雪の上にあだ花散る
寺 円周
第1話
時は元禄15年、前日の雪が屋敷町にまだ溶けずに積もったままだった。深夜にもかかわらず月明かりに雪が映え、47人の赤穂の浪士が吉良邸に向かう姿を際立たせている。深い静けさ、そこに雪を踏む彼らの足音が軋めき合ってくる。主君の仇を討たんと、吉良邸に討ち入る暗殺者集団だ。そして、高鳴る陣太鼓と叫声が深夜の江戸の町に響き渡った。
元禄のあだ花が見事に散って、およそ200年が経ったその日、やはり数日前から降り続いた雪が、まだ明けやらぬ薄明のなかに、1400人に上る狼藉者たちのシルエットを浮かび上がらせた。みんな立派な軍服を着こんでいる。響き渡る銃声。そしてここでも嬌声が。1936年2月26日、世にいう二・二六事件だ。
夜空には黒鳥がゆったりとゆったりと舞っていた。一人の男が、臭い飯を何とかのどを通したようだ。そして、出がらしの茶を重い口に含み、じんわりと飲み込んだ。鉄格子の入った小さな窓から差し込む微かな月明かりがむさ苦しい男の肩に降りていった。男は、「忠臣蔵でもあるまいし」と、彼におそいかかった運命にうんざりした様子。
冷たいコンクリートで囲まれた独房に根が生えたように座り込んだ男は、この数日間の出来事を想像し、整理しようと努めるのだが、湧き上がってくるのは何故、何故という疑問符ばかりだった。もちろん男は彼らの蹶起を知っていた。その蹶起文もよくできていると思ったし、それより何より彼らの憂国の情に心を打たれた。が、それでも疑問は残る。君側の奸とはいえ、彼ら人の命をかくも軽く見てしまったのは何故だ、それに対し陛下も陛下で奉勅命令を出し、蹶起集団の意図をまったく無視するがごとき対応を取られたのは何故だ。そして何より私が捕らえられたのは何故だ。
男は、北一輝。陸軍将校が起こした事件にもかかわらず、民間人の中から逮捕された男だ。彼は、自分が生涯をかけて築いてきた国家改造案をこのような形で終わらせてしまうことに慙愧の念に堪えないと苦しんでいた。月明かりがゆっくりと回り、彼の顔を斜めに舐めていく。かれは、眉間の皺を深く刻み、病人か狂人の様相を呈している。その時、彼の時間が飛んだ。気が付くと格子のはまった窓に気味の悪い一羽のカラスが来て止まっている。三本足を持ったカラス、八咫烏(やたがらす)が男に声をかける。
「お前は偉そうなことばかり言って、何にもわかってない。さらに、そのしょうもない考えを本にして革命家気取りだ」
男は、「しょうもないだと。何を言うか。出来損ないのカラスめ」
「できそこないか。その出来損ないがこの国をずっと見てきたんだぜ。お前さんが偉く信奉しているあの万世一系のご先祖さん、皇祖皇宗の時代からな」
カラスはクックッと笑う。その昔、神武天皇の大和への東征を先導したことを自慢してのことであろうか、男の頭の上を得意げに飛びまわり始めた。
男はそれを片眼で追う、彼の目は幼いころに患って片方の目しか見えていない。残る目をやられてはたまらない、顔を避けるようにして両手でカラスを追い払いながら叫ぶ、「私は、お前のような伝説に生きているわけじゃないんだ。」
佐渡にうまれたその男は、この国を誇らしいものに、という崇高な理念をかたちにしようとした。だれしもが平等で豊かな国に、そのためには、すべての国民が国家という大家族の一員となることが求められる。家族であればこそお互い助け合い、認め合うことができる。そうすれば一部の財閥や権力者たちの強欲な差別、支配の構造は崩れ去るに違いない。そこでは、国家の、家族の長として天皇を祀ることが是非とも必要だ。国の長に力があってこそみんながその下で平等で平和な世界を創造できる。さらに言えば、その平安を維持するには、世界の国々もすべて平等であることが大事だ。世界中の人々が一つの家族としてまとまることを考えれば世界は自然、戦うことを忘れ人類の平和が実現すると考えるのだ。そのようにすべての人々が家族と考えることは、平等であろうとも民主主義の考え方とは合い入れない。家族をまとめるのは、家長、つまり絶対的権威の天皇であり、そしてその体制を守り、支えていくことができるのは天皇の権威のもと忠実に行動する軍人でしかありえない。そう考えているのだ。
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