れられないんだよ。沙織!」


「うっさい! 何で知っているんだよ! あんたはストーカーか‼ キモいんだよ!」


「ちょっと、待て。行くなよ!」


 男が女の肩に手を掛けた。

 しかし――。


「触るな! 私はもうあんたに興味がないって言ったでしょ!」


 振り向きざまの女の痛烈なビンタが男に炸裂した。

 初めて遭遇する修羅場に子猫も制服の中に隠れてしまった。

 喉の奥が詰まるというか、見ているこっちも息が苦しくなってくる。


「私の人生が狂い始めたのはあんたのせいなのって分かってる? バレないから楽しいことしようって学校に連れ込んでヤったあんたのせいだって分かっている?」


「あ、あれは沙織が夜の学校に行ってスリルを楽しみたいって……。現に、あの日の夜は沙織もノリノリだったじゃないか……」


「はぁ? なに? 私がいけないっていうの?」


「い、いや、そういうわけじゃ……。喧嘩両成敗……、というか……、過去は水に流してそこからもう一度やり直そうというか……」


 男の肩がしゅんとすくんだ。

 追い討ちをかけるように女が皮肉混じりに言う。


「ねぇ? 私が学校から停学処分を食らって、なんてあだ名がついたか知ってる?」


「い、いや……」


「ヤリマンアバズレゲロクソビッチ」


「へ?」


「ヤリマンアバズレゲロクソビッチよ! それから友達はいなくなるし、私に近づく男は変な奴ばっかり、芸能事務所からも契約を解除されて。私は、これからもっともっと輝いてみんなから愛される存在になるはずだったのに……。ほんと、最悪。最悪よ! 私の人生はこんなはずじゃなかった‼ 全部あんたのせい‼ もう二度とその面を見せないで‼ あんたの顔を見ているとイライラするの‼ あんたなんて……大嫌いなのよぉっ!!」

 

男女の修羅場というのは恐ろしいな。

心底震える。

最後の言葉に諦めがついたのか、男は地面に跪いて、ガクリと項垂れ大雨に打たれ続けていた。すると、女子がバスターミナルの方までやってくる。

そこで分かった。


「七瀬……さん?」

「……………………や、八代?」


 その女子は俺が中学の時に告白した初恋の人――七瀬沙織だった。

 だが、みすぼらしく醜悪な顔になった彼女に恋心の一欠けらも抱くことはなかった。

 あれから二年。

 随分と変わったなと思った。


「……久しぶり」


 七瀬さんは俺を見るや否や、その隣にいる遥を見た。

 次にその眼は恋人繋ぎをしている手に。


「へ、へぇ……、八代が女連れてるとか……あり得ないんだけど」


 七瀬さんが持つはずだった圧倒的な輝きを遥は持っている。

 格の違う相手との邂逅に七瀬さんの顔が醜く歪む。

 遥には勝てないと悟ったのか。


「あんた、この男と付き合うの止めた方が良いよ」


 歪んだ嫉妬の矛先は俺をけなす方へ向かった。


「どうしてですか?」


 七瀬さんは薄気味悪い笑みを浮かべる。


「あんたに教えてあげる。昔の八代は、それは、それは――冴えないキモオタだったのよ」


「おい!」


「何その顔? まさか自分の趣味すら彼女に言えてないのぉ? あんた信頼されてないのねぇ……」


 七瀬さんは、してやったりと悪い笑みを浮かべ遥を見る。


「良いわ。せっかくだから私が教えてあげる。高校に入って少し垢抜けたみたいだけど、あんたの隣にいる男はド底辺のダメ男なのよ。こいつの本質は毎日頭の中で作った理想の女の子との妄想に浸っている冴えない男なのよ。あなたみたいな美人には勿体ないし、釣り合わけない。あなたも自分の格を下げたくなかったら、さっさと別れてもっといい男と付き合った方が良いわ! イケメンは良いわよ。金のあるイケメンはもっと最高。可愛くて美しい私をちやほやしてくれるから、いつもより可愛くなったって思えるし、周りからの評価も高くなる。良いこと尽くめよ!」


 ほんとムカつくな。

 自分が上手く行ってないから人の秘密をばらして他人の足を引っ張りやがって。だけど、七瀬さんの言うことに一理あるのがまたムカつく。

 確かに第三者から見たら、俺たちは釣り合っていないカップルに見えるだろう。しかも、エッチなアニメキャラで妄想していたことも事実だから俺は否定もできないし、否定をすることは遥に嘘をつくことにもなるし、俺のアイデンティティを殺す事にもつながる。


 それは……できない。

 そんなことしたら、今まで俺を励ましてくれたキャラ達に面目が立たない。

 くそ、こんな時にキモオタ根性丸出しで嫌になる。

 


「言いたいことはそれだけですか?」


「は?」


「あなたの恋愛の価値基準は理解しました。ですが、全ての女性があなたのように容姿や地位やお金で判断するわけではありませんよね? あなたは男性を装飾品か何かと勘違いしていませんか? あなたと付き合う男性が可哀想です。あなたの価値基準を私に押し付けないで下さい。あなたと私を一緒にしないで下さい。とても不愉快です」


 七瀬さんの顔が引きつり、言葉を失う。

 ギリギリと歯ぎしりをして、キッと俺たちを睨みつける。


「なによ、なに良い子ちゃんぶってるのよ! キモオタと同じで綺麗ごとを言って格好つけてほんとムカつく‼ じゃあ、なに⁈ あんたはこいつが、あんたの知らない所でエッチなアニメキャラに現抜かしていても良いって言うの⁉」


 ぐわぁぁぁぁ‼

 俺の心を抉るんじゃねぇ‼

 そんなの言われていい気分になる女性なんていないだろぉがぁ‼


「――はい」


 へ? 

 今、なんて?


「人の趣味は人それぞれですから、問題ありません。それに――」


 天音さんが俺の方を向き微笑む。

 そして、俺の手を祈るように包んで言った。



「―—――これから八代君が夢中になるのは私だけですから」



 一瞬、大雨が止んで、太陽が顔を出した気がした。

 俺と遥の間にだけ展開される晴れの空間。

 そこに入り込める奴なんて一人もいなかった。

 俺が悩んでいたことなど全て溶かしてしまう理想のヒロインが俺の隣にいた。


「みゃー!」


 と子猫も顔を出した。

 ははは、お前も応援してくれてんのか。

 ありがとよ。


「……きもっ。きもきもきもきもぉぉぉ‼ キモすぎるんですけどぉ⁉」


「あなたも人のことを貶して、否定して、足を引っ張っている暇があったら、自分のことをもっと大切にしたらどうですか? 顔がとても苦しそうですよ?」


 確かに、本当にこの世の人間とは思えないほど七瀬さんの顔は歪み切っていた。


「……っ‼ うぐっ」


 遥の後光を浴びせられた七瀬さんの顔には敗北の二文字が滲み出ていた。


「もう知らない……、知らないんだから‼」

 

 七瀬さんは二年前と同じく、捨て台詞を吐く。

 そして――、そのまま雨の中に消えて行った。

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