そういえば幸村のイベントだった

 俺は視界の片隅で日葵ひまりがウロウロしたり、動画を送りつけて来たりするので落ち着かなくてすっかり忘れていたが、このイベントは幸村ゆきむら幡野はたのにアプローチするためのものだった。

 俺はそれを今さらながら思い出した。

 ボウラーズシートに腰かける際、幸村ゆきむらは積極的に幡野はたのの隣に座り、何かと声をかけている。その頻度は徐々に増えていった。

 今のところ幡野はたのはそれを迷惑そうにはしていない。というか、幡野は幸村を全く意識していなかった。

 あの幸村ゆきむら幡野はたのにとってはまるで空気なのだ。

 幸村の一言一言ひとことひとことが幡野の片耳からもう片方の耳に通り抜けていき、脳には到達していないのではないかと俺は思った。

「幡野さん、上手だねえ。そんなにボウリングしないって言ってたけど」

「年に一回か二回」

「誰とするの?」

「友だち」

「男の子?」

「女子」

 普通――からまれると嫌そうな顔になったりするものだが全くその気配はない。ただ機械的に返答しているだけだ。AIでももっと愛想良くするぞ。

門藤もんどうくんとボウリングするのかと思ったよ」

「ユキとはしない」

 その話――先ほどしなかったか?

 同じこと訊いて大丈夫か? 訊いたのは名手なてだったか。

「今度ボクとボウリングしない?」

「しない。ボウリング――それほど好きでもない」

「何ならやりたい?」

「家でゴロゴロしたい」

「じゃあボク、幡野はたのさんに行って良いかな?」

 何でいきなりそんなこと訊いたり言えたりできる? ドン引きだよ。

 伊沢いざわの耳が立ったぞ。猫耳だ。もちろんそれは俺だけに見える幻覚だが。

 名手なては球を投じていて気づかなかった。

 無意識だろうが幸村ゆきむら名手なての目をかすめてアプローチをしている。

「ひとりでゴロゴロしたいの。来ないで」はっきり言うよな、やっぱり。

 幸村ゆきむらみたいなヤツにはまわりくどい言い方は通じない。

 名手なてが戻ってきて、幡野はたのがレーンに向かった。

「2ゲーム終わったら出ましょう」

 名手なてはもう飽きたようだ。スペアとり損ねたしな。機嫌はイマイチ。

「何か面白い展開はないの?」伊沢いざわに訊きやがった。

 名手なての見ていないところで幸村ゆきむら幡野はたのにアプローチしているのだがな。

 そういえばラブレターはいつ渡すのだ?

 俺の知らないところでもう渡したのか?

 とはいえ幸村はラブレターに書いた内容以上のことをすでに行動にうつしている。幡野の家に行っても良いかなんて簡単には訊けないことだ。

「男子が二人混じったくらいでは面白くならないのかしら」

「どうかな」伊沢が困惑の笑みを浮かべたぞ。

 伊沢は幸村の思惑も知っているし、幸村のアプローチも全部見ているからな。

 その上日葵ひまりが近くに来ていることもわかっている。日葵がここに来ることを計算していたのではないかというレベルだ。

 伊沢にとっては見物みものが満載だ。名手なてに知られないスリルを味わうことすらできる。

 二年E組をべているのは実は名手なてではなく伊沢いざわなのではないかと俺は思った。

「あれ? あれって……」その時名手なてが俺の背後の方に目を向けた。

 げっ! そこにいるのは――。

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